「あなたへのダイアリー」 (第二章 きみ寿司)-10-

 亮介は本当は貴美子のことについて、目の前にいるこの貴美子の父親にすぐにでも聞きたかったが、予定外に突然店に入ることになってしまい、どう話を切り出せばよいかわからずにいた。それに、あの優子とかいう少女、この大将にとって孫ということは、貴美子の娘であるに違いない。そうなると、もし貴美子が生きているとしたら、今、店の中には見当たらないが、貴美子はこの家にいるのかも知れない。

 大将が、注文した料理を作っている間、亮介は貴美子の気配を感じ取ろうと店の中をあちこち見渡してみた。すると、あの日、貴美子に誘われて貴美子の部屋のある二階へと上がったその入り口の下には、店と家とを行き来するために置かれたと思われる二足のサンダルが見えた。

 “あのサンダル……。一つは男物のようだから、きっと大将のものだろう。もう一つは女物だ。優子とかいうあの少女のものか? いや、若い女の子のものにしては色が地味だ。だとしたら、貴美ちゃんのものなのではないだろうか? そうだ、きっと貴美ちゃんのものに違いない”

 貴美子の気配をもっとたくさん感じたくて、亮介は座敷の方や厨房の中にも目をやった。

 “座敷のそれぞれのテーブルの上には、小さな花瓶に生けられた花が置いてある。大将の趣味か? いや、絶対に違う。貴美ちゃんは花が好きだった。きっと、貴美ちゃんの趣味だ。それに、あそこに掛けてある可愛らしい絵柄の入ったエプロン……。あれは、優子のものなのか? いいや違う。こんな時間にどこかへ出かけて行ってしまうような子だ。店の仕事など手伝わないだろう。だとしたら、やっぱりあれも貴美ちゃんのものだ。それしか考えられない”

 疑う余地もない。亮介は確信した。大将がいくら貴美子を隠しても無駄だ。やはり、貴美子は生きている。そして、この家にいる。証拠は揃った。あとはもう、その証拠を大将に突き付けて、それとなく本当のことを聞き出せばいい。

 しばらくは、何気ない話で場をつないだ。外見からは想像できなかったが、意外にも大将が話好きだったことにも助けられた。亮介は出された料理をほぼ平らげた頃に、その話を切り出した。

「大将、このお店には随分とたくさんのお花が飾ってありますが?」

「ああ、あれですかい? あれは、貴美子が……」

 “貴美子? 大将は今、貴美子とはっきり言った。それ見たことか! 俺の睨んだとおりだ。やっぱり、貴美ちゃんが飾ったものだったんだ! 実の父親が言うんだ。間違いない”

「それは……」

 ついに確信に迫ろうと、亮介が身を乗り出したその時、店の戸が開く音とともに『じゃじゃ馬』が帰ってきた。

「おじいちゃん、ただいま!」

「おお、お帰り。早かったな。会長、何だって?」

「寄り合いには、おじいちゃんが来るより、私の方がいいんだって」

「あの野郎、余計なことを……。い、いや、そうじゃねえよ。何の集まりだったんだよ」

「今度、この商店街でサマーセールをするんですって。でね、商店街の各お店にお店オリジナルのスタンプを置いて、お客さんにそれを押して集めてもらうの。十個集めたら福引ができるみたいよ」

「福引? 何が当たんだよ」

「一等は、熱海の温泉旅行だって言ってたわ。楽しそうね」

「何呑気なこと言ってやがんだ、あの会長は。この貧乏商店街にそんな金ねえだろうに」

 優子は、日にちを間違えて商店街の寄り合いに顔を出せなかった源治に代わって、その集まりに行っていたようである。

「あら? さっきのお客さん……」

 商店街の寄り合いでもらった通知を源治に渡した優子が、カウンターにいた亮介に気が付いた。

「や、やあ」

「どうでした? おじいちゃんのお寿司美味しかったでしょ?」

「ああ、とても美味しかったよ」

 亮介の前に並んだ空の器を見て優子は自信ありげだったが、職人気質の大将は照れ隠しなのか、それを素直には受け取れないようである。

「ばか、つまらんことを聞くんじゃない。今日はもういいから上に上がってろ」

 大将は客が亮介だけで暇だったのか、顎で優子を追いやった。

「お客さん……、また、いらしてね」

 大将に顎で扱われたことなど気にもせず、優子は店の二階へ階段を駆け上がって行ってしまった。

「すみませんね。男手一つで育てたもんだから、どうもガサツでいけねぇや」

「いやぁ、元気で明るいお孫さんじゃないですか」

 いわゆる秋田美人なのである。貴美子の母親は、秋田生まれの秋田育ちだと聞いていた。身内からみれば『じゃじゃ馬』だの『ガサツ』だのと言いたい放題だが、もしもここが東京の渋谷辺りなら、例え優子がどこに隠れていたとしても、モデル事務所のスカウトマンは容易に優子を見つけ出してしまうことだろう。本人にその気さえあれば、その世界でも十分にやっていけそうである。

 しかし、そんな事より一番驚いたのは、よく見るとやはり、優子が二十七年前の貴美子と瓜二つだということである。貴美子とは違って髪をポニーテールにしているので、亮介の記憶している貴美子の印象よりは幾分幼く見えるが、顔立ちはそっくりだった。間違いなく、あの娘は貴美子の娘なのだろう。

 ところで、さっき大将が気になることを言った。男手一つ……とはどういうことだ。先ほどの答えが一刻も早く知りたくて、亮介は話を戻した。

「大将、あの花ですが……」

「ああ、そうでした、そうでした。あれは……あれ? 俺、さっき、貴美子って言いました?」

「ええ」

「ありゃー、名前間違えちまった。また、優子に怒られちまうなぁ。」

「え?」

「優子なんです、あの花を飾っているのは、あいつなんですよ」

「え? じゃあ、貴美子さんというのは……」

「貴美子は俺の娘でして、あいつの……優子の母親なんです。優子が三つの時に病気で亡くなりました。もう、十年以上も前のことです。なのに、未だに名前を間違って呼んじまうことがあって、その度に優子に怒られてるんですよ。まあ、俺も、もう年だからね」

 亮介がせっかく揃えた証拠はすべて無駄になった。貴美子の居場所について亮介が問い詰めるまでもなく、大将は世間話のついでのように、あっさりと貴美子の死を認めた。

“う、うそだ! 貴美ちゃんが死んだなんて……だって、あの手紙は貴美ちゃんのいたずらで、優子が飾っているとは言っていたが、店の花は貴美ちゃんが好きそうな花ばかりだし、あのエプロンだって優子より貴美ちゃんの方が似合うはずだ。サンダルだってそうだ。優子には地味だ。何より、さっきまで、貴美ちゃんは俺のすぐそばにいたんだ! ついさっきまで……ここに……ここにいてくれたんだ……”

 ついさっきまで貴美子の気配を身近に感じていた亮介は、一転、貴美子の死が現実味を帯びてくると、自分でも想像以上に動揺していることがわかった。恐らく目の前にいる大将にもそれが伝わっており、その動揺の仕方に明らかに大将は違和感を感じている様子だった。亮介は慌ててその場を取り繕ったが、何を言ったかは覚えていない。金を払って早々に店を出た。

「貴美ちゃん……貴美ちゃん、どうして……」

 店を出た亮介はしばらくの間、もう人影もない夜の街をふらふらと当てもなくさまよっていた。

 どうして貴美子が死んでしまったのか。それを亮介は誰かに尋ねたかったのかも知れない。誰も、知るはずも答えてくれるはずもないのに……。

 貴美子は死んでしまった。それは、本当のことだった。貴美子の幸せを、ただそのことだけを祈り信じて生きてきた亮介に何も告げないで、亮介の知らぬ間に貴美子は逝ってしまった。

 それが現実だった。亮介が受け入れなければならない辛い現実だった。

 月明かりの助けが無ければ、僅かな街の灯りだけでは気がつかなかった。この道はかつて貴美子とともに、学校からの帰りに毎日通った道だった。教室に傘を置き忘れた日、貴美子の赤い傘に入れてもらって二人で帰った道だった。貴美子に野球のルールやボールの投げ方を教えながら帰った道だった。二人の夢を語り合いながら、明日もまた会えることを何も疑いもせずに帰った道だった。

 あの頃、貴美子とはいつも一緒だった。そんな毎日がずっと続くと思っていた。

 さっきまで明るかった月に雲がかかり、道の先が見えなくなった。“俺は…これからどうすればいいんだ” そうつぶやいた亮介の姿が闇の中へと消えていった。(つづく

 

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