「あなたへのダイアリー」 (第八章 夏まつり)-6-
「かよちゃん、いい話教えてやろうか? 本当にいい話だよ。俺、感動したよ」
キン婆を『かよちゃん』と呼ぶこの男は、中谷亮一……。亮介の父親である。亮介がまだ五歳になったばかりの頃、キン婆と幼なじみだった亮介の父親は、何かあるといつもこうしてキン婆に自慢話をしにやってきた。キン婆も幼なじみのよしみで話を聞いてやるのだが、どの話もうそっぽいというか、軽いというか、本人が言うほどいい話ではなかった。
「さっきさ、お寺に行って住職の話を聞いてきたんだけど、なんてったっけ? あ、そうそう、講話って言ったかな。それがいい話でさ、かよちゃん、人は死んだらどうなると思う?」
キン婆は、“また、はじまったか” と思い、少し面倒くさそうに答えた。
「あたしゃ天国、お前は地獄に行くだろうな」
キン婆にそんなこと言われても亮一の話は止まらない。
「何言ってんだよ。そうじゃないんだよ。いいかい、驚くなよ。人は死ぬと、また生まれ変わるんだよ」
「まさか」
キン婆は亮一の話がいよいよ面倒になってきた。
「本当だよ。その証拠にさ、外国の話なんだけど、父親を亡くした子供がいてさ、ある時、その子が生涯の親友となる友達に出会うんだよ。それでな、その友達っていうのが、実はその子の父親の生まれ変わりだったんだよ」
「なんで、そんなことがわかるんだよ」
「なんでだと思う?」
「髭でも生えてたか」
「馬鹿なこと言うなよ。そんなわけねえだろ」
馬鹿なこと言ってんのはどっちだとキン婆は思ったが、亮一は住職に聞いたその話を信じて疑わない。
「秘密だよ。秘密」
「秘密?」
「ああ、その子と父親の間には、二人だけの秘密があったんだよ。で、その秘密を何故か知っていたんだよ。その親友の子が」
「偶然だろ、なんだよ、その秘密って」
「そ、それは、わからねえよ」
「なんだよ。やっぱりうそ話か」
「違うってば、いいよ、別に信じなくったって。帰ったら亮介にも教えてやるんだ」
「馬鹿、亮介はまだ五つだろ、分かるかそんなうそ話」
「わかるんだよ。俺の子だからな」
キン婆は、亮一の純粋さは理解しているつもりだったが、息子の亮介はこの父親に似ないことを切に祈った。
それから四十年余り経って、亮介がティムにした話に似ているが、この時のことを亮介が覚えていたのかはわからない。今となっては確かめようもないが、亮介自身もきっとわからなかっただろう。
翌日、亮介は荼毘(だび)に付された。優子とキン婆は中谷亮介を、源治と写真館の店主は冴木を、それぞれの思いで送り出した。源治と写真館の店主は男泣きに泣いていたが、“亮介にはいつかまた必ず会える” キン婆の言葉でそう信じることができた優子はもう泣かなかった。
亮介との最後の別れの時、優子は棺に横たわる亮介の胸の上に貴美子の日記を置いた。そしてその日記に、いつか亮介とピクニックに行った時、公園で撮った二人の写真をいったんは挟んで置いたのだが、
「これはやめておこうかな」
優子は何枚か入れた写真の中から一枚だけ抜き取った。
「これ、お母さんが見たら、きっと焼きもちを焼くわ」
優子が抜き取ったその写真は、あの時、公園で雇った、にわかカメラマンの男性が親指を立てて自画自賛した一枚だった。それは、蜂に怯え亮介にしがみついた優子とその優子を思わず抱きしめた亮介が、二人で見つめ合う、まるで本当の恋人どうしのような写真だった。優子は抜き取った写真を大切そうに胸ポケットにしまい込むと亮介に別れを告げた。
「亮介さん、さようならは言わないわ。私は、きっとあなたを見つけるわ。どこかの街で……」
葬儀場からの帰り道、優子はキン婆と二人だった。源治と写真館の店主は、亮介を偲んで今夜は二人で飲むことにした。
「優子、お前、良かったのか? 貴美子の日記、亮介の棺に入れちまったんだろ?」
キン婆は、貴美子の日記が優子の心の支えになっていたことを知っていたので、それをなくしてしまって、この先、優子が寂しくなりはしないかと心配だった。
「うん、いいの。亮介さんからお母さんに返してもらうの。だって、あれはお母さんの日記だから。お母さんが、亮介さんを愛した証だから」
幼いころから、母親に抱きしめてもらうことだけを夢見てきた少女は、母親を一人の女性として見ることができるようになった時、キン婆の心配をよそに大人への階段を一つ上ったようだった。(つづく)