「あなたへのダイアリー」 (第七章 追憶)-7-

 なぜ、貴美子の日記にはそのことが書いてなかったのか?あの日記の最後は、夏まつりの夜に亮介が来なかったことで終わっていた。

「日記にはそんなこと書いてなかったの……。だから、私、亮介さんのことをお母さんを捨てた酷い人だとずっと思っていたの」

「日記? 貴美子のか?」

「ええ、私が小学校を卒業した日に見つけたお母さんの日記です」

 優子は日記を偶然見つけた時のことや、その日記を読むことで自分が母親にずっと見守られてきたような気がしていたことを初めて打ち明けた。

「そうか、貴美子がそんな日記を書いていたのか」

「私の大切な宝物なの。あの日記を持っていると、お母さんと一緒にいられるような気がするの……。でも、お母さんはどうしておばあさんに言ったようなことを日記に書かなかったんだろう……。どうしてなんだろう?」

 他の子どもたちと同じように、小さいころから優子のことを知っているキン婆は、いつの間にか自分の背丈よりも遥かに大きくなった優子を見て、生意気に胸も膨らんで成りはすっかり大人になったが、しっかりしているように見えて、この娘はまだまだ母親に甘え足りない子供なんだなと思った。しかし、優子の生まれ育った境遇を考えればそれも仕方のないことかと思い直し、優子の疑問に答えてやることにした。

「どうして日記に書かなかったかって? それは、貴美子が亮介に直接、そう言いたかったからなんじゃないのか?」

 腕組みをして、首を捻(ひね)ったままキン婆の話を聞いていた優子が思わず一つ手をたたいた。

「ああ、そうか! そうよね。お母さんはきっと、そうしたかったのよね。だから日記には書かなかったのよね。きっと、そうだわ」

 優子の喜びようを見て、我ながらいいことを言ったと、キン婆がうぬぼれた時、もう時間も遅く、優子とキン婆の二人しかいない待合室の扉が開いた。

「お、亮介が気が付いたかな?」

 扉を開けて部屋に入ってきた若い医者の姿を見て、キン婆は立ち上がった。

「あのー、中谷亮介さんのお身内の方ですか?」

 若い医者は、優子とキン婆の方にそう言って近づいてきた。

「おう、そうだよ。亮介が気が付いたかね?」

「いえ、それはまだなんですが、少しお話がありまして、別室の方に来て頂きたいのですが……。えーと、あなたは?」

 若い医者は、パチンコの景品を小脇に抱えたキン婆をうさんくさそうな目つきで見やった。

「あたしゃ、あの子の身内みたいなもんだよ」

「申し訳ありません。お身内の方以外はご遠慮下さい」

「なに言ってんだ! あたしゃ、あの子がこんなちっちゃな頃から知ってるんだよ。だから、身内も同然だ」

 キン婆の言うことは人情的には正しいのだが、マニュアルに書かれたことしか理解しない医者という類(たぐい)の人間にキン婆の主張が理解されるはずもなかった。

「そう言われましても……。すみませんが、娘さんだけでお願いします」

 若い医者は、優子を勝手に亮介の娘だと思い込んでいるらしい。優子は自分の正体がバレないように、機転をきかせて言った。

「お婆さん、私、ひとりでも大丈夫よ。後でお父さんの病室に一緒に行きましょう」

「そ、そうかい? まったく医者ってのは融通がきかないね」

 キン婆も優子の芝居に一役買って話を合わせた。

「申し訳ありません。では、お嬢さんこちらにどうぞ」

 若い医者は心にもない謝罪をキン婆に言い、優子を連れて部屋を出て行った。

「優子は大丈夫だろうか……」

 キン婆は何を予感したのか、一人で行かせてしまった優子のことを心配した。(つづく

 

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