「あなたへのダイアリー」 (最終章 アフリカ ~この空の下に~)-2-

  一か月後、優子はアフリカに向けて出発した。亮介がアフリカにいた七年前、紛争地帯と呼ばれていたマホバ族の村は、亮介の祈りが通じたのか今は周囲の内戦も収まり、徐々に平和な生活を取り戻しつつあった。優子は医療チームの一員としてこの地を訪れていた。もちろん、途上国の病人や子供たちのために働きたいという使命感を持ってやってきたが、あえてこの地を選んだのには理由があった。

 亮介が入院していたとき、亮介からこのマホバ族の話を聞いた。厳しい環境の中で力強く生きる子供たちの話をしているときの亮介のうれしそうな笑顔が今でも忘れられなかった。自分もいつかその子供たちに会ってみたいと思った。亮介の愛した子供たちのために何かできることはないかと思った時、優子は迷うことなくこのアフリカ行きを願い出た。

「亮介さん、着きましたよ。懐かしいでしょう。私もあなたの愛した子供たちにもうすぐ会えるわ」

 優子は、リュックサックに付けられた、小さな木彫りの人形を手に取った。

「優子ちゃん、これは幸せのお守りなんだそうだ。マホバ族の子が、僕が日本に戻ることになったときに作ってくれたんだ。このお守りは効果があるみたいだ。だって、僕は君に会えて幸せだったから」

 あの時の亮介の言葉が思い出された。

 現地に着くと村の長(おさ)が出迎えてくれ、学校の建物の一部を改装して造られた病院へと案内してくれた。長の話によれば、通訳を兼ねてしばらくの間、村出身の若者を世話人として付けてくれるという。

「この子が、みなさんのお世話をさせていただきます。ここから少し離れた町の高校で、コンピュータを勉強しているんですよ。英語も話せますから、何かあれば彼におっしゃってください」

 そこには、『この子』などと呼ぶには失礼なくらい逞しい青年が立っていた。

「はじめまして、ティムス・カヌ・オルセといいます。みんなからはティムって呼ばれています。僕は、ある日本人の援助で、今こうして高校に行くことができています。だから、今回日本人の皆さんのお世話ができることを心から嬉しく思っています」

 あのティムだった。父親にもらった、ぶかぶかのバルセロナのユニフォームを着て、亮介の後ろにくっついて離れなかったあのティムだった。

 亮介はアフリカを去った後、自分の蓄えのすべてをマホバ族の子供たちのために寄付していた。ティムや何人かの子供たちは、その金のおかげで高校や大学に行くことができた。

「そうですか。それは知らなかった。これからしばらくの間、この村の医療を担当させていただきますので、どうぞよろしくお願いします」

 医療チームの人間はそれぞれ順番にあいさつしていき、優子は一番最後にあいさつをした。

「牧村優子です。ユウコって呼んでください」

「ああ、その荷物持ちますよ」

 ティムが優子の抱えていた医薬品などの荷物を受け取ろうと手を伸ばした時、優子はその左腕にはめられた時計を見て亮介のしていたものと同じであることに気がついた。

「その時計……」

「え? なんです?」

「その時計、私、同じものを見たことがあるわ」

「ああ、これは子供の頃に僕の大切な人にもらったんです。その人はリョウという日本人で……。ん? あっ、その人形は!」

 ティムは優子のリュックサックに吊り下げられた木彫りの人形に気がつき指差した。

「これ? これは私の大切な人にもらったのよ」

「それは、僕がリョウに作ってあげたものだ」

「え、それじゃ……」

「どうやら、僕たちの大切な人は同じ人のようだね」

「そのようね」

「少し……話そうか。その大切な人のことを」

「ええ、話しましょう。あの人がどう生きたのかを」

 その時、学校の教室の方から子供たちの声が聞こえてきた。

「ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな……」

 優子は、懐かしい日本語の響きに驚いてティムに尋ねた。

「あれは?」

「ああ、あれは、リョウが僕たちに教えてくれたんだ。日本ではああやって数を数えるんだよね?」

「え? ええ……」

 優子は、いつか亮介が、公園の欅の木をそうやって数えていたことを思い出した。父親ほども歳の離れた亮介に生まれて初めての恋をし、亮介と恋人同士に見られたくて、背伸びしていたあの頃の自分が愛おしく思えた。

 亮介のことが好きだった。あの時、生まれて初めて男性を好きになった。でもそれは、本当は恋愛感情などではなく、父親というものへの憧れを亮介に投影していただけなのかも知れない。幼い娘が無邪気に言う「パパのお嫁さんになりたい」そんな純粋な『好き』だったのかも知れなかった。

 それでも優子は、自分の初恋はあの時だったと決めている。会うたびに亮介のことが気になり、亮介の存在が日ごとに胸の中で膨らんで行き、周りの人を思いやり、優しい気持ちになり、毎日が楽しく、景色が色づいて見えた。誤解から亮介を憎み、不安になり、怒ったり、泣いたり、許したり、はにかんだり、とにかくあの時、あの瞬間、優子の心は亮介のことでいっぱいだった。

「ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここのつ、とお!」

 再び、子供たちの元気な声が聞こえてきた。

 優子は、亮介は確かにここにいたのだと思った。

 二人は青く晴れ渡った空を見上げ、ティムはそこに、木の上で夕日に手を合わせる亮介の姿を描いた。優子は、この空が源治やキン婆の待つ故郷の宮城の空にも、そして、亮介と貴美子がいつか出会うはずのどこかの街の空にもつながっているのだと思った。優子とティムはお互いに顔を見合わせ微笑むと、子供たちの待つ教室へと走って行った。

  

 中谷亮介という男は確かにいた。自分が、運命という絶望の中にいても、誰かを思いやり、誰かに希望を与え、誰かを愛し、そして、愛されたその男は確かにいたのだ。 この空の下に……。   

終わり

 

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