「あなたへのダイアリー」 (第三章 生まれ変わり)-1-

生まれ変わり

 貴美子がどこに埋葬されているのか、それについて亮介は、ひとつだけ思い当たる場所があった。亮介が貴美子と知り合った時、貴美子の母親は既に亡くなっており、一度だけ二人で墓参りに行ったことがある。

 貴美子の母親は、貴美子の家から少し歩いた場所に小高い山があり、その中腹あたりに古くからある寺の墓地に眠っていた。

「お母さん、ここからお家が見えるからきっと寂しくないわ……」

 そう言って、貴美子が寂しそうに笑った顔を亮介は今でもはっきりと覚えている。今思えば、きっと年頃の娘として母親に話したい事が沢山あったのだろう。男親、ましてや職人かたぎのあの父親が十七歳の乙女の相談相手になれるとは思えなかった。

 墓に供える花は、商店街の花屋で貴美子の好きだった花を思い出しながら買った。ピンク色の可愛らしい小さな花が貴美子は好きだった。

 墓の前まで行き、墓碑に刻まれた貴美子の名前を見た途端、亮介の目には自然と涙が溢れ出てきた。

「本当に死んでしまったんだ……」

 墓石に向かって手を合わせる亮介の頭の中に、楽しかった貴美子との思い出が走馬灯のように蘇ってきた。涙はしばらく止まりそうになかった。

「貴美ちゃん、ぼくがこの町を出て行った後、君はどんな人生を歩んだのだろう。君は幸せだったのだろうか……」

 夕べきみ寿司を出た後、町をふら付きながら亮介はひとりでずっと考えていた。死ねば貴美子のもとへと行けるかもしれない。あの世で貴美子に会えるかもしれないと。どうせ、もうそう長くはない命を亮介は自分の手で絶とうかとも思った。しかし、亮介にそれをさせなかったのは、アフリカを去る時に見たマホバ族の人々の笑顔だった。小さな子供たちの命を守るため、必死に生きていた村の人たちのことを考えると、自ら命を絶つという行為は彼らに対する冒瀆であるように思えた。

 改めて墓碑に書かれた文字を読んでみると、偶然にも今日が貴美子の命日であることに気が付いた。どういう経緯で送られてきたかは分からないが、あの手紙はやはり貴美子が書いたものなのではないだろうかと亮介は思った。

「君が、ぼくを故郷(ここ)へ呼んでくれたのかなぁ」

 もう一度だけ手を合わせ、供えた花に少しだけ水を足した。

「今思えば、あの時のぼくは間違っていた……。君は許してくれるだろうか?」

 それだけ言うと、寺の入り口で借りた手桶と柄杓を一つにまとめて、亮介は早々に寺をあとにすることにした。

 亮介がそうしようと考えたのには理由があった。命日ということは、家族の誰かが墓参りに来るかも知れないと思ったからだ。墓の前で涙を流している姿を貴美子の父親にでも見られては、昨夜、きみ寿司ではどうにかその場を取り繕ったが、さすがに今度は言い訳のしようがない。

 貴美子がこの世にはいないことが分り、あの手紙の内容が事実であることがわかった今、貴美子と出会ったこと以外、何もいいことがなかったこの街に未練はもうなかった。

 明日にでもここを離れようと考えたが、亮介には最後にもう一か所だけ、どうしても訪ねたい場所があった。

 寺の階段を下り終えた亮介は、もう一度、貴美子に最後の別れを言うかのように振り返り、そしてすぐにまた向き直して商店街の方に向かって歩き出した。

  優子と源治が貴美子の墓参りに寺を訪れたのは、亮介が帰ったすぐ後だった。優子の学校の授業が終わるのを待って寺にやって来た二人は、手桶に水を汲み、それに商店街の花屋で買った仏花と源治が家の庭先から摘んできた花を挿して貴美子の墓へと向かった。途中、樹齢はすでに数百年は経っていると思われる大きな銀杏の樹が三本並んでいるが、この時期はやっと若葉が芽吹き始めたばかりで、なんともまだ頼りなさそうな姿をしている。

「去年はもう、今頃はうぐいすが鳴いていたが、今年はどうかいなぁ」

 春の日差しを遮るために、自分の目の上に手をかざすと、源治は三本の銀杏の樹の上を見上げ、順番にうぐいすを探し始めた。すると、姿は見えなかったが、どこからともなく拙(つたな)い鳴き声が聞こえてきた。

「ホーホケ……キョ、ケキョ……ケ、……ケ……キョ……」

「あら? まだ、練習中なのね」

 期待した鳴き声にはほど遠かったが、優子にはそれがかえって可愛らしく思えた。

「もう少し練習して、上手になったらまた聞かせてね」

 もう少しうまく鳴けるようにならないと、きっと、音痴なうぐいすは姿を見せないだろうと、

「探したって、見つからないわよ」

 まだ樹の上を見上げて探している源治の腕をとって、母親の墓へと急いだ。

 墓の前までやって来ると、母親に見せるかのように源治を墓の前に立たせた。

「お母さん、今日は久しぶりにおじいちゃんも一緒よ」

 優子は、時々母親に会いにここにきているが、源治が訪れるのは去年の命日の時以来、一年ぶりのことだった。

「久しぶりに……は、余計だ」

 源治は店が忙しいことを理由に、このところ来ていなかったことがうしろめたかったのか、少し不機嫌そうにそう言うと、すでに誰かが手向けた花を見つけてそれを指さした。

「この花はお前が?」

「ううん、先週来た時にはなかったわ。それにまだ新しそうなお花よ。お水もたくさん入っているし……。誰があげてくれたのかしら?」

「そうだな。うーん」

 源治も心当たりがないようだった。もちろん、亮介が来たことなど、二人とも微塵も思わなかったことだろう。

「きれいなお花ね。お母さんが好きそうなお花だわ」

「何で貴美子の好きな花をお前が知ってんだ?」

「分かるのよ。娘だから。ね、お母さん」

 女二人、何か秘密の隠し事でもあるのかと、優子の態度を見て源治は思ったが、母親のことをほとんど知らずに育った優子にそんなものはあり得なかった。優子のハッタリだろうと源治は思うことにした。優子は自分たちの持ってきた花を亮介が手向けた花の背丈に合わせて上手に切り揃え、見栄え良くそこに足した。たくさんの花に囲まれた母親を見て、うれしそうにしている優子のその姿に源治は、自分など入り込む余地のない母娘(おやこ)の間の目には見えない絆のようなものを感じていた。

 結局、二人は誰が手向けた花なのか分からず仕舞いのまま、墓の掃除をしたり線香を焚いたりした後、貴美子にまた来ることを告げて帰ることにした。

「おじいちゃん、私、寄るところがあるから先に帰ってて」

「寄るところって、どこへ行くんだ」

「ないしょ」

「内緒? まあいいか。でも、暗くなる前には帰ってくるんだぞ」

「大丈夫よ。もう子供じゃないんだから」

 優子は自分の学生カバンだけ持つと、線香の残りやマッチなど荷物の一切を源治に預け、寺の階段を一気に駆け降りて行ってしまった。

「あいつ、いったいどこへ行くつもりだ」

 源治は走っていく優子が転びやしないかとひやひやしながら、自分は手すりにつかまってゆっくりと階段を降りて行った。

 先に帰った亮介も、今、制服のスカートのひだを風になびかせ階段を元気に駆け下りていった優子も、この時はまだ二人とも知らなかったが、二人はそれぞれに同じ場所を目指していた。

……そう。商店街のマスコット、間抜け顔のフクベェは、今もあの場所で亮介と貴美子、二人の帰りを待ち続けている。(つづく

 

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