「あなたへのダイアリー」 (第五章 不信)-2-

 例年より五日ほど早く東北地方が梅雨入りをしたその日に、優子の長かった試験勉強もようやく一段落した。亮介は優子と約束した通り、試験が終わった翌日の土曜日に、待ち合わせ場所であるフクベェがいる商店街に向かって歩いていた。そして、歩きながらあの日以来、優子がなぜフクベェという名前を知っていたのか、結局、何も分からないままになっていることを考えていた。あのあと何度か、優子をもう一度問い詰めて今度こそ聞き出そうかとも思ったが、そんなことをすれば、今の優子との関係が終わってしまうのでないかという不安もあり、今日まで来てしまった。

 亮介は、当時二人だけの秘密だったフクベェという呼び名を貴美子が誰かに話し、それを後になって優子が間接的にその人から聞いたのだろうと思うことにした。フクベェに餌をやることも、きっと同じような理由なのだろう。そうでなければ、優子が貴美子と同じことを言うはずはない。優子が貴美子の生まれ変わりでないのであれば、きっとそれが事の真相なのだ。

「あっ、冴木さーん!」

 亮介がフクベェの近くまで来た時、亮介に気がついた優子が大きく手を振った。

「ごめん、待たせちゃったかな?」

 亮介は、少し速足でフクベェと優子のところまでやってきた。

「ううん、私も今来たところよ」

「そう、じゃあよかった。ところで、今日はどこへ行くの? もう教えてくれてもいいだろ? 優子ちゃんの行きたい所」

「えへへ、あのね、私、ピクニックに行ってみたいの」

「ピクニック?」

「そう、公園に行って、のーんびりするの。お弁当も作ってきたのよ」

「優子ちゃんが?」

「そうよ。でも、おいしくできたかなぁ。ちょっと心配」

 デパートで買い物とか、流行りの歌手のコンサートだとか、そんなことを考えていた亮介にとって、優子の答えは、あまりにも幼く純粋なものだった。

「浦山公園って知っていますか? そこへ行ってみましょ。お天気は大丈夫かなぁ」

 まさに昨日梅雨入りしたばかりなので、優子が天気を心配するのも当然だったが、亮介はそれについてはあまり心配していなかった。漠然とだが、昔、貴美子と出かけたときはいつも晴れていたように記憶している。優子が貴美子の生まれ変わりではないとしても、貴美子と何もかもがそっくりな優子を見ていると、きっと晴れ女の血筋も母親から受け継いでいるに違いないと自然にそう思えた。

 優子の抱えていた弁当とビニールシートなどの荷物を引き取って、亮介は優子と駅に向かって歩き出した。

「早く、早く」

 そう言って、少し先を歩く白いワンピース姿の優子がとてもまぶしく見えた。

 浦山公園へは駅前からバスに乗り、三十分ほどで着いた。さっきまでどんよりとしていた空は、亮介の睨んだ通りすっかり青空に変わっていた。

「よかった。お天気は大丈夫そうね」

 公園にはすでにたくさんの人が訪れていた。ベンチで二人の世界に浸っているカップルやボール遊びに夢中になっている子供たち、シートを広げてお昼の準備をしているまだ若いその子供たちの両親、それに、年老いた父親の車いすを押す息子と見られる中年の男性など様々だ。

 亮介と優子はどんな風に見えたのだろう。いつもの制服姿ではなく少し大人びた格好の優子と、歳の割には若く見える亮介が並んで歩く姿は、親子というよりは恋人同士にも見えなくはなかった。亮介はともかく、少なくとも優子はそう見られたいと思っていた。

 だから、今日着てきた洋服も、大人の女性が着るようなものなんて持っていなかったが、亮介に合わせて子どもっぽく見られないものを選んだつもりだった。

「なんだ? やけに粧(めか)し込んで。そうか、今日は冴木さんとデートか?」

 出がけに源治にそう言ってからかわれたが、“デートか?” と言われ、からかわれたことを怒るよりも、恥ずかしさの方が先に立ってしまい、顔を真っ赤にして店を飛び出してきた。

 優子は、今日はほんの少しだけ亮介に近づいて歩いて見ようと思った。

 二人は公園の入り口でパンフレットをもらい、しばらくは公園内を散策することにした。さすがに桜はもう散ってしまったが、その代わりに新緑や季節の花々で公園の中は埋め尽くされていた。

「うわー! きれい」

「優子ちゃんは、この公園は初めて?」

「ううん、小さいときにおじいちゃんと来たんだけれど、よく覚えていなくて。こんなにたくさんお花があったんだ」

 大将と二人で来たのだろうか、だとしたら、さっき見たような楽しそうな家族の姿を見て、幼かった優子は自分には父親も母親もいないことをどう思ったのだろうか。大将の言うことによく反発するというが、それは照れ隠しなどではなく、どこへもぶつけることのできない優子の寂しさの裏返しなのではないのだろうか。

“お母さん、ここからお家が見えるからきっと寂しくないわ……”

 母親の墓参りに行ったとき、貴美子がそう言って寂しそうに笑った顔が、目の前にいる優子の顔に重なって見えた。(つづく

 

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