「あなたへのダイアリー」 (第五章 不信)-3-

 五分ほど歩くと、大きな欅(けやき)の樹が立ち並ぶ林が見えてきた。

「立派な樹ね。何の樹かしら?」

「これは、欅だね。随分とたくさん並んでいるね。ひ、ふ、み、よ、いつ…」

 この年寄り臭い、アフリカの子供たちも真似して覚えてしまった数え方は、亮介の癖だった。

「やだー。冴木さん、その数え方おじいちゃんみたい」

「え?」

「ひ、ふ、み、よ……。なんて、うちのおじいちゃんみたいよ」

「そ、そうかな。変かな?」

「変じゃないけど……。ううん、やっぱりヘン!」

 せっかくの恋人気分が台無しになって、優子は少しがっかりしたが、亮介との距離がまた一つ近づいたような気がした。

 欅の木立を抜けると、先にお昼を食べるためのテーブルとベンチを探しに行った優子が、大きく手を振って亮介を呼んだ。

「冴木さーん。こっち、こっち」

「ああ、今行くよ」

 亮介は荷物とともに優子の待つベンチへと向かった。

「よくこんないい場所が空いていたね」

「私、場所取り上手でしょ?」

 優子が持って来たものをテーブルの上に並べていると、近くの木の上でうぐいすが鳴いた。

「ホーホケキョ」

「あっ、うぐいすだ! 今度は上手に鳴けたね」

 この前、母親の墓参りに行った時に聞いた鳴き声に比べ、ずいぶんとうまく鳴けるようになっていたので、優子はうれしくなって、もう一度その鳴き声を聞こうと耳を澄ませた。

「ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ホーホケキョ!」

「よし! 合格」

 まるで、のど自慢の審査委員気どりの優子を亮介はベンチに座ったまま眺めていた。

「冴木さん、ぼーっとしていないで、これそっちに並べてね」

「あ、ああ、ごめん、ごめん」

 優子に言われるまま優子の手作りの弁当を広げ、水筒に入った麦茶をコップに注いだ。

「できあがり! ちょっと早いけどお昼にしましょう」

 優子が自分で作ってきたという弁当は、亮介が食べるには少し気恥ずかしくなるくらいかわいらしいものだった。きっと朝早く起きて一生懸命に作ったのだろう。どれもみんな、手の込んだものばかりだった。

「これ、全部優子ちゃんが作ったの?」

「うん」

「すごいね。どれもみんなおいしそうだ」

 亮介に褒められ優子はとてもうれしそうだった。そこへ、カメラをぶら下げた一人の年配の男性が通りかかった。優子はそのカメラを見て、亮介と二人の写真を撮ってもらうことを思い付き、その男性を呼び止めた。

「すみませーん。写真を撮ってもらえますか?」

「ああ、いいよ」

 男性は快く引き受けてくれた。優子は自分のスマートフォンを男性に預けると、簡単に写真の撮り方を説明した。

「ここを軽く指で触ってもらえれば撮れますので」

「ここかい? どうも、こういうのは苦手でね」

 優子はもっと若い人に頼めばよかったかなと思ったが、

「あれ? お二人さん、もっと近くに寄って、寄って」

 その年配の男性は、年の功なのだろう、優子に遠慮して距離を空けようとする亮介を自然に優子の方に近づけてくれた。優子は、やはりこの人に頼んでよかったと思った。

「じゃあ、撮るよ。はい、バター」

 優子と亮介は一瞬きょとんとしたが、それがその男性のおやじギャグだと気づくと、おかしくて二人で笑った。

「そうそう、その笑顔。いいね」

 この年配の男性は、カメラマンとしての素質がありそうだ。

「ほら、彼氏、彼女の肩に手をまわして!」

 撮影に乗ってきた、にわかカメラマンの男性は、おおよそ亮介がしそうもないことを要求してきた。

「い、いやぁ、それはちょっと……」

 案の定、亮介はさすがにその要求は拒否した。この男性が自分たちのことをどう思っているのか分からないが、娘みたいな歳の女の子にそんなことはできなかった。しかし、そんな亮介の思いとは別に、優子は彼女と言われたことがとてもうれしかったようで、亮介がそうしやすいように、少しだけ亮介の方に近寄ってみた。

「照れ屋な彼氏だね。でも、そこがいいのかな?」

 そう聞かれて、優子は顔を真っ赤にした。

「やだぁ、おじさん、私たちそんなんじゃないんですぅ」

 亮介は、いよいよこの男性の誤解を解かなければと思い、「あの、僕たちはそういう関係ではなくて……」と言いかけたが、やはり年の功なのだろうか、そのカメラマンは役者が一枚上だった。

「あっ! 彼女の頭に大きな蜂が!」

「キャー」

 優子はそう叫んで亮介にしがみついた。亮介も思わず優子を抱きしめた。

 “大丈夫? 蜂は? もういない?”

 言葉にはしなかったが、そんな目をして亮介の腕の中でゆっくりと顔を見上げた優子に “大丈夫だよ”

 亮介も優しく微笑み、目で答えた。

「もう、大丈夫だよ」

 代わりにそう答えたのは、騒ぎを作った張本人だった。男性は優子にスマートフォンを返すと、画面に表示されていた写真を指差し、親指を立てて自分の仕事の出来映えに満足した様子で立ち去って行った。その写真を見た優子は、やっぱりこの人に頼んで本当によかったと改めて思った。

「ありがとうございました!」

 すでに遠くの方を歩く男性に優子は大きな声で礼を言った。男性は振り向かず手を上げてそれに応えると、そのまま見えなくなった。

「なんか、誤解されたまま行ってしまったね」

 亮介は、優子に対して申し訳なさそうな顔をした。

「ほんとね。冴木さんのこと、かれしーだって、ふふ、私のこと、かのじょーだって。ふふふ」

 時々、思い出し笑いをしながらうれしそうにしている優子を見て、亮介は少なくてもそう見られることを優子が嫌がってはいないと思い、とりあえずは安堵した。(つづく

 

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