「あなたへのダイアリー」 (第七章 追憶)-6-

 亮介は、間も無く到着した救急車に乗せられた。優子とキン婆も一緒に救急車に乗り込み、病院へと向かった。

 優子とキン婆は、病院の待合室で亮介をずっと待っていた。少し冷静さを取り戻した優子は、亮介が倒れた時、キン婆が亮介の名前を呼んでいたことを思い出した。

「お婆さん、さっき冴木さんのことを亮介って呼んでいたけれど、どうして冴木さんの名前を知っているの?」

「冴木? あの子がそう言ったのかい? あの子は冴木なんて名前じゃない。あの子の名前は、中谷亮介さ」

「お婆さんはどうして冴木……。いえ、中谷亮介さんを知っているの?」

「あたしゃ、あの子がまだ子どもだった頃から知っているよ。あの子は、性格はおとなしかったが、正義感が強くてね。昔、こんなことがあったよ。ある時、まだ小学生だった亮介が、子犬をいじめていた中学生相手にケンカをしてね。その中学生に大ケガをさせちまったことがあったんだよ。まあ、幸いにも命に別状はなかったんだが……。でも、ケンカに勝ったあの子は泣いていたそうだよ。おそらく、子犬を守るという正義の御旗はあったにせよ、自分で自分を抑えることができなかったことに亮介自身驚いたんだろうよ。自分も父親と同じだと思ったのかも知れないね」

「亮介さんのお父さんと?」

「ああ。亮介の父親は悪い人間ではないんだが、だらしのない男でね、おまけにケンカっ早いときている。頭に血が上ると何をするかわからないようなやつでな。子どものことはめっぽう可愛いがるんだが、夫婦げんかは絶えなかったみたいだ。亮介の父親は外でも家でもしょっちゅうトラブルを起こしていた。あの時もそうだった」

「あの時?」

「ああ、亮介たち英徳高校の野球部があと一歩で甲子園に行けるはずだった、あの夏の日だ」

 キン婆は、あの夏の日に何があったのか、優子に話して聞かせた。優子はそれを黙ったまま聞いていた。

「あの時、町の連中はみんな、当然のことだが事件を起こした亮介の父親を責めた。しかし、中には、亮介や亮介の母親に対して辛くあたる連中もいた。家族なんだから連帯責任だとでも言いたかったんだろうが、甲子園に行くことが叶わなくなって一番ショックを受けたのは亮介自身だったはずだ。あの子は甲子園に出るために、誰よりも一生懸命に練習をしていた。それは町の連中もみんな知っていたはずなんだ。甲子園に行けなくなったことはもちろん、あんなに応援してくれていた町の連中から辛くあたられて、亮介はきっと絶望したことだろうよ。

 でもな、優子、亮介は自分が絶望したからと言って誰かを傷付けるような、そんな子じゃないよ。むしろその逆だ。自分が辛い時こそ、誰かにやさしくできる。そういう子なんだ。

 今思えば、あの時、亮介は貴美子を守ろうとしたんじゃないのかねぇ。あの子なりのやり方で……」

「お母さんを?」

「ああ、理由はどうあれ、人殺しになってしまった父親を持つ自分の存在を、貴美子に忘れさせることが、貴美子の幸せにつながるとそう思ったんだろうよ。だから、貴美子には何も言わず、この町を出て行ったんじゃないのかねぇ」

 優子はキン婆の話を聞いて、亮介が、自分が思っていたような、母親を捨てたただの身勝手な人間ではなかったのだと思った。

「私、亮介さんに酷いことをしてしまった。謝らなくちゃ……。でも、亮介さんは私を許してくれるかしら」

「大丈夫さ。お前が亮介に何をしたのかは知らんが、お前のしたことをいちいち根に持つような、そんな懐の小さな男じゃないよ。それより、優子、お前に会えたことを亮介は喜んでいると思うぞ」

「私に?」

「ああ、そうだとも。貴美子が死んでしまった今、貴美子の忘れ形見のお前に会えたことが、亮介にとってせめてもの救いだ。貴美子が亮介に教えられた通り、人生を一生懸命に生きた証、それが優子、お前なんだから……」

「お母さんが、亮介さんに教えてもらった?」

「貴美子は、亮介がいなくなって、しばらくは泣いてばかりいたみたいだったが、学校だけは休まず行っていた。それが、亮介との約束だったからだそうだ。ある時、貴美子が何か吹っ切れたような顔をして、わしのところにやって来たんだ。そして、わしに向かってこう言ったんだ。

「たった一度しかない青春を、そして誰のものでもない自分の人生を無駄に生きちゃいけない。私は亮ちゃんにそう教えてもらったの。だから、私は泣いてばかりいてはいけないの。いつか、どこかの街で亮ちゃんに出会ったときに、私はあなたのお陰で人生を一生懸命生きることができたのよって、そう言ってあげたいの。だから、私はもう泣かないわってな」(つづく

 

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