「あなたへのダイアリー」 (第七章 追憶)-1-

追憶

「最近、優子ちゃん来ないなぁ。どうしたんだろうなぁ…」

 そうぶつぶつとつぶやきながら、店のドアを開けて中に入ってきた駅前の写真館の店主は、ここ数日、優子が学校から帰る時間になると毎日のように店の前に出て、優子がそこを通りかかるのを待っていた。これまで、亮介が写真館で働くようになる前は、通学路から少し外れた場所にあるこの写真館に、優子が立ち寄るのはごく稀なことであった。店主がアマンドのパイを仕入れた時か、店主の孫の健太に借りたゲームソフトを返しに来るときぐらいだった。

 しかし、亮介が写真館で働いていることを知ってからは、わざわざ少し遠回りをしてまで店に顔を出すようになっていた。その日学校であった出来事や成績のこと、友達や先生のことなど他愛もない話をひとしきり亮介に話してから家に帰るのが日課のようになっていた。店主がすねるので、たまにはジャイアンツの話もしてやるのだが、本当は亮介と二人きりで話をしたいと優子は思っていた。その優子が、亮介とピクニックに行ったあの日の翌日から、店にまったく来なくなってしまった。

「冴木さん、優子ちゃんに何かしたんじゃないだろうね」

「いや、何もしませんよ、ぼくは。ただ……」

「ただ? ただ、何よ」

 もちろん、優子が亮介とピクニックに行ったことを写真館の店主は知らなかった。言えばきっとついてくると言い出しかねなかったから、優子も亮介も店主には黙っていた。

「いえ、何でもないです」

「だめだよ。変なことしちゃ」

「だから、していませんよ。何も」

 亮介には本当に何も心当たりがなかったが、ひとつだけ気になることがあった。先日のピクニックの際、途中まではあんなに楽しそうにしていた優子が、帰る頃になると何となく元気がなかった。その時、気になって亮介がどうしたのか尋ねると、少し疲れたと言っていた。具合でも悪くしたのではと心配になり、ピクニックの後に二度ほどきみ寿司を訪れてみたが、その二度とも亮介は優子に会うことができなかった。亮介が店に行くと、いつもなら真っ先に二階から降りてきて、源治に亮介とのことをからかわれながらも、うれしそうに話し込む優子であったが、二度とも忙しくて手が離せないとの理由で下には降りてこなかった。

「どうしたんでしょうね」

「後で、きみ寿司に行ってみなよ」

「あれ? 旦那さんは行かないんですか?」

「俺は……。俺はいいんだよ」

 写真館の店主は、優子のことが心配だったので、きみ寿司には行きたかったのだが、店に行くと源治にいろいろと小言を言われるのが嫌でなかなか足が向かなかった。最近では嫌なことや面倒なことはすべて亮介任せになっていた。

「こんにちは」

 亮介と店主の背後から、少ししゃがれた声が聞こえたのと同時に店のドアが開いた。

「お客だよ」

店主は椅子にどっかりと座ったまま振り向きもしないで、入ってきたお客の対応を亮介に任せた。

「いらっしゃいませ」

「あれ? 見慣れない顔だね。新人さんかね?」

 その物腰の柔らかい言い回しに聞き覚えがあったのか、店主が店の入り口の方を振り返った。

「あー、先生。いらっしゃい。お久しぶりで」

「今年も寄せてもらったよ。ま、もう年だからね、来年も来れるかどうかわからんがね」

「何言ってんですか、もうすっかりお元気そうで」

 それは、亮介と貴美子の高校時代の担任の山下だった。随分と年を取った感じで、亮介は初めは気づかなかったが、店主の言った先生という言葉を聞いて気がついた。後で店主から聞いた話によると、山下は定年後に大病を患い、しばらく入退院を繰り返していたそうだ。今は、その病気もすっかり良くなり、苦労をかけた妻とともに息子夫婦と孫たちと幸せに暮らしていた。

「奥さんや息子さんたちはどうされました?」

 山下は毎年この時期に親子三世代で家族写真を撮りにやって来た。

「いや、そこで孫がちょっと愚図ったもんだから、あやしているところだ。そろそろ来る頃だろう」

 ドア越しに山下が店の外を覗いていると、

「あれ? あいつ和之か?」

 山下が店の外に出てみると、あの友部和之が二人の子供を連れてこちらにやって来た。

「あ、先生、お久しぶりです」

「なんだ、お前も写真撮りか?」

「ええ、先生もですか?」

「ああ、そうだよ」

「うちも三年前の同窓会で先生に写真のことを聞いて、先生んちの真似して家族写真撮ろうってことになって、毎年ここで撮ってもらっているんですよ」

「そうか、それはいいことだ。子供たちの成長がわかるからな。まあ、お前はまだ成長しきれていないだろうがな」

「またまた、そんなことないですよ。俺ももう、四十四ですよ。こうして立派に父親やっているんですから。あーこら! 喧嘩するな。お前ら言うこと聞かないとぶっ飛ばすぞ!」

 双子の男の子だという友部の子供は、昔の父親そっくりのやんちゃそうな顔をしていた。

「ほー、立派にね」

 山下は子供に手を焼く友部をからかった。

 亮介は思わぬところで再会した二人に顔がばれないように、こんな時のために用意していた伊達眼鏡を掛けて変装した。しかし、子供に手を焼く友部と大病を患って老け込んだ山下は、ともに亮介に気づくことはなかった。後からやってきた山下の妻と息子夫婦、それに三人の孫たち、友部の妻となった安藤みゆきたちとともに二つの家族はそれぞれの幸せを刻んで帰って行った。帰り際、山下が亮介に声をかけた。

「新人さん、どうもありがとう。お陰でいい写真を撮ってもらいました。ところで、あんた、昔どこかで会ったことがあるかね? あんたと同じ目をした男をどこかで見たような気がするんだが……」

 言葉に詰まる亮介の代わりに写真館の店主が答えた。

「先生、先生の勘違いですよ。その人は冴木さんって言って東京の人ですよ。先生は東京なんか行ったことないでしょう?」

「何言っとるか、若いころは何度も行ったぞ。そうか、東京の人か……。どうですか、この街は?」

「えっ? ええ、とてもいい街ですね。自分の故郷……のような……気がします」

「そうですか、田舎の人間はみんないい人間ですよ。ただ、あまりコミュニケーションをとるのがうまくない。時にはそれが誤解を生むこともありますがね。基本的にはいい人間なんです」

 亮介は、山下が「誰も悪くない。昔のことだ、お前も、もう忘れろ」そう言ってくれているように聞こえた。昔、貴美子の変装を見破った山下は、結局、亮介の変装を見破ることなく帰って行った。(つづく

 

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