「あなたへのダイアリー」 (第四章 おやしろ祭)-6-

 決勝戦進出の記事の横には、進出を決めた時に撮ったチームメートとの記念写真が飾られていた。亮介は三十年近く経った今でも、みんなのことを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。亮介がチームメートの前で謝罪した時、町の人間とは対称的に、誰も亮介に文句を言う人間はいなかった。皆、押し黙ってこぶしを握り締め唯々涙を堪えているようだった。それが逆に亮介にとっては辛いことだった。自分の父親の軽はずみな行動で、仲間の夢を断ち切ってしまったことがとても辛かった。その写真に向かって深々と頭を下げ、亮介は優子の待つ体育館へと向かった。

 開演まで、まだ三十分近くあったが、すでに大勢の人が入っていた。亮介は後ろの方に空いていた席を見つけそこに座ることにした。会場を見渡してみると、前の方の席の一角が若い男の子たちで埋め尽くされていた。皆、私服だったが、恐らくこの学校の生徒や近隣の高校生たちのようだ。写真館の店主から聞いたのだが、優子は高校に入った時から今まで、三年間ずっとミス英徳であるらしい。だとすると、幕が開くとその男子高校生たちの正面に優子が現れるはずだ。亮介は、“これもまた伝統なんだな” と思った。ミス英徳は、貴美子の頃から男子生徒の憧れの的なのだ。

 そんな男子生徒の思いとは別に、優子はこれで高校生活最後になる演奏会に集中していた。今日まで三年間、一生懸命練習をしてきた。

 幕が開き、亮介の予想した通り、優子は集まった男子生徒たちの正面に、クラリネットを担当する他の二人の女子生徒ともに座った。

 演奏された曲はどれも日本の新しい曲のようで、長い間海外で暮らしていた亮介が知っている曲はほとんどなかったが、一曲だけ往年の名曲が演奏された時には、懐かしい思いでそれを聞くことができた。『イェスタディ・ワンスモア』アメリカのポップス・デュオが歌ったこの曲は、時代が変わっても色あせることなく、今も歌い継がれているのだと、亮介は昔に比べて世知辛い今の時代に、僅かばかりの安堵感を得たような気がした。あの頃は英語の歌詞の意味も分からず、澄んだ歌声と美しいメロディーに只々酔いしれていた。

 “月日は流れ、楽しかった過去の想い出は、よりいっそう私を悲しませる。いろんなことが変わってしまった……”

 大人になってから知った歌詞の意味には、確かそんなフレーズが含まれていた。

 “It's yesterday once more……”

 曲の最後に亮介の唇が微かにそう動いた。

 演奏が終わって、見ていた観客は皆、舞台上の吹奏楽部の生徒に惜しみない拍手を送った。亮介も優子の頑張った姿を見て感激し、力強く手を叩いた。その姿を舞台の上から優子が見つけ、亮介に向けて大きく手を振った。

「俺に手を振ってくれたぞ!」

「いや、俺の方を見てた。今、目が合った」

「ばか、俺に手を振ってくれたんだ。決まってるだろ!」

「優子ちゃーん」

 自分たちに向けて振ってくれたものと、勘違いした男子生徒たちが前の方で騒いでいる。

 今年のおやしろ祭は盛況のうちに終わった。

  校門を出て少し歩き出すと、後ろから優子が追いかけてきた。

「冴木さーん。ちょっと待って。一緒に帰りましょう」

「あっ、優子ちゃん。もう帰れるの? まだ帰れないと思ったので、先にお店に行っていようかと……」

「うん、後片付けは月曜日の掃除の時間にまとめてするんですって」

「そう、じゃあ、一緒に……。ああ、そうそう、今日は誘ってくれてありがとう。とても楽しかったよ」

「そうですか、よかった。私の演奏どうでした?」

「とってもよかったよ。一生懸命練習したんだね」

「うん! だってみんなとできる最後の演奏会だから」

「最後の?」

「私たち三年生はもうすぐ受験勉強で忙しくなるから、部活ができるのはこのおやしろ祭までなの。だから高校生活最後の演奏会だったってわけ」

「そう。じゃあ、ちょっと寂しいね」

「ううん。今日の演奏で全部出し切ったから、あとは後輩たちに頑張ってもらうわ。来年も全国大会に出られるように」

「全国大会か、そいつはすごいなぁ」

 どうりで……。音楽の素人の亮介が聞いても、田舎町の高校生の演奏にしてはレベルが高いと思った。

「冴木さんは、どんな高校生だったんですか?」

「え?」

「冴木さんは高校生の頃、部活は何をしていたんですか?」

「えーと」

 亮介は少し考えたが、あとでボロが出ないようにそこは正直に答えた。

「野球部に入っていたよ」

「えー本当に? やっぱりなぁ、スポーツマンって感じだもの」

「そ、そうかい?」

「ええ。もしかしてピッチャーだったとか」

「う、うん、まあ」

「すごーい! じゃあ、甲子園とか目指してたんですか? って言うか、甲子園に出たことがあったりして」

「えーと、その……」

 自分の素姓がばれないように、亮介が優子の質問をどうはぐらかそうか考え込んでいたその時、交差点の角を一台の自転車が猛スピードで曲がってきた。

「危ない!」

 亮介は反射的に優子を抱き寄せ、自転車と優子の間に自分の体を割り込ませた。飛び出してきた自転車はそのまま走り去ってしまった。

「危ないなぁ、なんて運転をするんだ。優子ちゃん、ケガはなかった?」

「は、はい……」

 亮介の胸の中で優子がそう言って小さくうなずいた。亮介は抱きしめていた手を解いて優子がケガをしていないか自分の目でも確かめた。

「よかった……。それにしても危ない奴だな」

 亮介はまだ怒りが収まらず、唇を固く結んだまま自転車が逃げ去った方向を睨みつけていた。そして、優子は体をこわばらせたまま、そんな亮介の横顔をじっと見つめていた。

「遅くなっちゃったね。おじいさんが心配するから急ごうか」

「はい」

 こんな時、いつもなら大将に対する愚痴のひとつもこぼす優子だが、この日はなぜか妙に素直だった。“あんな危ない目に会って、きっとショックだったんだろうなぁ” 亮介は、いつになくおとなしい優子を見てそう思ったのだが、優子の方はどうもそうではなかったらしい。

 亮介と初めてきみ寿司で会った時、それほど亮介のことが気になったわけではなかった。でも、二度目にフクベェの前で偶然出会った時から、少しずつ亮介のことが気になり始めた。先日、亮介が店にやってきた時も、ついついはしゃいでおしゃべりになり、亮介が帰ろうとした時、なぜか悲しい気持ちになった。近頃では、ひとりでいても、気がつくといつの間にか亮介のことを考えてしまっている。

 優子は、自分でもどうしてなのかずっとわからなかったが、さっき亮介に思いがけず抱きしめられて、それがなんだったのか、今、はっきりとわかった。

 “私、冴木さんに恋をしている……”

 それは、優子にとってはじめての恋のはずであったが、何故か遠い昔にもこんな気持ちになったことがあるような不思議な感じがしていた。今、隣を歩く亮介に手を差し出せば、亮介が自然とその手をつないでくれそうな、前にもそうしてもらったことがあるようなそんな懐かしさだった。

 “まだ、出会って間もない人に、どうしてこんな気持ちになるの? 冴木さん、私、あなたのことを……”

 優子に見つめられ、亮介がそれに気付いた。

「ん? どうかしたの?」

「い、いえ、何でも……ないです……」

 赤くなった顔を亮介に見られないように優子が下を向くと、前に伸びた自分の手の影が、亮介の影に触れたように見えて、優子は思わずその手を引っ込めた。亮介と本当に手をつないだような気がして恥ずかしかった。

  二人がきみ寿司に着くと、大将がいつもの威勢のいい声で出迎えてくれた。

「いらっしゃい! 毎度どうも。あれ? 今日はお連れさんがいるんですかい?」

 大将にそう言われて、亮介が後ろを振り向くと、店の入り口で優子が背中を向けてとぼけている。

「あ、いや、実は……」

 亮介がそう言いかけたところで、大将もそれが優子であることに気がついた。

「あれ? なんだ、優子じゃねえか」

「たっだいまー」

「なんだお前、冴木さんといっしょだったのか」

「そうよ。学校から一緒に帰って来たの」

「そうだったんですか。冴木さん、今日はすみませんでしたね。こいつのわがままにつき合わせちゃって」

「いや、とんでもない。とても楽しかったですよ。自分も高校生に戻ったようで。それに、優子ちゃんはとっても頑張っていましたよ」

 “ほらね。誘ってよかったでしょ” そんな勝ち誇ったような顔で優子が大将を見た。

 大将はそれが少し悔しかったのか、

「さあ、お二人さんどうぞ。狭い店ですがお入りください」

 皮肉交じりにそう言って、カウンターにおしぼりと箸を二つずつ並べた。

「大将がああ言っているから、入ってあげましょ」

 優子は、亮介の背中を押して店に入ると、ちゃっかりとカウンターに座った。そんな微笑ましい光景を見ながら、出来る事なら、この幸せがもう少しだけ続くことを亮介はひとり祈った。(つづく

 

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