「あなたへのダイアリー」 (第四章 おやしろ祭)-4-

 優子が学校から帰ってきて、店の雰囲気は随分と明るくなった。優子自身も亮介がいるせいか、少しはしゃいでいるように見えた。父親を知らずに育った優子にとって、この時の亮介はいったいどんな存在であったのだろうか。もちろん、今、奥の座敷で飲んでいるサラリーマンたちとなんら変わらない、縁あってたまたま二度ほど店を訪れた単なる客というだけの存在だったかもしれない。しかし、亮介と話すとなぜか懐かしさがこみ上げ、気がつくといつもよりはしゃいでいる自分がいることに優子自身も気づいていた。

 優子はこれまで男性に対してこんな気持ちになったことがなかった。美人で明るい優子に言い寄ってくる男は、学校の同級生はもちろん、先輩、後輩を問わず大勢いた。しかし、優子はこれまで誰とも付き合うことはなかった。「どうしてあんなイケメンなのに付き合わないの?」嫉妬半分にそう言ってくる女友達に、優子はいつも決まって「ピンとこない」そう言うのだった。

 そんな優子が、亮介に対してだけはなぜこんな気持ちになるのか、それは、優子本人にも分からなかった。

  大将は、亮介の相手を優子に任せたまま、しばらく戻ってこなかった。そろそろ九時を回ろうとしていたところで、亮介は、優子に先日の一件を聞いてみることにした。

「ところで、この前商店街で会った時に、あのフクロウのオブジェをフクベェって呼んでいたけど、あれ、福助って名前じゃないの?」

「ええ、そうよ」

「どうして、フクベェって……」

「だって、フクベェって名前の方が、あの顔に合っていてかわいいでしょ?」

 “貴美子と同じことを言っている……” 亮介は、その言葉を聞いてとても驚いたのだが、それを優子に悟られないように、努めて冷静さを装った。

「その名前、優子ちゃんが考えたの?」

 優子は何か考えていたようで、すぐには返事を返さなかった。亮介は、もう一度聞いてみることにした。

「優子ちゃんが?」

「う、うん。まあ、そんなところかな」

 さっきまでの元気はどこへやら、何となく歯切れが悪かった。奥の座敷では、何の話で盛り上がっているのか大きな笑い声が聞こえている。亮介は、もう少し食い下がってみることにした。

「もしかして、誰かに聞いたとか」

「ううん、そうじゃないわ。私が考えたのよ」

「そう」

「フクベェに餌をやることも?」

「そう、私が考えたのよ。あの子、食いしん坊みたいな顔してるでしょ?」

「でも、豆をたった三粒だけだよね?」

「ええ、あの子、太り過ぎだから…食べ過ぎは健康に良くないわ」

 亮介は自分で鎌を掛けたくせに、優子の口から貴美子と全く同じ答えを聞いて、次に出すべき言葉を失っていた。

 “何故、この子は貴美ちゃんと同じことを言うんだ。どうしてなんだ” その言葉をずっと心の中でつぶやいていた。

「ね、そう思うでしょ?」

 優子にそう言われて、亮介はやっと我に返った。

「そ、そうだね」

 そして、優子が貴美子の生まれ変わりではないことを確かめるために、次々と質問を投げかけた。

「あそこへはよく行くの? いつも一人で行くの? えーと、そ、そうだ、フクベェの餌はどこで買うの?」

 気が付くと、亮介はいつの間にか、優子を問い詰めるような口調で質問を浴びせかけていた。

「どうして、そんなにフクベェのことを聞くんですか?」

 優子の怪訝そうな顔を見た亮介は、我に返り、乗り出した身を収めるように椅子に座り直してビールを一口飲んだ。

「あ、いや、ちょっと気になっただけで、特に理由はないけど……」

「ふーん、フクベェのことが気になったんだ。冴木さんは、私なんかよりフクベェに興味があるんですね。ちょっと、やきもちだなぁ」

「い。いや、そういうわけじゃないんだけど…」

「冗談ですよ。それより、土曜日忘れないでくださいね」

「あ、ああ。お昼過ぎ、一時に校門前だね?」

「ええ」

 帰り際、優子が店の外まで出て見送ってくれた。

「冴木さん、また……また、来てくださいね」

 何故か寂しそうに見えた優子のその姿が、貴美子の姿と重なって思わず亮介の目に涙が浮かんだ。

 結局、肝心なことは何も分からなかった。しかし、“あの子は何かを知っている” 亮介は直感的にそう感じていた。ただ、それを確かめている時間が自分にあるのか、ここ数日、激しい耳鳴りと目まいに何度か襲われた。もう、あまり時間がないのかも知れない。亮介は、土曜日のおやしろ祭に懸けて見ることにした。もう一度、優子に会えば、今度こそきっと何か分かるかもしれない。気がつくと、街頭に照らされたフクベェの姿が遠くの方にぼんやりと見えた。

「あいつは、いつも幸せそうだな」

 フクベェの間抜け顔を思い出したら急にフクベェに会いたくなった。少しまわり道になるが、亮介はこの前キン婆のところで買った豆ピーをフクベェにあげてから帰ることにした。その場に立ち止まって上着のポケットに手を忍ばせ、しまい込んだままの豆ピーの袋がまだあることを確かめると、人影も疎らな商店街を再びゆっくりと歩き出した。

 フクベェは慰めてくれるだろうか。貴美子がいない今、せっかく自分の生まれ故郷に帰ってきたのに、家族も友達もいない亮介が本音を話せる相手は、もうフクベェしかいなかった。

 土曜日、亮介は優子に言われたとおり、午後の一時に英徳高校の正門前にやってきた。すでに多くの人々が訪れており、亮介は人目を避けるように門の傍らで優子が迎えに来るのを待っていた。

「冴木さーん!」

 そこへ、優子が手を振りながら走ってやってきた。

「ごめんなさい。待たせちゃいました?」

「いや、さっき着いたところだから」

「そうですか、よかった。これ、チケットです。三時に体育館が開場するので、それまでは学校の中をいろいろ見ていてくださいね。じゃあ、私、準備があるので」

 優子はそれだけ言うと、急いで校舎の中へとまた戻って行った。亮介は優子から手渡されたチケットを上着の内ポケットに入れ、校門から入ってくる人の波が少し収まるのを待って、ひとりで校舎の中に入った。

 各教室は、それぞれ部活ごとのブースに分けられて学生が日ごろの成果をパソコンやビデオを使って展示していた。中には、昔のように手書きの模造紙を張り出しているところもあった。よく見るとその模造紙を張り出していた部活は、亮介も昔所属していた英徳高校の野球部だった。その展示の内容は、これまでの実績とレギュラー選手のプロフィール、それにカーブやシュート、フォークボールなどボールの投げ方の解説などが張り出されていた。

「昔とまったく同じだ。もはや、ここまで来るとこれも伝統の一つだな」

 亮介は呆れたような顔でそう呟いたが、自分たちもまた、あれこれ新しい企画を考えるのが面倒で、毎年同じことをしていたことを思い出した。

 ふと目をやると、ブースの後ろの方に県大会の決勝に進んだ時の記事がひっそりと貼りだされていた。毎年、せいぜい二回戦までしか勝ち進むことができない野球部が、過去にたった一度だけ輝いた瞬間があった。亮介がこの野球部のエースだったあの夏のことだった。(つづく

 

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