「あなたへのダイアリー」 (第四章 おやしろ祭)-1-

おやしろ祭

「近いうちにまた……」

 きみ寿司にまた行くことを亮介はそう言って優子と約束したのだったが、その約束を果たさないまま、気が付くともう、既に一週間が過ぎていた。

 ひょんなことから、駅前の写真館で働くことになってしまった亮介は、意外にも充実した日々を送っていた。“客など来るのだろうか” と亮介は思っていたが、町に一軒しかないこの写真館には、毎日数人の客がやってきた。もっともその中には、いつも決まった時間にやって来る店主の茶飲み友達も何人か含まれていたので、正確には訪れた全部が客とは言えなかったが、それでも、今どきは珍しくなった写真の焼き増しに訪れる人や、家族写真を取りに来る人などもいて、その度に亮介は店主にいいように使われていた。しかし、そのおかげで、ここ数日は自分の病気や先のことを考えず、好きな写真に没頭することができた。

 ただ、優子がなぜフクベェという名前を知っていたのか、そのことだけはずっと頭から離れずにいた。

 “きみ寿司に行って確かめなければ……” そう思ったが、先日、店を訪れた時、貴美子が本当に亡くなっていた事実を知らされ、動揺して店から逃げるようにして帰ってしまったことを大将がどう思っているかが気になって、なかなか店に行く決心がつかず、結局、今日まできてしまった。

 そんなある日の夕方、写真館の店主が店の奥の部屋で写真の現像をしていた亮介を呼びに来た。

「冴木さん、ちょっとこっちに来なよ。この前言った俺の友達を紹介するからさ」

 また一人、茶飲み友達が増えたかと思いながら、亮介が部屋を出て店先にやって来ると、そこには制服姿の優子が立っていた。写真館の店主は自分の経営者としての立ち位置を誇示するかのように、優子に亮介を紹介した。

「優子ちゃん、ほら、この人だよ。俺が雇ってやった……」

 店主が亮介のことをどんな風に優子に伝えていたかは分からないが、街をふら付いていた変な男の面倒を、俺が見てやっているんだというような店主の自慢話に聞こえた。しかし、店主に自慢話を言い終える間も与えず、優子がその言葉を遮った。

「え? 冴木さん?」

「や、やあ……」

 店主の自慢話が不発に終わってしまうことを気の毒に思った亮介は、店主に気を使って、優子とはそれほど親しいわけではないという態度をとった。

「あれ? 何だい何だい、二人は知り合いかい?」

 二人がどのくらいの知り合いなのか、店主は知りたそうだった。

「うちになかなか来てくれないと思ったら、こんなところにいたんですね」

 優子は店主の問いかけに直接答えなかったが、少なくとも優子が、亮介にきみ寿司に来て欲しいと思っていることがわかって、店主は亮介にライバル視するような視線を投げかけた。そして、自分の方が優子とは親しいことを示したかったのか、冗談めいた優しい口調で優子に言った。

「おいおい、優子ちゃん、こんなところはねえだろう」

「あら、ごめんなさい」

 優子が店主の冗談にニコリと笑って謝ったことで、店主は鳴りを潜めた。優子は亮介との会話に集中することにした。

「うちのおじいちゃんも心配していましたよ」

「大将が?」

 大将が心配していたということが、亮介には意外だった。

「ええ、なんか気に障ることでも言っちまったかなぁ……。なんてね」

「いや、そんなことないよ、全然ないよ」

「そう、それならよかった。じゃあ、今度こそ絶対来てくださいね」

 亮介は首を縦に振って優子に答えたが、鳴りを潜めていた写真館の店主は、「絶対来てくださいね」と優子に言われた亮介がうらやましかったようで、また、亮介と張り合った。

「優子ちゃん、俺も行くよ」

「じゃあ、冴木さん待ってまーす」

 亮介との会話に集中していた優子には、店主の声が聞こえていなかったらしい。

「優子ちゃん、俺も行くよ!」

 店を出て走り去って行く優子に店主がもう一度叫んで訴えると、

「おじさんも待ってるわね!」

 何かのついでのようにも聞こえなくはなかったが、優子が手を振って返事を返した。

 店主は俺の勝ちだと言わんばかりに、顎を突き出し胸を張って、

「待ってるって、この俺を」

 そう言い残して、店じまいの後片付けの一切を亮介に押し付け、自分は向かいの喫茶店に入っていった。亮介は、店主に何の勝負を挑まれたのか分からぬまま、その勝負とはまったく別のことを考えていた。

「大将、変なやつだと思っただろうなぁ」

 貴美子が死んだという現実を実の父親から聞かされて、アフリカから戻る時から覚悟はしてきたつもりだったが、亮介はあの時、明らかに動揺していた。大将にしてみれば、初めて店にやってきた見知らぬ男が、なぜそんなにも驚いたのか不可解であったことだろう。亮介は、再びきみ寿司を訪れるための言い訳をあれこれと考えてみたが、どれも大将を納得させるには荒唐無稽で説得力に欠けると思った。結局、一晩考えたあげく、優子が店に居そうな時間に行けば何とかなるだろう。優子が居れば、上手く話を合わせてくれ、大将にも気を使わせることはないだろうと、亮介は一縷(いちる)の望みを優子に託し、翌日思い切ってきみ寿司を訪れてみることにした。(つづく

 

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