「あなたへのダイアリー」 (第四章 おやしろ祭)-3-

 その後、しばらくはありきたりの世間話をした。座敷の客はサラリーマンらしく、お決まりの上司の悪口に花を咲かせている。

「大将! 生ビールちょうだい! 二つ、いや三つね」

奥 のサラリーマンから再び声がかかった。

「あいよ! 今、持っていくよ」

 大将がビールを持って行き、しばらくサラリーマンたちと何やら話をして戻ってきた。

「やれやれ、上司の愚痴でもこぼされるのかと思ったら、もうすぐ三十にもなる娘の自慢話を聞かされたよ。まったく、親ばかだねぇ」

 大将は亮介に向かってそう言うと、貴美子のことを思い出したのか “こんな話を聞かされると辛いね” というような顔をしてみせた。

 七時半を過ぎたころようやく優子が学校から帰ってきた。

「ただいま!」

「やっと帰ってきたな、ずいぶんと遅いじゃねえか」

「今朝、今日は遅くなるって言ったじゃない」

「それにしても、遅すぎやしねえか」

「しょうがないじゃない。最後の追い込みなんだから」

 このままだと二人が喧嘩になりそうだったので、その様子を見ていた亮介が気を利かせて声をかけた。

「お帰り。優子ちゃん」

「あ、冴木さん! 来てくれたんですね」

「おい、優子!」

 大将はまだ小言が言い足りなかったようだが、優子はもう、亮介のことしか眼中になかった。

「まだ帰らないでしょ? ね? ちょっと待っていて。すぐに着替えてくるから」

 そう言って、優子は二階に駆け上がっていった。

「あいつ、俺の言うことなんか聞いちゃいない」

 大将は、優子が帰ってきて安心したのか、その言葉とは裏腹に少し嬉しそうだった。

「貴美子の方が、まだ言うことを聞いたんですがね」

「優子ちゃんの……」

「ええ、あいつ、母親にそっくりなんですよ。見た目もそうなんですが、なんて言うか仕草とか性格とかも」

「へー、そうなんですか」

 亮介も大将と同じ意見であったが、本当のことが言えなかったので、あえて意外そうな顔をしてみせた。

「生き写しっていうのかねぇ……」

 大将の顔が少し寂しそうに見えた。

「なんの話?」

 そこへ、着替えた優子が二階から降りてきた。

「どうせ、また私の悪口でも言ってたんでしょう」

 優子は、手に持っていたエプロンの紐に首を通すと、慣れた手つきでもう一本の紐を後ろ手に結んだ。

「そうじゃねえよ。お前が貴美子に似てるって、言ってたんだよ。ね、冴木さん?」

「ええ」

「ふーんそうなの。そうそう、私のお母さんね、私に似て美人だったんだって」

 誰がどう見ても美人なのだが、優子が自分でそう言っても不思議と嫌味には聞こえない。

「ばか、美人かどうかは知らねえが、お前が貴美子に似ているんだよ」

「ああ、そっか。でも、美人だって言ったのは、駅前の写真館のおじさんよ」

「あの野球バカは、誰にでもそう言うんだよ」

「あら、そんなことないわよ。ね、冴木さん?」

「うん、ああ、優子ちゃんのお母さんのことはわからないけど、優子ちゃんはかわいいと思うよ」

 亮介にそう言われて、優子はうれしそうに顔を赤らめた。そして、照れ隠しなのか自分のことではなく、母親の話をし始めた。

「私のお母さんね、私と同じ英徳高校に通っていたのよ」

「そうなの」

「うん、それでね、吹奏楽部に入っていてね、クラリネットを吹いていたのよ」

「優子ちゃんは、お母さんのことよく知っているんだね」

「うん、でも少しだけね。写真館のおじさんが教えてくれたの。うちのおじいちゃんよりお母さんのことよく知っているのよ」

 大将は、奥のサラリーマンたちに呼ばれていていなかった。

「生きていれば冴木さんと同じくらいの年齢だから、きっと冴木さんもお母さんに惚れちゃったわよ。何しろ私に似て美人だ・か・ら」

「そ、そうだね」

 亮介はそう言って苦笑いをした。

「そうだ! 冴木さん、今度の土曜日なんですけど、おやしろ祭見に来ませんか?」

「おやしろ祭?」

「そう、英徳高校の文化祭なんです」

 優子に言われて亮介も思い出した。もちろん、高校に文化祭があったことは覚えていたが、それをおやしろ祭と言ったかどうかまでは、はっきりと覚えていなかった。

「高校の文化祭に、こんなおじさんが行ったらおかしくないかい?」

「おじさんだなんて、冴木さんはそんな風には見えないですよ。それに、生徒の父兄も大勢来るし、おじいちゃんやおばあちゃんも来ますよ」

「へーそうなの」

 そう言われてみると、昔もそうだったかも知れないと亮介は思った。

「ね! いいでしょ?」

「うーん、そうだなぁ」

 亮介は迷っていた。貴美子との思い出が詰まった高校へは行ってみたいと思ったが、町の人間が大勢来るということは、そこで自分のことを知る人間、例えば当時の同級生や先生たちに合わないとも限らない。彼らは当時のことを許してくれるだろうか、それとも自分の思い過ごしで、誰ももうそんな昔のことなど気にも留めていないのだろうか。亮介が決めかねていると、亮介が優子の誘いを断れなくて困っていると思ったのか、サラリーマンたちの相手から戻ってきた大将が話に割り込んできた。

「冴木さんいいですよ、無理しなくても。どうせ、大したことやるわけじゃないんだから。やきそば作ったり、踊りを踊ったり……」

「そんなことないわよ! そりゃ、やきそばや踊りもあるけど……。それは地元の青年団と婦人会の人が毎年やっているもので、私たち学生は普段の部活の練習の成果を発表する場なんだから」

「優子ちゃんは部活何やっているの?」

吹奏楽部よ。お母さんと同じ」

「もしかして、クラリネットを?」

「うん」

「まあ、大してうまくもないだろけど、良かったら聞きに行ってやってください」

 大将はそう言い残して、再び奥の座敷に行ってしまった。

「じゃあ、せっかくだから優子ちゃんのクラリネットを聞かせてもらおうかな」

「本当に? やったー。私、がんばる!」(つづく

 

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