「あなたへのダイアリー」 (第四章 おやしろ祭)-5-

「亮介! がんばれ。俺たちが付いているぞ!」

 この年、英徳高校の野球部は快進撃を続けていた。いつも二回戦敗退だった野球部は、気がつくとすでに決勝まで勝ち進んでいた。何と言っても、三回戦で対戦した甲子園出場の常連校である、宮城志津石高校に延長サヨナラ勝ちした英徳高校は、地元新聞にも大きく取り上げられ一気に知名度を上げた。

「こりゃあ、甲子園も夢じゃないかもな」

 誰もがそう思い始めたころ、その事件は起こった。

  甲子園出場を賭けた決勝戦を一週間後に控えた英徳高校では、甲子園への応援バスや旅館の手配などを行うために、夕方から父兄を集めて話し合いを行っていた。当然、亮介の父親にも声がかかり、父親は鼻高々にその場に現れた。

 亮介の父親は悪い人間ではなかったが、お調子者で、それでいてけんかっ早くこの町ではよくトラブルを起こしていた。一人息子の亮介のことは小さいころからよく可愛がっていたが、夫婦仲は悪く家庭内でのもめ事も絶えなかった。

 子供のころから、亮介は父親も母親も両方好きであったが、どちらの味方もできず、結局は一人でいることが多かった。

 亮介の活躍を、話し合いの場に訪れた生徒の父兄みんなから褒められ、上機嫌で学校を出た亮介の父親は、その帰り道、一杯呑もうと駅前の居酒屋に立ち寄った。そこでも何人かの知り合いに亮介のことでおだてられ、初めのうちは機嫌よく呑んでいたが、

「けっ! 大したことねえじゃねえか。まだ、甲子園が決まったわけじゃねえだろ?」

 その様子を店の奥で鼻持ちならぬ思いで見ていた一組の客が、因縁をつけてきた。

「なんだと!」

「いちいち騒ぐなって言うんだよ。まぐれで勝ったからって。それとも、八百長でもやって勝ったか? あのピッチャーの中谷もとんだ食わせもんだぜ」

 亮介の父親は、亮介たち野球部員にとって、今がどんなに大切な時期であるかということは十分理解していたつもりだったが、自分の息子を八百長呼ばわりされて、一気に頭に血が上ってしまった。

「ふざけるな! もういっぺん行ってみろ! てめえ、俺の亮介を八百長呼ばわりしやがったな!」

「ああ、何度でも言ってやるよ。いい気になるな! この八百長やろうが!」

「このやろう、許さねえぞ!」

 そうやってほかの客も交じって喧嘩が始まってしまい、運の悪いことに亮介の父親が殴った相手が倒れた拍子に頭を強く打ち、救急車を呼ぶ事態になってしまった。警察も来て双方の言い分から、喧嘩の原因は因縁をつけてきた相手側の方にあることは認められたが、先に手を出したのが亮介の父親であったため、亮介の父親はそのまま警察に連れて行かれてしまった。さらに、殴った相手が運ばれた先の病院で亡くなり、それが決勝戦で戦う相手高校の関係者であったことから、騒ぎはさらに大きくなった。事件の連絡を受け、英徳高校では緊急の保護者会を開き、そこで決勝戦への出場を辞退することを決めた。

 野球部員はもちろんのこと、町の人間もみんな一様に落胆した。悪いのは、挑発されたからと言って相手を殴り死なせてしまった亮介の父親であることに間違いないのだが、それは誰しもが分かっていたが、熱に浮かされたように、甲子園出場があまりにも大きな夢になっていた町の人間は、その反動から、家族である亮介や亮介の母親にもその怒りの矛先を向けてしまった。心労から倒れてしまった母親に代わって警察からの呼び出しや亡くなった相手への謝罪など、亮介はひとりでそれらをやらなくてはならなかった。そんな亮介のことが心配で、貴美子は何度も亮介に会いに家に行ったり電話を掛けたりしたが、今のように携帯電話などないこの時代、結局会うことも話すこともできなかった。

 貴美子が亮介に会うことができたのは事件から五日後、亮介からの電話でフクベェの前で会うことになった。

「貴美ちゃん、心配かけてごめん」

「亮ちゃん、大丈夫?」

 貴美子は思っていたより元気そうな亮介を見て少し安心した。会えなくなって、たった五日しか経っていないのに随分と長い間会っていなかったような気がした。

「うん、僕は大丈夫だけど、母さんがちょっと……」

「お母さん、いまどうされているの?」

「とりあえず、病院からもらった薬で今のところは落ち着いているけど、もともと、心臓が弱いから」

「そう……」

 噂には聞いていたが、やはり亮介の母親の具合はあまりよくないのだと思った。

「貴美ちゃんは、今回のことで何か嫌な思いとかしていない? 僕と一緒にいることが多かったから、何か言われたりしているんじゃないかって心配で、そのことだけはどうしても謝りたくて……」

「謝るだなんてそんなこと……。私は大丈夫よ。それより、亮ちゃんの方が心配だわ。何か、私にできることはない? 何でも言って」

「ありがとう。でも、大丈夫だよ。僕は」

「本当に? あまり、ひとりで抱え込まないでね。私にも相談してね。私、亮ちゃんの力になりたいの」

 貴美子は、例え町の人間全員が亮介のことを責めても、自分だけは亮介を支えたいと思った。

「貴美ちゃん、僕はしばらくの間、学校を休むけど、心配しないで。落ち着いたら連絡するから」

「それまで、会えないの?」

「ごめん……」

「もう、会えないなんてことはないよね? ねえ、そうでしょ?」

 貴美子は、何か言いようのない不安を覚えて亮介にそう尋ねたが、

「うん。そんなことはないさ」

 亮介は、貴美子のそんな不安を払いのけるような優しい笑顔を見せた。

「約束して。お祭りの日にここで会うって」

「お祭り?」

「ええ、夏まつりの日の夜、私ここで待っているわ」

「……」

 亮介は黙ったままだった。

「ね、絶対よ。私待っているから。絶対待っているから。絶対よ。絶対なんだから……」

 貴美子は、亮介がまた「ごめん」と言うのではないかと思い、そう言わせないために何度も何度も言い続けた。亮介は、これ以上黙っていると貴美子が泣き出しそうだったので、自分の決心とは逆のことを言った。

「うん。わかったよ。夏まつりにはここで会おう」

「約束してくれる?」

「うん。約束するよ」

 亮介が差し出した小指に、泣きべそ顔の貴美子が自分の、か細い小指を絡ませた。これが、二人が約束を交わすときのいつもの儀式だった。

「じゃあ、母さんが心配だから帰るね」

 貴美子の安心した顔を見て亮介はそう切り出した。貴美子は亮介をもっと、いや永遠に引き留めておきたかったが、母親のことを言われては、それ以上どうすることもできなかった。

「貴美ちゃん、さようなら……」

 学校の帰り、いつも貴美子と別れる時は「貴美ちゃん、またね」と言っていた亮介が、この日だけは「さようなら」と言って帰っていった。

  数日後、夏まつりの夜、貴美子はフクベェの前で亮介を待っていた。亮介が来ないことを知りながら……。

 亮介が母親とともにこの町を出て行ったことを貴美子が知ったのは、亮介と夏まつりの夜に会う約束した日の三日後のことだった。貴美子は亮介の姿を探して町中を走りまわり、だれかれ構わず聞いてみたが、亮介がどこへ行ったのか誰も知らなかった。それでも、“もしかしたら” そう思い、亮介を信じてここへやってきたのだったが、いくら待っても亮介は現れなかった。一時間が経ち、二時間が過ぎようとした頃、雨が降り出して祭りも途中で中止になった。

 貴美子は近くの店の軒先を借りて雨宿りができたので、ずぶ濡れにこそならなかったが、着ていた浴衣は肌にまとわりつくほど濡れてしまった。

「亮ちゃん、あんなに約束したのに……。嘘つき……」

 前髪を伝って顔に落ちた雨粒が、貴美子の堪(こら)えていた涙を押し流した。一緒に待っていたフクベェの間抜け顔も、この日の夜だけは悲しそうに見えた。(つづく 

 

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