「あなたへのダイアリー」 (第三章 生まれ変わり)-4-

 翌日、亮介は新聞社との契約を継続しないことを正式に決めた。戦場で命を懸けて働いたが、雇われカメラマンは電話一本でその手続きが完了した。

 電話を切った亮介は、昨日、フクベェの前で出会った優子のことを考えていた。フクベェの陰から飛び出してきた優子、福助をフクベェと呼び、そのフクベェが食いしん坊だからと豆ピーを与える優子、しかも、左の足元に三粒だけ。それらはすべて、昔、貴美子がしていたことで、そのことを知っているのは、貴美子以外は亮介しかいないはずだった。

 “あの娘は、本当は貴美ちゃんの生まれ変わりなのではないのだろうか? だとしたら、俺のことを知っているはずだ。でも、あの娘は俺のことを全く知らない様子だった……。どうしてなんだ”

 亮介も、優子が貴美子に外見が似ているというだけなら、そこまで深く子供じみた詮索はしなかったであろう。しかし、優子は知っていた。貴美子と亮介しか知らない二人だけの秘密を優子は知っていたのだ。

  しばらく、あてもなくふらふらと町の中を歩いていたが、気がつくといつの間にか町の野球場に来ていた。そこは、亮介も何度も試合で訪れたことがあるこの町で唯一の野球場だった。当時、貴美子が変装までして、亮介の試合をこっそり見ていた土手の芝生はあの頃に比べて幾分荒れたように見えた。

「おーい、センター、少し下がれ!」

 グラウンドの方から声が聞こえた。この時期は毎年、夏の甲子園大会の地区予選が行われている。よく見ると、守備側のチームは英徳高校の野球部だった。

「六回の表、0対2、ツーアウト満塁か。ピッチャーはここが踏ん張りどころだな」

 土手に腰を下ろした亮介が、持っていたバッグから愛用のカメラを取り出し、望遠レンズの先をマウンドに向けると、ファインダーの中にエースの苦しそうな顔が見えた。

「がんばれ……。きみは一人じゃない」

 亮介は頭の中で、あの頃、こういうピンチを何度も仲間に助けられたことを思い浮かべていた。

「亮介! 思いきって行け。守りは俺たちに任せろ!」

 そんな声が今も耳に残っていた。マウンドにいるエースはまだ投げる球が決められないらしい。“がんばれ” そう言いながら亮介はシャッターを切った。

「そんないいカメラで狙うほどの選手は、ここにはいやしねえよ」

 カメラのファインダーを夢中で覗き続けていたので、いつの間にか背後に人が立っていたことにまったく気づかなかった。亮介が驚いて振り向くと、ジャイアンツの帽子をかぶった老人がすぐ後ろに立っていた。老人は驚いている亮介にかまうことなく言葉を続けた。

「こう言っちゃ何だが、英徳は今年もいいとこ二回戦止まりよ。見てみろよ、あんな青瓢箪なピッチャーじゃ勝てるわけがねえ」

 亮介は、ズボンのポケットに両手を突っ込んで、マウンドに向かって顎を突き出したその老人に尋ねた。

「あのー、あなたは?」

「ん? 俺か? 俺はただの通りすがりの写真屋のおやじよ。あんたはあれか? スカウトか何かか?」

「い、いや、とんでもない。僕はただ、がんばっている子たちの姿を撮りたかっただけです」

「そうかい。まあ、確かにがんばってはいるけどな、どうにも英徳の野球部は弱くて……。でもな、昔は違ったんだぜ。もう三十年近くも前だけどよ。あともう一つ勝てば甲子園ってとこまで行ったんだよ。あの英徳がだよ」

「……」

「そん時はピッチャーにすごいやつがいてな。中谷亮介、俺は今でもその名前を忘れられねえ」

 亮介は思わず下を向き、顔をそむけた。すると、写真屋のおやじを名乗るその老人は、下を向いたままの亮介に向かって当時のことをぽつりぽつりと話し始めた。

「亮介だけじゃねえ。他のやつらも、今の青瓢箪と違って骨のあるやつらばかりだった。一試合ごとに強くなっていったなあ。町の連中もどんどん盛り上がっていって、決勝まで進んだときにはもう、甲子園へ行く応援団のバスや旅館の手配までしちまって……。誰もが甲子園に行けるもんだと信じていたよ。それほど当時の英徳の野球部には勢いがあった。あんなことさえ起きなければ……」(つづく

 

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