「あなたへのダイアリー」 (第三章 生まれ変わり)-2-

 寺をあとにした亮介は、昔の記憶を頼りに太田原商店を探していた。フクベェへの手土産としてそこでピーナツを買うつもりだった。できれば昔、貴美子が買っていたものと同じものがよかったが、二十七年も前のお菓子が今も売られているのかどうか、亮介はあまり期待せずにいた。ただ、ピーナツは違っていても仕方がないと思ったが、それを買う店はやはりキン婆の店以外考えられなかった。

「確かこの辺りだったよなぁ。今でも店あるのかなぁ。まさか、あの婆さんがまだいたりして」

 そんなことを思いながら、商店街のはずれの方まで来て、亮介はようやく目指していた太田原商店を見つけることができた。

「あ、あった! そうだ、ここだった」

 店の前には昔と同じように子供が二、三人寄り付いている。この歳で子供に交じってピーナツを買うのはどうかと思ったので、亮介は子供たちが立ち去るまで少しの間待つことにした。しばらくすると、子供たちは目当ての物が買えたらしくご機嫌顔で帰っていった。それを見届け、亮介は辺りの様子を伺いながら店の中に入った。

「ごめんください」

「何だい。セールスなら帰っておくれ!」

 驚いたことに、そう言って店の奥から出てきたのは、あのキン婆だった。

「あ!」

 亮介は思わず声をあげてしまった。

「うそだろ……」

 はじめはキン婆が現れたことに驚いて、にわかには信じられなかったが、よく考えてみると自分が子供だった当時、婆さんだと思っていたこの婆さんは、実はそれほど婆さんではなく、今の自分と同じくらいの年だったのかもしれない。それが今は本当の婆さんになったということなのだろう。

「えーと、ピーナツはありますか?」

「ピーナツ?」

「ええ、このくらいの袋に入ったやつなのですが」

「ああ、豆ピーかい?」

「そうです。それです」

 キン婆が手渡してくれたものは貴美子がいつも買っていたものに間違いなかったが、今までピーナツとばかり思っていたこの菓子は、実は大豆を素揚げしたものだったらしい。

「二十円」

「は?」

「一袋、二十円だよ」

「ああ、そうですか。はい、えーと……。あれ?」

 亮介は財布に小銭がないことに気が付き、ズボンや上着のポケットを慌てて探したが、やはり見つからなかった。

「……」

 怪訝(けげん)そうな顔で、キン婆がこちらを見ている。

「あの、これでお釣りをもらってもいいですか?」

 亮介は申し訳なさそうに千円札を一枚差し出した。

「金は金だ。それに、釣り銭を貰うか貰わないかはあんた次第だ。いちいちこっちに聞かなくていいよ」

 キン婆は、亮介の手から千円札を取り上げ、前掛けのポケットから小銭を出して数え始めた。筋は通っていて正しいのだが、相手の気持ちも考えず理屈っぽい小言をずけずけと言う、昔からキン婆のそういうところが亮介は苦手だった。

「じゃあ、これで」

 亮介が釣銭を受け取って、そそくさと店を出ようとした時、キン婆の声が背後から聞こえた。

「帰ってきたのかい……」

 亮介は何かで刺されたような軽い痛みを背中に感じたが、振り返らずにそのまま店を出た。

 “まさか、覚えているのか。俺のことを……。いや、俺の聞き違いだ。二十七年もの間、この店にやってきた子供はきっと何百人もいただろう。それをいちいち覚えているはずはない。第一、あの頃と今の俺では見た目も随分と変わっただろうし……” そう自分に言い聞かせながら、ピーナツ、いや、豆ピーを手に亮介はフクベェがいる商店街に向かった。

 先に寺を後にした亮介であったが、大田原商店を探すのに手間取り、優子がフクベェのところへやって来た時には、まだそこに亮介の姿はなかった。

「フクベェ、ほら、おやつよ」

 優子はカバンの中から豆ピーの袋を取り出すと、一粒ずつフクベェの足元に並べ始めた。

「今日ね、お母さんのお墓参りに行ってきたのよ。フクベェも行きたかった?」

 優子は何かあると、ときどきこうしてフクベェに会いにきていた。そして、フクベェに話しかけながら、なぜか貴美子がそうしていたように、フクベェの左の足元に豆ピーを三つ並べるのだった。

「それでね、誰かがお母さんのお墓にお花をあげてくれたんだけれど、それが誰だかわからないの。おじいちゃんも知らないんだって。フクベェ、きみは知ってる?」

 優子は並べた豆ピーをか細い指で転がしながら、何かを期待してフクベェの顔を覗き込んだが、相変わらずの間抜け顔が見えて思わず肩をすぼめた。

「……だよね。きみも知らないか」

 優子の期待に応えられず、心なしかフクベェの顔がさびしそうに見えた。優子はフクベェの頭を軽く撫でて慰めてやろうとしたが、その時、誤って指先で転がしていた豆ピーをひとつ、下に落としてしまった。

「あっ!」

 すると、先ほどからフクベェの周りをうろついていた野鳩が、すぐさま寄ってきて優子が叫んだときにはすでにそれをくわえてあっという間に逃げて行ってしまった。

「あっ、こら!」

 優子はそう叫んだが、フクベェの餌の処理は彼らが行ってくれていることを知っていたので、あえてそれ以上追いかけることはしなかった。

「ひとつ盗られちゃったね」

 幸い豆ピーはまだたくさん残っていたので、優子は袋から新たに豆ピーを一粒だけ取り出してフクベェの足元に並べた。そして、先ほどの野鳩が周りをうろついていないか確認すると、優子は残った豆ピーを急いでカバンにしまい込んだ。

「よし、これでいいわ」

 ちょうどその時、フクベェの真上の街灯が夕方五時の合図とともに点灯し、それに気づいて優子が顔をあげると、フクベェの肩越しに遠くの方からゆっくりとこちらに向かって歩いてくる亮介の姿が見えた。

「あら? あの人、昨日うちにお寿司を食べに来た人じゃないかしら。こっちに来るみたいね。よし! ちょっと驚かしちゃおっと」

 優子が亮介を驚かせようと思ったのは、年頃の女子高生が考えそうな、ほんの軽いいたずら心からであり、もちろん、優子は知らなかったはずである。二十七年前にも、亮介を驚かせようとしてフクベェの陰に隠れていた、同じ制服姿の少女がいたことを。(つづく

 

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