「あなたへのダイアリー」 (第七章 追憶)-5-

「じゃあ、次は私が描くわね」

 貴美子は、亮介が鉛筆で描いた円の隣に同じ大きさの円をゆっくりと描き始めた。

 その日、美術の授業でフリーハンドで円を描くという課題が出された。明日から中間テストが始まるので、その日は、亮介も貴美子も部活の練習はなかったが、いつものように校門近くの野球のバックネットのところで待ち合わせて一緒に帰ることにした。

「ほら、私の方が上手よ」

「そうだね、やっぱり貴美ちゃんの方が上手だなぁ」

 帰り際二人は、美術で出された課題の話になり、どちらがまん丸な円が描けるか勝負しようということになった。どこに描こうかと考えていたところ、“あそこはどうかしら?” そう言って貴美子が指さしたのが、今二人が描いている野球のバックネットの裏側なのだった。

「では約束通り、私のイニシャルが最初よ。サインは、K&Rでお願いね!」

「はいはい、わかりました」

「あれ? 何か不満そうね」

「そ、そんなことないよ。K&R……と」

 亮介が勝負に勝っていればそのサインはR&Kとなるはずだった。亮介が描き終わると、貴美子は近くに落ちていた釘を拾って鉛筆で書かれた円とサインの上をなぞり始めた。

「き、貴美ちゃん、な、何をしているの」

 前の年、およそ二十年ぶりにペンキを塗り直したばかりのバックネットに、鉛筆ならともかく、釘で傷つけては大変だと、亮介は慌てて貴美子を止めた。

「これ、せっかくだから、記念に残しましょう」

「いやー、まずいんじゃないかな。見つかったら怒られるんじゃ……」

「大丈夫よ。こんなに小さいんだし見つからないわよ」

 心配する亮介をよそに、貴美子はしっかりと作品を彫り上げた。

  亮介は二十七年前のその他愛もないできごとをすべて思い出した。外見に似合わず貴美子が以外にも大胆だと、その時初めて思ったことも。

 亮介が思い出すのを待っていたかのように貴美子の幻影は、懐かしそうにその円とイニシャルを指でなぞった。そして、ふとその指を止め、亮介を再び睨むようにして言った。

「まだ、私の質問に答えてないわ」

「質問?」

「もう一度、聞くわ。どうして何も言わずいなくなってしまったの?」

「貴美ちゃんなのか……。いや、そんなはずは……」

 “もし、その秘密を知っている人が現れたら、その人がリョウの大切な人の生まれ変わりなんだね” ティムの言った言葉が亮介の脳裏を再びよぎった。亮介はそんなはずはないと思いつつも、貴美子と自分の二人だけしか知り得ないことを聞かされ、やはり優子は貴美子の生まれ変わりなのではないかと思い始めていた。狼狽(うろた)える亮介をよそに、貴美子の幻影は尚も続けた。

「あの夏まつりの夜、私、フクベェと一緒にずっとあなたを待っていたのよ。でも、あなたは来てくれなかった……」

「貴美ちゃん、ごめんよ。約束を破ってしまって。あの時、ぼくは弱虫だった。ぼくが弱かったせいで君を傷つけてしまった」

 優子は黙って亮介の言葉を聞いていた。

「おや? あの二人は」

 近くのパチンコ屋からの帰り道、キン婆がグランドにいる二人に気がついた。

「運命なのかねぇ。こんなに時が経ってあの二人が出会うなんて…」

 キン婆は、パチンコの景品を抱えながら、二人の様子を見ていた。すると突然、優子の叫び声が聞こえた。

「きゃー! 冴木さん!」

 見ると、慌てふためく優子の足元に、亮介がうつぶせに倒れている。キン婆は、急いで二人のもとに駆け寄った。

「どうした!」

「あっ! お婆さん。冴木さんが急に倒れて……。どうしよう……」

「優子、救急車だ!」

「は、はい」

「亮介! しっかりしろ!」(つづく

 

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