「あなたへのダイアリー」 (第七章 追憶)-3-

 それから数日が過ぎて七月に入ったある日のこと、亮介の携帯に優子から突然メールが入った。一緒に映画に行ってほしいという内容だった。

「急に映画に誘ってくるなんて、優子ちゃんいったいどうしたんだろう……」

 優子からのメールには、忙しさが一段落して息抜きに映画を観に行きたいので付き合って欲しいと書かれていた。単なる気まぐれなのか、それとも機嫌が直ったのか、それとも本当に今まで忙しかったのか、それを確かめるためにも優子と一度会う必要があると思い、「今度の土曜日で良ければ……」と、すぐにOKの返事を返そうとメールを打ちかけたが、亮介はその指を止めた。

 亮介には一つ心配なことがあった。ここ数日、またあの頭痛が亮介を襲っていた。一年前、中東で初めて襲われた猛烈な頭の痛みと目のかすみだ。考えてみれば、これまでその症状が出なかったのは奇跡に近いことだった。医者に半年の余命を宣告されてから、すでにもう七か月が過ぎようとしている。日本に帰ってきてからも、時折、軽い頭痛や目のかすみに加え吐き気などをもよおすこともあったが、薬でなんとか抑えることができていた。しかし、ここ数日は違っていた。頭の痛みは強く、気を失いかけたこともあった。

「今度こそ本当にもう、あまり時間がないのかもしれないな」

 亮介は、さっき打ちかけたメールの続きを打ち直した。

「明日で良ければ……」

 優子に会うのはなるべく早い方がいいと思った。

  翌日、優子の学校が終わってから、二人で隣町の映画館へと向かった。昔、貴美子と行った町の小さな映画館はもうすでになかった。

「冴木さん、この映画知っていますか?」

『初恋・あなたへ』渡されたチケットにそう書かれていたが、流行りの映画が何なのか亮介が知るはずもなかった。

「最近の映画は、ちょっとわからないなぁ」

「そうですか……」

 優子はなにか悲しそうな素振りを見せたが、映画…特に恋愛ものに疎(うと)い亮介には、どうすることもできなかった。

「恋愛ものじゃあ、こんなおじさんより、ボーイフレンドと行った方がよかったんじゃないかい?」

 冗談を言ってごまかそうとしたが、優子の顔はさっきにも増して悲しそうだった。“意地悪ね。そんな人いないもん!” いつもなら、そう言って亮介の腕をぴしゃりと叩いたりするのだが、この日の優子は違っていた。

「ううん。冴木さんと観たかったの」

  “ううん。私はお母さんを悲しませた中谷亮介ではなく、私の好きな、私の大好きな冴木さんと観たかったの”  この時、優子はきっとそう言いたかったのかも知れない。

 平日のせいか、映画館に来ている人はあまり多くはなかった。亮介と優子がチケットに書かれた座席の番号を確認して席に着くと、間もなく天井のライトが消えて映画が始まった。亮介は、昔とは違いきれいな映像にしばらく見入っていた。“今の映画はすごいんだな”単純にそう思った。

 映画は、子供のころから病弱でほとんど病院の外に出たことがない女の子が、十七歳で初めて恋をする物語である。いつも病室のベットにいる少女は双眼鏡で窓から外の世界を見るのが唯一の楽しみだった。ある時、病院の隣にある高校のグラウンドで野球の練習に励んでいる少年を見かける。その少年の真剣なまなざしと泥だらけになって練習する姿が少女にはとても眩しく見えた。

 そして、それからは毎日、学校の放課後の時間になるといつも、双眼鏡でその少年の姿を探すのが少女の日課になっていた。やがてそれは小さな恋心へと変わっていく。会ったことも話したこともない、ましてや自分の存在さえも知らない少年を少女は好きになってしまう。“何年生だろう、名前はなんていうんだろう。好きな人はいるのかな” 少年のことをいろいろ知りたいと思ったが、少女は今日も双眼鏡で少年を見つめることしか出来なかった。

 少年の名前を知らなったその少女は、少年に『いっくん』という呼び名を付けた。少年はピッチャーであったらしく、背番号1を付けていた。背番号が1だから『いっくん』それがその理由だった。そして、少女はその日から日記を書き始める。ただ、その日記は日記というよりは、少女が『いっくん』に宛てた手紙のようなものだった。決して届くことがない一方通行の手紙だった。

「これは……。貴美ちゃんと観た映画だ」

 この映画が、以前に貴美子と観た映画のリメーク版の映画であることに亮介が気づいたのは、映画の後半で少年が少女の日記の存在を知るシーンを見た時だった。違うのは、名前は忘れたが、当時主役を演じていた売り出し中のアイドルが、今度はその主役の子の母親役として出演していることだった。ストーリーも多分同じだ。

 ある時、少女の母親が娘の書いた日記を見つけ、その日記を少女には黙って読んでしまう。迷った挙句、母親は少年に娘の思いを伝え、少年も少女の思いに応えようと、偶然を装い病院を訪れ少女と出会う。それから毎日、少年が野球の練習の帰りに少女の病室を訪れ、短い時間を過ごすようになるが、少女の幸せな時間はそう長くは続かなかった。

 ある日、いつものように少女の病室を訪れた少年は少女の母親から娘の命がもう長くないことを知らされる。少年は少女に甲子園に連れていくことを約束し、“いっくんの試合を見てみたい” と少女に生きる気力を与えるが、その願いはついに叶わなかった。

 少年が少女の亡骸を抱きしめる場面とともに、映画のエンドロールが映し出されると、どこからともなくすすり泣く声が聞こえてきた。隣を見ると、優子も指で涙を拭っていた。亮介も映画の内容に感動したのだが、それよりも貴美子と観た映画を再び、今度は優子と観ることになったことに不思議な運命を感じていた。(つづく

 

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