「あなたへのダイアリー」 (第六章 日記)-3-

「優子ちゃん、いいもの見せてあげるからちょっと寄っていきな」

 そう言って、学校帰りの優子に声をかけてきたのは、二十七年前、貴美子にジャイアンツの野球帽をくれたあの写真館の店主だった。六十歳を過ぎた頃、店を息子に継がせようとしたのだが、嫌がった息子はあっさりとサラリーマンになってしまった。七十歳を過ぎた今も仕方なくまだ店を続けていた。そして、毎日こうして店先に出て、たまたま通りかかったなじみ客に声をかけては、相変わらずジャイアンツの自慢話をしているのである。しかし、この日はどうも、優子が学校帰りにここを通るのを先ほどからずっと待っていたようである。

「優子ちゃん、お菓子もあるからさ寄っていきなよ」

 優子はようやく試験も終わり、撮りためた恋愛もののテレビドラマを家でゆっくり観賞しようと思っていたので、店主の誘いに応じるつもりは微塵もなかった。

「おじさん、私、もう十七よ。子供じゃないんだから、お菓子なんかで誘っても、ム・ダ・よ」

 そう言って優子は、顎を少し持ち上げ、自慢のポニーテールを揺らして見せた。

「そう言わずにさ、ちょっと寄っていきなよ」

「残念でした。私、忙しいの」

 貴美子とは違って、優子は店主に対して容赦がない。

「そうか、せっかく優子ちゃんの好きなアマンドのパイを買ってきたんだけど。仕方ない、孫にでも食わせてやるか」

「えっ! おじさん、東京へ行ってきたの?」

「そうだよ」

「お菓子って、アマンドのパイなの?」

「そうだよ」

「ふーん。そうね、試験も終わったし、少しだけなら寄っていこうかなぁ」

 優子はアマンドのパイに目がなかった。東京に行ったことがない優子は、以前店主に東京土産にもらったアマンドのパイが非常に気に入り、それを知った店主がそれ以来、東京へ行くと必ず土産に買ってきた。

「でも、忙しいんじゃ悪いしなぁ」

「ううん、そんなことないわ。大丈夫よ」

「でもなぁ……」

 店主はわざとじらして見せた。その方が、優子の食いつきがいいと思ったのだった。

「大丈夫だってば! おじさんの話面白いし、少しならお付き合いするわ」

 どうしてもアマンドのパイを食べたい優子は、はじめの大人ぶった様子とは違い必死だった。

「そうかい? じゃあそこに座ってちょっと待っていな」

 そう言って、店主はくるりと優子に背を向けると、『してやったり』と言わんばかりに、その顔はにやにやと笑いながら店の奥に入っていった。そして、店先のソファーには、店主の蒔いた餌にまんまと食いついてしまった優子が、好物の菓子が待ち遠しいのか、そわそわとした様子で座っている。

 しばらくすると、アマンドのパイと紅茶を持って店主ではなく、孫の健太がやってきた。

「あれ? 健太くんが持ってきてくれたの?」

「うん。おじいちゃん、何か探し物してる。逃げられないうちに先に持って行けって」

「失礼ね。犬や猫じゃあるまいし、逃げたりしないわよ。でも、まあいいか、じゃあ、健太くんいっしょに食べようか?」

「うん、僕これ好き」

「ねー、これ美味しいよね。私も大好き」

「いただきまーす!」

 ソファーに仲良く並んで座った二人の子供は、満足げに菓子を頬張った。(つづく

 

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