「あなたへのダイアリー」 (第六章 日記)-4-

「やれやれ、せっかく用意していたのに息子のやつ、押し入れに片づけてしまいよった」

 そこへ、優子に見せようと、昨日から準備していたジャイアンツのグッズを勝手にしまい込まれてしまい、不満げな顔で店主が戻ってきた。

「優子ちゃん、これいいだろう。バットにボール、それと帽子とジャンパー。全部、原監督のサイン入りだよ」

「えー、これ買ってきたんですか?」

「そうだよ。原監督が今シーズンで引退しちゃうからなぁ。記念に買ってきたんだよ」

「まさか、わざわざこれを買いに行ったわけじゃないですよね」

「もちろん、試合も観てきたよ。ジャイアンツの逆転勝利! すごかったねぇ。いいかい、一回の表、相手の打線がいきなり火を噴いてさ……」

 そう言って、店主はお決まりの選手や監督の物まね付で解説をし始めた。優子は、“一回の表からかぁ” これは長くなりそうだと思いながらも、菓子をもらってしまった手前、しばらく店主の話に付き合おうことを覚悟した。そして、一時間ほどが過ぎて、店主の話が八回裏のジャイアンツの攻撃に差し掛かったころ、店主にとっては一番の盛り上がりどこだったらしいが、健太の姿はすでになく、そろそろ話に飽きてきた優子もテーブルに置いてあった写真雑誌を手に取り、パラパラとめくり始めた。すると、ある一枚の写真が優子の目に飛び込んできた。

「おじさん!」

「な、なんだい」

 せっかく優子を誘っておきながら、その優子をほったらかして、すっかり自分の世界に入り込んでいた店主が、満塁ホームランを打つ直前に優子の大きな声に驚いて、そして、無念そうな顔をして振り返った。

「なんだい、大きな声で。せっかくこれからいいところだったのに」

「あら、ごめんなさい。でも、おじさん、この写真とってもすてきね」

「ん? どれどれ。あー、これか」

 そう言って店主は、ホームランを打つことをあきらめ、差し出された写真雑誌を手に取り、優子の指さした写真をまじまじと見つめた。

「この子供たちの表情が何とも言えなくいいね。紛争地帯の子供らしいから、きっと怖い目にもあっているだろうに。この屈託のない笑顔は、何かこっちの方が勇気をもらえるような気がするよ」

「ほんとね」

 二人が見ていた笑顔の子供たちの中にあのティムの姿があった。

 その写真は、父親を失い気持ちの沈んでいたティムを亮介が元気づけた、あの時撮った写真だった。そう、父親の生まれ変わりの話をしたあの時のものだ。

「R.Na・ka・ta……ni……。.ナカタニさんって方が撮った写真なのね」

 写真の左下に小さく書かれた文字を見つけ優子がつぶやいた。

「ああ。その人の写真を何度か見たことがあるけど、どれも戦場で撮ったものらしいがいい写真ばかりだったね。なんて言ったっけ? ああ、そうそう、戦場カメラマンってやつだね」

「そうなんですか……。おじさん、この雑誌お借りしてもいいかしら?」

「ああ、そりゃ構わないけど。あれ? 優子ちゃん写真に興味があるのかい? 良かったら、いつでも教えてあげるよ」

「ううん、そんなんじゃないの。それじゃ、わたし急ぐから」

 そう言って優子は慌てて店を飛び出そうとした。

「ちょっと、優子ちゃん待ちなよ。せっかくだから、これ持って帰りな」

 店主はそう言って、まだ、数枚ほど残っていたアマンドのパイを店にあった適当な封筒に全部詰めて優子に渡した。

「えっ? いいの? ありがとう。おじさん大好き!」

 そう言って、アマンドのパイが入った封筒を受け取ると、優子は走って行ってしまった。店主は優子にも、まんまと逃げられたが、若い女の子に『大好き』と言われてちょっとうれしそうだった。そして、ちょうどそこへ運悪く帰ってきた健太を捕まえて試合の続きを解説し始めた。優子に菓子を持って行かれた上に店主の話に付き合うことになってしまった健太は、試合が終わるまで終始機嫌が悪かった。

「いいか健太、お前は大きくなったらジャイアンツの選手になるんだぞ」

「えー、やだよ。ぼくサッカーの方が好きだもん!」

「……」

 健太の衝撃的な告白に店主は言葉を失っていた。健太もまた、店主に対して容赦がなかった。

  その頃、家に帰った優子は、店主に借りた写真雑誌のあの写真を改めてもう一度じっくりと見ていた。優子は、写真の良さとは別に何かに引き付けられるような気がした。

「いい写真だけど、それ以上に何か気になるなぁ」

 そう言いながら、他に『R.Nakatani』の写真がないかページをめくって探してみたが、亮介の撮った写真はそれ一枚だけだった。

「他には載っていないようね」

 そう言いながらも、どうしても『R.Nakatani』が気になった優子は、インターネットで調べてみることにした。そして、亮介が契約している新聞社のホームページにたどり着き、そこに載っていた亮介の簡単なプロフィールを見つけ出した。

「中谷亮介……。同姓同名かなぁ。それにこの人、宮城県出身なんだ。年齢は……四十四歳か。お母さんが生きていれば同じ年ね。……まさか、この人があの中谷亮介じゃないわよね」

 “母親を捨てて町を出て行った、あの中谷亮介ではないか“ そう思うと、優子の中に忘れかけていた亮介への憎しみが再び蘇ってきた。

 優子は母親を捨てた中谷亮介が、この戦場カメラマンの中谷亮介と同一人物なのか確かめてみたいと思ったが、母親の日記のことは秘密にしておきたかったし、新聞社に中谷亮介の素性を聞こうにもきっと個人情報を盾にプロフィールに載っている以上のことを教えてくれるとは思えなかった。優子が考え抜いたあげくにたどり着いた方法は、中谷亮介に手紙を書くということだった。ただ、“もし人違いだったら?” そう思うと、日記に書いてあったような詳しいことは書けないと思った。

中谷亮介様

牧村貴美子は、平成十四年の春に亡くなりました。

 この戦場カメラマンの中谷亮介が母親の恋人だった中谷亮介で、ほんのわずかでも人の心があるならば、この手紙を見て自分の行いを反省するだろう。そう思った。(つづく

 

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