「あなたへのダイアリー」 (第六章 日記)-1-
日記
今から五年前、優子が小学校を卒業した日のことである。優子は源治と二人で駅前の写真館に記念写真を撮りに行った。その日は、他にも何組かの家族が同じように写真を撮りに来ていたが、どの家族も皆当然のように、息子や娘の成長を喜ぶ父親と母親がいて、子供はその両親に甘えるように手をつないでもらい、自分達の撮影の順番が来るのを待っていた。その姿を源治と二人で順番待ちをしながら見ていた優子がぽつりと言った。
「いいなぁ、みんなお父さんもお母さんもいて……」
寂しそうな優子を見て、源治は不憫だと思いながらも、口から出る言葉はついつい厳しい口調になってしまう。
「仕方ねえだろう、我慢しろ」
「してるもん。ずーっと」
『ずーっと』そう言われて、源治は返す言葉が見つからなかった。隣近所の住人や源治の妹が、かわるがわる優子の面倒を見てくれたおかげでなんとかここまでやってこられた。優子も幼いころからしっかりしていて、両親がいない寂しさをあまり口にすることはなかったが、心の中では両親と暮らすことへの憧れみたいなものをずっと持ち続けていたのかもしれない。
「じゃあ、次は優子ちゃんだね。優子ちゃん、源治さんとそこに並んで座って」
ジャイアンツ好きの写真館の店主は、撮影の時も野球帽を被ったままだ。
「あれ? 優子ちゃん、もっと笑って」
さっきの源治とのやり取りが尾を引いているのか、優子はムスッとした顔をしたままだ。
「いいよ。もう撮っちゃって」
「そ、そうかい? もうちょっと笑ってくれるといいんだけど……」
「いいから、さっさっと撮れ」
源治に急かされて店主は優子を説得することをあきらめた。だから、今も残っている優子と源治のこの時の記念写真は、写真館の店主にすれば心外なのだろうが、あまりいい出来ではなかった。
撮影を終えて家に戻った優子は、その日の夜、自分の部屋の押入れの中の段ボールを引っ張り出して何かを探していた。優子の部屋は、亮介も一度だけ入ったことがある貴美子が高校を卒業するまで使っていたあの部屋である。机は、当時貴美子が使っていたものを今もそのまま優子が使っている。小学校にあがる時、源治が新しい勉強机を買ってやろうとしたのだが、優子が “お母さんのでいい” と言うのでそのままここに置いてある。今では優子が母親の温もりを感じられる数少ない場所の一つになっていた。
「うーん、ないなぁ」
優子は具体的に何かを見つけようとしていたわけではなく、貴美子の遺品の中で何か身に着けられるものが欲しいと思ったのだった。そうすれば、寂しい時それを見れば常に母親がそばにいてくれるような気がしたからだ。
「あれ? これ野球の帽子じゃ……。へーお母さん、本当にジャイアンツファンだったんだ」
『本当に……』と思ったのは、以前、写真館の店主が言っていた言葉を思い出したからだった。
「優子ちゃんのお母さんとはよく野球の話をしたんだよ。二人ともジャイアンツファンだったから話が合ってね」
優子はその帽子を広げて自分の頭の上にのせ、さらに物色し続けた。
「ん? これ、なんだろう」
二つ目の段ボールの中を探していた時、優子はその一番下に一冊のノートがあるのを見つけた。ノートとは言っても、勉強で使ういわゆる学習ノートとは違い、薄いブルーのきれいな表紙に『Diary』と印刷された文字が見えた。そしてその文字のわきには手書きの文字で『あなたへ・・・』と書かれていた。
「Diaryって、日記のことよね……。これって、お母さんの日記帳ってこと?」
その時、まだ十二歳だった優子は、何か見てはいけないものを見つけてしまったような気がして、胸がどきどきしたことを今でもはっきりと覚えている。一旦は、その日記帳をそのまま段ボールに戻そうと思ったが、母親が書いたものかどうか名前だけでも確認しようと思い、日記帳を裏返してみた。しかし、表から見えるところには何も見つからなかった。表紙を開けばそこに名前が書いてあるような気がした。優子が恐る恐る表紙をめくってみると、その裏側にはやはり貴美子の名前が書いてあった。そして、その右側のページにはきれいな文字でびっしりと日記が書かれていた。優子はそれを見た途端、あわててその日記帳を閉じた。
「見ていない、私、見ていないわ」
そう自分に言い聞かせたが、胸の鼓動はさっきよりも早くなった。
「やっぱり、お母さんの日記なんだわ。でも……」
一瞬だけ見えた右側のページの最初の行に、優子の知らない名前が書いてあった。
「亮ちゃん……て、誰なんだろう?」(つづく)