「めぐり逢う理由」 (第四章 もうひとりのみゆき)-3-
日曜日、美雪は河川敷の野球グラウンドに来ていた。これまで何度も足を運んだ場所だが、今日ほど沈んだ気持ちでここに来たことはなかった。
「お姉ちゃん!」
美雪を見つけて航が真っ先に走ってきた。
「あっ! レモンのお姉ちゃんだ」
他の子供たちも一斉に美雪の元へ走り寄って来た。
「みんなごめんね。なかなか来れなくて」
「お姉ちゃん、また、いっしょに練習しようよ」
「お姉ちゃん、ぼくね、この前試合に出たんだよ」
「え? 航くん、試合に出たの?」
「うん!」
「すごいじゃない。航くん、良かったわね」
美雪は航の手を取り喜んだ。
「でも、三振だったけどな」
秀樹が航の頼りないスイングを真似てお道化て見せた。
「でも、すごいことよ。試合に出してもらえたんだもの。航くん、一生懸命練習してものね」
航が美雪の言葉に照れくさそうにはにかんで見せた。美雪はいつの間にか子供たちの輪の中心にいた。
―「あなた、誰?」―
美雪に向かってそう聞いてきた女がいた。この前見た、現太と一緒にいた女だった。
「あっ、こ、こんにちは。初めまして。私、西園寺といいます」
「さいおんじ? へえーいるんだ。そんな気取った名前の人って」
女は何故か初めて会った美雪に攻撃的な態度を取ってきた。
「レモンのお姉ちゃんだよ」
航が美雪の素性を補足してくれた。
「レモンのお姉ちゃん?」
「そうだよ。いつもぼくたちにレモンを持って来てくれるんだよ」
「ふーん、変なもん食べさせて、子供たちがお腹でも壊したら大変だから、部外者が勝手なことしないでくれる?」
「ご、ごめんなさい」
「お姉ちゃんのレモンは変なもんじゃないよ!」
「そうだ! そうだ!」
航と他の子供たちも美雪の援護射撃に回った。それがかえって、攻撃的な態度の女の気持ちを逆なでした。
「何よ! あなたたち、早く練習をはじめなさい! げんちゃんが来たら叱られるわよ」
「おい、みんな行こうぜ」
秀樹の合図で子供たちはグラウンドに散らばって行った。美雪はベンチの脇で女と二人きりになってしまった。
「あなた、げんちゃんとどういう関係なの?」
美雪に対してライバル心むき出しの女がそう言った。
「わ、私は……」
女にそう聞かれて、美雪は現太の恋人かも知れない女にどう答えればいいのか分からなかった。
「その人は、シゲと一緒に練習を手伝ってくれているんだ」
美雪の代わりに練習道具を小脇に抱えてやってきた現太が答えた。
「あっ、げんちゃん。遅かったじゃない」
女は美雪を意識してなのか、この前見かけた時よりも妙に現太に馴れ馴れしかった。
「ああ、ちょっと忘れ物しちまってな。家に取りに帰ったんだ」
「なんだ、言ってくれれば取ってきてあげたのに。やっぱり、一緒に家を出ればよかったわ」
女は美雪にあてつけるようにアパートの鍵をちらつかせて見せた。現太は女の取った子供っぽい態度に、怒るでもなく困ったような顔をして見せた。
「悪かったな」
さっき、女が美雪に吐いた暴言を聞いていたのか、現太はそれも含めて美雪に謝った。
「い、いえ……」
「何が悪いのよ。この人が勝手にやっていることじゃない」
「みゆき、いい加減にしろよ」
(みゆき?)
「ふん、何よ。げんちゃんはどっちの味方なのよ」
「みゆき……」
「私、帰る!」
「みゆき!」
現太が止めるのも聞かず、女はプイと美雪に顔を背けると、そのまま帰ってしまった。
「悪かったな」
現太はもう一度美雪に謝った。
「い、いえ……」
「許してやってくれ」
「いえ、本当にもう……」
「妹なんだ」
「え?」
初め、美雪は現太がその場凌ぎの嘘をいったのかと思った。あの時、半田製作所の正門前で見かけた、馴れ馴れしく現太の腕に纏わりついた女の現太を見つめた目は、決して妹が兄を見つめる目ではなかった。女の美雪にはそれが分かった。
「妹さん? 本当に?」
「ああ、五つ違いの妹なんだ」
現太が嘘を言っているようには思えなかった。
「みゆきさんっておっしゃるのね」
「ああ、あんたと同じ名前だが、あいつのは、ひらがなでみゆきだ。二十四にもなって子供みてえなところがあってな。でも、悪い奴じゃないんだ。だから許してやってくれ」
「いえ、私は何とも思っていませんから」
「悪いな」
現太はそう言い残すと、グラウンドの方へ行ってしまった。さっきの女が現太の妹であるならば、現太を好きになることにもう何も迷うことはない。美雪はグラウンドに向かう現太を呼び止めて、自分の気持ちを打ち明けることだってできたはずだ。しかし、美雪がそれをしなかったのは、美雪に見せた現太の背中がとても寂しそうだったからだ。幼い頃、現太に背負われた時、あんなに広くて大きく見えた、げんちゃんの背中が今はとても小さく見えた。(つづく)
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