「めぐり逢う理由」 (第四章 もうひとりのみゆき)-5-

 それから、美雪は毎日病院に通った。朝、会社へ行く前と会社の帰りに幸太郎を訪ねた。十二月に入って、街は既にクリスマス一色だった。病院の中でさえ、そんな飾りが目についた。

「お父さま、もうすぐクリスマスね。覚えてる? 二十年前アメリカへ引っ越した日、あの日はとても寒い日だったわ」

「確か、クリスマスの翌日だったね。お前はサンタに貰った手袋をうれしそうに自慢してたっけなぁ」

「今でも大切に持っているわよ。もう手にははめられないけど……」

 美雪と幸太郎は二十年の歳月をゆっくりと遡っていった。

「お父さま、あの頃……私が幼稚園に通っていた頃、げんちゃんって言うお兄ちゃんがいたことを覚えている?」

「ああ、覚えているよ。お前の王子さま、げんちゃん王子だったね」

「ええ、お母さまのお迎えが遅くなる日、その日だけ私はげんちゃんに会うことができた。私はその日がいつも楽しみだったわ」

 幸太郎はベッドの上で幼い日の美雪の姿を思い浮かべていた。

「お父さま、驚かないで。私、そのげんちゃんに会ったの」

「え? どこで、どこで会ったんだね?」

 幸太郎は何故か少し慌てたように美雪に言った。

「私が通っている少年野球チームの監督さんが、そのげんちゃんだと思うの。間違いないわ。だって、その方は熊野川に架かるあの橋の向こうで生まれたみたいなの。覚えているでしょ? あの橋よ。げんちゃんの叔母さんが虹橋と呼んでいた、あの変わった形の橋よ」

「美雪、人違いってことはないのか?」

「私も初めはそう思ったわ。こんな偶然があるはずないと何度も自分にそう言い聞かせた。でも、私にはわかるの。その方は間違いなく、あのげんちゃんなの」

「その人の名は、何と言うんだね?」

「現太さん……。片山現太さんというの」

「そうか。そうなのか」

 幸太郎は何かを観念したように、目を閉じ息を深く吐き出した。

「だけど……、現太さんは私のこと忘れちゃったみたいなの。仕方ないわよね。だって、二十年も前のことですもの。私、現太さんにあの頃のこと、もう一度ちゃんと話してみようと思うの。そうすればきっと思い出してくれると思うわ。だって、あの頃私のこと……」

「美雪、現太くんは……」

 少し興奮気味に話す美雪の話を、幸太郎はしばらくはただ黙って聞いていたが、げんちゃんへの期待で胸がいっぱいの娘を直視することができなくなり、思わず口を挟んだ。

「美雪、現太くんはお前のことを忘れてはいないと思うよ」

「そうよね。だって……」

「忘れてはいないと思うが、彼はお前を覚えているとは言わないかも知れない」

「え? お父さま、どういうこと?」

「美雪、これはお前が現太くんと再びめぐり逢うことがなければ、私は黙っておくつもりだった。しかし、君たちは出会ってしまったんだね。これは二人の運命なんだね。お前が現太くんの過去を知ってしまうのも時間の問題だろう。もう、隠してはおけまい……」

「お父さまは、現太さんのことを知っているの?」

「半田製作所に現太くんを入社させることを、社長の半田さんにお願いしたのはこの私だ」

「えっ?」

「うちの会社とは違って、半田製作所は中卒だろうと高校中退だろうと、社長の半田さんが自分で会って話をして採用するかどうかを決める。現太くんを半田さんに会わせたとき、高校中退で、しかも、少年院にまで入っていた現太くんを半田さんは迷うことなく入社させてくれた」

「少年院? 現太さんが少年院にいたと言うの? そんなの嘘よ。お父さまは一体いつから現太さんのことを知っていたの?」

「美雪、覚えているかい? あれは、お前が十三歳になったばかりの頃、お前はげんちゃんの夢を見たと、私に話してくれたことがあったね」

「ええ、とても怖い……というか悲しい夢だったわ」

「そう、その夢だ。私はお前の見たその夢のことが気になって、日本にいた村上くんにお願いして現太くんのことを調べてもらったんだ。美雪、よく聞くんだ、現太くんは……彼は、高校最後の年、十八歳から二年間、愛知県の少年院にいた。罪状は殺人未遂だ」

「殺人未遂!? 現太さんが? 嘘、そんなの嘘よ!」

「嘘ではない。しかし、それには訳がある。あの真っすぐで優しい現太くんが理由もなくそんなことをするはずがない。現太くんは妹さんのために罪を犯してしまったのだ」

「みゆきさんのために?」

「ああ、現太くんと妹さんはご両親を突然の事故で早くに亡くした。現太くんが八歳で妹さんはまだ三歳だった。二人の身内はお母さんのお姉さんにあたる現太くんたちの叔母さんと、父方の遠い親戚だけだった。現太くんの叔母さんは旦那さんを亡くして独り身だったが、体が弱く生活も苦しかった。とても二人の幼い子供を引き取ることなどできなかった。現太くんが叔母さんと暮らし、妹さんは父方の親戚に預けられることになった。それは、現太くんが望んでそう決めたことだった。父方の親戚というのはとても裕福な家で、現太くんはお金持ちの家に行けば妹さんは幸せになれるとそう思ったらしい。無理もない、まだ八歳の子どもだ。しかし……」

「みゆきさんに何かあったの?」

「う、うん……妹さんが預けられた先の家には、年上の男の兄弟がいたのだが、妹さんは大きくなるにつれ、その兄弟たちに随分といじめられていたようだ。現太くんとは時々手紙のやり取りをしていたのだが、我慢強い妹さんはそのことをずっと現太くんに隠していた。現太くんに心配をかけたくなかったのだろう。しかし、妹さんが中学校の一年生になった年、その兄弟が不良の仲間たちに妹さんを乱暴目的に襲わせた。妹さんはまだ十三歳だったというのに身も心もぼろぼろになり遂には自殺未遂まで起こした。

 それを知った現太くんは激しく怒り、その兄弟と妹さんを襲った連中に復讐をした。幸い命は取り留めたものの、彼らに瀕死の重傷を負わせてしまったんだ。本来なら、そのことに至った経緯を考慮すれば情状酌量の可能性もあったのだが、現太くんが高校のボクシング部に所属していたことと、明確に殺意があったことを認めたため、殺人未遂という罪状がついた。

 現太くんは大人になった今でも自分を責めている。ずっと苦しんでいた妹さんの気持ちに気付いてやれなかった。自分が妹をあの家に預けなければと。妹さんに忌まわしい記憶を思い出させたくなかった現太くんは、昔のことを一切忘れることにした。自分も妹さんも、この東京に出て来たところから人生が始まったと。そう思うことにしたんだ。

 現太くんが……げんちゃんが、お前のことを覚えていないはずはない。しかし、それを認めてしまったら、せっかく忘れていた、いや、思い出したくなかった過去を思い出すことになる。それは妹さんも同じだ。だから、あえて現太くんはお前のことを覚えていないふりをしたのではないだろうか。

 すべての事情を知っている半田さんから聞いたのだが、あの事件から十年以上経った今でも、妹さんは夜中にうなされることがあるそうだ。現太くんの腕を掴んでいないと眠れないそうだ。もしかしたら、妹さんは一生現太くんの傍から離れることができないのかも知れない」

 ずっと黙ったままで幸太郎の話を聞いていた美雪は、あの日見た、現太の寂びそうな後ろ姿を思い出していた。そして、自分が現太を想えば想うほど、会えば会うほど二人を苦しめることになるのだと思った。みゆきの現太を見つめるあの目は、たった一人の心許せる大切な人を……現太を誰にも渡さないという、心の叫びにも似た目だったのだ。(つづく

 

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