「めぐり逢う理由」 (第四章 もうひとりのみゆき)-7-
「誰か出て来たぞ!」
その時、沈黙を破る叫び声にその場にいた全員の視線が工場の建物の入り口に注がれた。そこには、良樹を連れ、美雪を抱きかかえた現太が倒れ込む姿が見えた。
「救急車、救急車だ!」
現太と良樹、それに美雪が救急隊員の手によって病院に運ばれて行った。運ばれた三人はすぐに治療を受けた。幸いにも良樹にケガはなかった。現太もやけどと全身の打撲を負ったが、入院するまでには至らなかった。しかし、美雪は熱風を吸い込み器官を切開する手術を受けなければならなかった。
美雪の手術は難しいものではなかったが、喉元の傷口が完全に治るまで、美雪は十日ほど入院しなければならなかった。
「美雪さん、お身体の具合はいかが?」
入院して一週間が過ぎた頃、みゆきとシゲが見舞いにやって来た。
「ええ、もう大丈夫よ。やっと、声が出るようになったの」
「でも、驚いたわ。美雪さんがあんなことするなんて」
「そうだよな。男の俺だってあの状況で、あの中へ飛び込んでいくことなんてとてもじゃねえができねえよ」
「シゲちゃんはビビリだからね」
「だってよ、完全に鎮火したわけじゃなかったんだぜ。まだ煙も出てたんだし、建物だっていつ崩れてもおかしくなかったんだぜ」
「でも、結局、私が一番迷惑をかけちゃった。現太さん、きっと怒っているわよね」
「そんなことないわよ」
「そうだよ。そんなことないよ」
「美雪さん、私ね、美雪さんに謝らなくちゃ」
「謝る? どうして?」
「私、現ちゃんは私のものだって、ずっとそう思ってたの。誰よりも現ちゃんを一番愛しているのは自分だって。誰にも渡さない。そう思って生きてきたの。だから、美雪さんが現ちゃんの前に現れた時、私、怖かった」
「怖かった? 私が?」
「うん。美雪さんは、今まで現ちゃんの前に現れた女の人とは違っていたわ。うまく言えないけれど、本物っていうか、実の妹の私よりずっと前から現ちゃんと美雪さんは一緒だったんじゃないかって、そんな気がしたの。私は美雪さんのように、あの崩れ落ちそうな建物の中に飛び込んで行くことなんてできなかった。怖くて、足がすくんで、そこに現ちゃんがいるって分かっているのにどうすることも出来なかった。私、気付いたの。私は現ちゃんを愛してたんじゃなくて、現ちゃんにただ守られたいだけだったんだわ。ずっと、守っていて欲しかっただけなの。だから、現ちゃんを私から奪おうとする女の人に今まで随分酷い意地悪をしてきた。美雪さんにもそうだった。ごめんなさい。今頃気付くなんて、私、馬鹿よね」
「そんなことないわ」
「ううん、いいの。馬鹿なの、私。現ちゃんの優しさに甘えて、ずっと現ちゃんを縛り付けてきたの」
「みゆきさん……」
「誰かを好きになるっていうことは、その人に守ってもらうことじゃないのね。その人を命がけで守るってことなのね。その人とずっと一緒にいるためにその人を守り続けることなのね。私もそんな恋がしたい……。そんな風に誰かを好きになってみたいわ」
「みゆきさん、あなたならきっと見つかるわ。そう思える人が」
「ありがとう。美雪さん」
「俺が恋人になってやってもいいぜ」
「はあ? 何で私の恋人がシゲちゃんなのよ! ばっかじゃないの」
「馬鹿とは何だよ」
「私はね、面食いなのよ。あんたなんか好きにならないわよーだ」
「何だよ、それ。こう言っちゃなんだが現太も大した顔してねえぜ」
「あーっ、ひどーい」
二人の女が声をそろえてシゲの口撃から現太を守った。
「な、何だよ。俺だけ悪者かよ」
現太ばかりがモテてシゲは不満顔だったが、美雪はシゲとみゆきは案外お似合いだなと心の中でそう思い、二人を見て微笑んだ。
その時、美雪の病室の扉が開く音が聞こえ、三人が思わず入口に目をやると、そこには現太が立っていた。
「あら、現ちゃん。何? 美雪さんのお見舞いに来たの?」
「な、何でお前らがいるんだよ」
現太は驚いたような、そして罰が悪そうな顔をした。
「俺たちは美雪さんのお見舞いに来たんだよ。お前もお見舞いにきたのか? そりゃそうだよな。美雪さんは命懸けでお前を助けてくれたんだからな。お前の女神さまだからな。美雪さんは」
「ふふ、ほんとね」
「う、うるせ! 誰が、見舞いなんかに来るか。俺はな、こいつに文句を言いに来たんだよ。無茶なことしやがって、助かったのは運が良かっただけだ。一歩間違えれば三人とも死んでいたんだ。お前の軽はずみな行動がどれだけ危険だったと思ってんだ!」
「ご、ごめんなさい。私……」
「現ちゃん、何もそんな言い方しなくても。美雪さんだって現ちゃんのことが心配で……」
「うるせー! お前は黙ってろ! いいか、俺は許さねーからな!」
「現ちゃん!」
現太はそのまま病室を出て行ってしまった。
「おい、現太! 待てよ」
シゲが後を追ったが、諦めてすぐに戻ってきた。
「まったく! あいつは。あんな言い方しなくたって」
「本当よ。感謝するってことを知らないんだから」
病室の入口で、みゆきとシゲは現太に怒鳴られた美雪を気遣った。
「へへ……私、やっぱり現太さんに嫌われちゃった」
美雪は二人の気遣いに無理やり笑顔を作って見せたが、悲しみに耐え切れず布団を頭から被ってしまった。
「美雪さん……」
その時、シゲが病室の入り口に置かれた紙袋に気付いた。
「なんだこりゃ」
シゲが袋の中を覗いて見ると、
「みゆきちゃん、これ……」
「これって、現ちゃんが持ってきたの?」
「だろうな」
二人は顔を見合わせると思わず微笑んだ。
「美雪さん、大丈夫よ。現ちゃんは美雪さんのこと嫌いになったりしていないわ」
紙袋の中には花束が一つ入っていた。
「美雪さん、顔見せて。ほら、これ見て」
美雪がゆっくりと布団から顔を出した。現太に嫌われたことが、よほど悲しかったのだろう。真っ赤に腫らした目を潤ませていた。
「これは?」
「現ちゃんが持ってきたのよ。嫌いになった子のためにわざわざこんな花束持って来たりしないわ。大丈夫、現ちゃんは美雪さんのことを嫌いなんかじゃないわ。きっと、私とシゲちゃんがいたんで照れ隠しにあんなこと言ったのよ」
「そうだよ。あの現太が花束持ってくるなんて。あいつ、花屋でどんな顔してこれ買ってきたんだろな。想像するだけで笑っちゃうよ。きっと、ここまで持ってくるのが恥ずかしかったんだろうぜ。こんな安っぽい紙袋に入れてさ」
「そうね。現ちゃんが女の子のために花束買うなんて想像できないもの。私だって一度ももらったことないわ。でも、それにしてもセンスないわね。綺麗だけど、なんで同じ花ばかりこんなにたくさん買ってきたんだろう」
シゲが広げて見せた紙袋の中から、ようやく適切なスペースを与えられたピンク色のスイートピーの花々が美雪の目の前で溢れ出るようにして広がった。みゆきとシゲは首を傾げて不思議がったが、それを見た美雪の目からは涙がこぼれ落ちた。
(現太さん、覚えていてくれた……)
―おにいちゃん、これあげる―
―わたしね、このおはながいちばんすきなの―
あの日、まだ幼かった美雪がそう言ってげんちゃんに手渡した花。
「ありがとな」
照れながら、げんちゃんが大事そうに受け取ってくれた花。
現太がその花を覚えていてくれた。
そのことが美雪は何よりもうれしかった。(つづく)
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