「めぐり逢う理由」 (第五章 別れの予感)-4-

 それから数日が過ぎて、例年より少し早く七月の初めに今年の梅雨は明けた。会社を辞めた現太は、子供の頃に住んだ叔母の家を借りることになり、いよいよ東京を離れることになった。

 現太が東京を離れることになり、どうしても美雪と現太を結び付けたいと思っていた早苗は最後の賭けに出た。毎年この時期に行われる下町の夏祭りの夜、現太と美雪を会わせようと考えた。

 早苗の考えた筋書きはこうだ。

 シゲが早苗を夏祭りに誘ったが、早苗が現太と一緒じゃなければ行かないと言っているので、シゲが現太に一緒にきてくれと頼む。大勢の人混みの中にわざわざ疲れに行くようなもんだと、いつもの現太なら祭りに行くことを渋るのだろうが、友達思いで妹思いな現太は、東京で二人にしてやれる最後のことだときっと首を縦に振るに違いない。しかし、待ち合わせの場所にシゲと早苗はやって来ない。そこにやってくるのは、早苗に同じような理由で祭りに誘われた美雪である。

 早苗は美雪が来てくれるか少し心配だった。父親を亡くして以来、美雪はあえて現太を避けているように、早苗にはそう思えたからだ。しかし、思い切って美雪を誘ってみると、意外にも美雪は快く承諾してくれた。だが、それが返って、早苗の不安を煽った。「現太が東京を離れてしまう」喉元まで出掛かったその言葉を早苗は結局、美雪には伝えなかった。それを伝えるかどうかは現太が決めることだと思った。

 

 果たして、その日はやって来た。

 シゲと早苗が来ていると思い込んで待ち合わせの場所にやって来た現太は、どこで借りて来たのか浴衣姿に下駄を履いていた。

「こんばんは。現太さん」

「美雪……どうしてここに」

「早苗さんが誘ってくれたの。シゲさんもいらっしゃるって」

 現太は早苗とシゲが仕組んだ安物芝居にまんまと騙されたことに気が付いた。

「まだかしら? 二人は一緒に来るのかなぁ」

 現太は覚悟を決めた。きっと早苗が仕組んだことなんだろうが、美雪と二人で過ごせる最初で最後の時間だ。

『巡幸例祭』遠く熊野から分かれたこの神社の祭りは、東京の下町の人々からそんな風に呼ばれていた。自分は美雪に何もしてやることができない。せめて最後に、美雪に幸せが巡りくるよう祈りを捧げようと思った。

「あいつらのことは放っておいて、祭り見に行くか?」

「いいの?」

「ああ」

「ふふふ、現太さん、その浴衣姿ステキよ」

「ばか、からかうなよ。早苗のやつが、祭りに行くのにGパンじゃだめだってうるせえからよ」

「そうよ。せっかくのお祭りだもん。私はどうかしら。おかしくないかしら?」

「う、うん、まあまあだな」

「ふふ、うれしい。現太んさんの“まあまあ”は誉め言葉だものね」

「まっ、そういうことだ。それよりその髪飾り……」

 現太は美雪のしていた髪飾りを見て言った。

「これ? すてきでしょ? お友達からの借り物なんだけどね」

美雪がしていた髪飾りは、美雪が子供の頃にお気に入りのティアラと交換した、み子の祠にあった髪飾りだった。

「これがどうかしたの?」

「どこかで見たことがあるような気がして……い、いや、きっと、気のせいだ」

「これね、『麝香豌豆金蒔絵(じゃこうえんどうきんまきえ)飾り』って言うんですって」

「じゃ、じゃこうえんど?」

「麝香豌豆金蒔絵飾り……よ。麝香豌豆ってスイートピーのことよ。現太さんが私のお見舞いに持って来てくれた、あのお花のことよ。私、あの時うれしかったなぁ。現太さんにお花もらえて」

「そ、そう言えばそんなこともあったな。もう忘れちまった」

「私は忘れないわ。だってとってもうれしかったんですもの」

「ほ、ほれ、もう行こうぜ。混んじまうぞ」

 現太は照れくさそうに話しを逸らせた。

「ふふ、ええ、じゃあ行きましょうか。まずは神社にお参りね」

 二人は神社に向かって歩き出した。普段、ただでさえでかい現太は、下駄を履いてますます目立った。しかし、髪を上げ、浴衣姿の美雪はそれ以上に目立っていた。並んで歩く二人を皆が振り返った。

「ここに並ぶのね」

 美雪と現太は参拝の列に並んだ。拝殿の中には白装束に身を固め、首から大きな玉の数珠を掛けた老婆が、背中を向け体を揺らし何やら怪しげな祈祷を行っている。美雪たちの順番がきて二人がそれぞれに賽銭を投げ入れると、老婆の激しい動きがぴたりと止まってしまった。

「あれ? 婆さん止まっちまったぜ。賽銭が少なかったのかな?」

「げ、現太さん。聞こえるわよ」

「美雪、お前いくら入れた?」

「百円よ。現太さんは?」

「二十円……少ねえか?」

「そんなことないと思うけど……」

「しょうがねえ。少し足すか」

 そう言って現太が百円玉を投げ込むと、止まっていた老婆がこちらを振り返った。

「ほらな、やっぱり足りなかったんだよ。銭の音で金額がわかんのかな。業突くな婆さんだなぁ」

「げ、現太さん」

「喝‼」

 老婆が大麻(おおぬさ)を振り下ろした。

「な、何だよ。急に」

 老婆がつかつかと美雪たちに歩み寄ってきた。

「失礼なことを言ってごめんなさい」

 美雪は咄嗟に老婆に謝った。老婆は現太に一瞥を投げると、美雪を見て叫んだ。

「誠世院清雪美優童女(せいぜいんせいせつびゆうどうじょ)!」

「は、はい」

 美雪は思わず返事を返した。

「ようめぐり逢うた。わしの言うた通りじゃろ? あの橋が虹橋と呼ばれる時代にお前たち二人はめぐり逢うた。しかしこれからじゃ、これからが大事じゃ。信じるんじゃ。勇気を持って信じるんじゃ」

 それだけ言うと、老婆は再び背を向けて祈祷を始めた。

「何なんだよ。あの婆さん。何で、お前返事してんだよ」

「分からないけど。何だか自分の名前を呼ばれたような気がして」

「はあ? 何だそりゃ」

 二礼三拍手、奇妙な老婆の背中に向けて美雪と現太は揃って手を合わせ頭を下げた。そして、後ろの列に押し出されるようにその場を離れた。二人は、祭りの人混みの中を並んで歩き、踊りを見たり、山車が町を練り歩く姿を見たりして下町の祭りを楽しんだ。

「あっ、現太さん! あれ、金魚すくい。それに、あれ何て言ったかしら? 小さい風船にお水が入ってる、えーと……」

「水ヨーヨーか?」

「ああ、ヨーヨー、うん、そうそう、ヨーヨーって言ったわね」

「お前みたいなお嬢さまがよくそんなもの知ってんだな」

「昔ね、アメリカに引っ越す少し前にね、奈美ちゃんとプーさんが近所のお祭りに連れて行ってくれたの。私の母は厳しい人なので、私がそういうお祭りに行くことを絶対に許してくれなかったわ」

「だろうな」

 現太は、子供の頃美雪を迎えに来ていた怖そうな美雪の母親の顔を思い浮かべて言った。

「でもね、二人が何とか母を説得してくれて、一度だけお祭りに連れて行ってもらったの。楽しかったなぁ。金魚すくいも、ヨーヨーもやったわ。全然取れなかったけどね。それでも、金魚二匹とヨーヨーを一つ、お店のおじさんがくれたの。怖そうな顔したおじさんだったけど、本当はやさしいのね」

「子供にはやさしいのさ」

「ふふふ、そうなの? そしたら、奈美ちゃんがどこからか飴を買ってきてね。丸くてきれいな色のとっても美味しい飴だったわ。それを三人で食べて、母にもお土産にあげたんだけど食べてくれたのかなぁ……きっと、誰かにあげてしまったかも知れないわね。現太さんにもあげたかったなぁ。とっても美味しい飴だったのよ」

「そ、そうか? それは残念だったな」

「ほんとに……」

 美雪は本当に残念そうな顔をしていた。それから二人はしばらく歩いて、人の喧騒から離れ祭り会場が見渡せる橋の上に来ていた。故郷の龍背大橋とは違い、東京の橋は機能的な、ただ右から左に移動することだけが目的の殺風景なものだった。

 二人は橋の上に並んで立ち、遠くに見える祭りの人波を見ていた。

「ねぇ、現太さん?」

「ん?」

「もしも……もしもよ、私と現太さんが生まれ変わったとしたら、現太さんはまた私を見つけてくれる?」

「何だよ、急に」

「あのたくさんの人の中から私を見つけ出してくれる?」

 美雪の見つめる先には、どこから溢れ出てくるのか、たくさんの人間がうごめいていた。その先には海へと続く河口が見えている。人々の騒々しさとは対照的に川がゆっくりと海に流れ込んでいた。

「ああ、生まれ変わるなんてことがあんのかどうか知らねえが、そん時は見つけてやるさ」

「本当に?」

「ああ、本当だとも」

「…………」

「どうした? 美雪?」

「ううん、何でもない……何でもないわ」

 美雪は目からこぼれ落ちそうになった涙を指で拭った。

 ―ドーン、パーン、パチパチパチ―

「あっ! 花火。現太さん、花火よ!」

 空に打ち上がった花火を美雪が指さした。

「きれいね」

 夜空を見上げた美雪の目に、開いた花火の光が滲んで映っていた。

空へ、海へ、花火が次々と打ち上がる。

 ―ヒュー、ドーン、パーン―

 ―ドーン、パーン、パチパチパチ―

「日本の花火って、きれいなのね」

「そうか? 俺は日本のしか見たことねえからな」

「きれいよ。とってもきれい。私、忘れないわ。現太さんと見た、この花火……忘れない。絶対に忘れないわ……」

「美雪、お前……」

 ―ドーン、パーン、パーン、パーン―

 夏の終わりを告げる最後の花火が海上に三つの扇を広げた。それを見た美雪と現太は、それぞれにあの龍背大橋を思い浮かべていた。

やっとめぐり逢えた。しかし、二人が添い遂げられるのは、今生ではなかった。

 華やかな祭りの陰でそれだけが悲しかった。(つづく

 

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