「めぐり逢う理由」 (第五章 別れの予感)-1-

別れの予感

 出火の原因が、五葉電機社員の成瀬による放火であったことが分かったのは、現太に助け出された良樹の証言があったからだ。

「恐竜のネクタイしたお兄ちゃんが、あそこで何かしていたよ」

 現場検証の場で良樹は、そう言って成瀬が火のついたままのタバコを投げ入れたゴミ箱を指さした。

 成瀬は上にある監視カメラばかり気にしていて、すぐ傍で見ていた好奇心に満ちた子供の精巧で小さな目には気付いていなかった。

 成瀬が逮捕され、半田社長に謝罪するために幸太郎と佳恵が半田製作所を訪れた。幸太郎は佳恵が押す車椅子に乗って半田のいる社長室までやって来た。

「半田社長、この度は誠に申し訳ありませんでした。社員の不始末は社長である私の責任です。賠償についても誠意を持って対応させて頂きます」

 社長の半田は、ガキ大将がそのまま大きくなって大人になったような、親分肌の男だ。優等生タイプの幸太郎とは同じ社長と呼ばれる立場でありながら、性格も風貌もまったく違っていた。しかし、同じ創業家の二代目ということで、東京に出てくる前から二人は仲が良かった。若い頃は一緒によく飲みに行った。時には、お互いの会社の将来について一晩中、真剣に話し込んだりもした。

 半田は、見た目にもこだわらない性格の持ち主だ。幸太郎と佳恵が通された部屋は、社長室とは言うものの、社長の席として用意された少し大きめな机と年季の入った椅子が一組、それに四人掛けの応接セットが部屋の真ん中にどかんと置かれただけの簡素な造りのものだった。幸太郎と佳恵は、肘掛けもない社長の椅子に座る半田に深々と頭を下げた。

「まあ、工場の建物と機械の修理代についてはきっちり弁償してもらうぜ。だがな、生産が止まった分の損害はチャラにしてやる」

「えっ? でも、半田さん、そういうわけには……」

「佳恵さんよ。悪いがしばらくの間、幸太郎さんと二人きりにしてもらえるかい?」

 半田は椅子から腰を上げ二人に近づくと、佳恵の代わりに幸太郎の乗る車椅子のハンドルを握って言った。

「は、はい」

 佳恵は幸太郎を半田に預け、心配そうな顔をして何度も頭を下げ部屋から出て行った。半田は幸太郎の乗る車椅子を応接のテーブルの脇に付けると、自分は幸太郎と向かい合うように椅子を少し斜めにずらして座った。

「幸太郎さん、さっきの話、勘違いしてもらっちゃ困るぜ。俺は別に、あんたのためでも、五葉さんのためでもねえ、あんたの娘さんに免じて無かったことにしてやると、そう言ってんだぜ」

「美雪に?」

「ああ、そうさ。うちの現太を助けるために、無謀にも崩れ落ちそうな工場の建物の中に飛び込んでいった、女のくせに……なんて、今どきはセクハラだのパワハラだのと言われるのかも知れねえが、あえて言わせてもらえば、女のくせに大したもんだぜ。娘さんと現太はそういう仲なのかい? いや、たとえ恋人を助けるためだとしても、ドラマや映画のセットじゃねぇんだ。あんな真似、男の俺だってできやしねえよ」

「恋人どうしではない……と思う。ただ……」

「ただ?」

「半田さん、私にもよく分からないんだ」

「雄ちゃんでいいぜ。昔のようにさ。なあ、幸ちゃんよ」

「あ、ああ」

 幸太郎は半田と二人きりであることを思い出したように少し照れて笑った。

「うまく言えないんだが、何というか、私は二人の運命は生れる前から決まっていたんじゃないかって、そんな風に思うんだ」

「生まれる前から?」

「うん。私が雄ちゃんに現太くんの親代わりになって欲しいと頼みに行った時のことを覚えているかい?」

「ああ、覚えているよ。さすがの俺も、少年院を出所したばかりの若者を社員として会社に迎え入れるには少し戸惑ったよ。まあ、現太に会って見てその心配は吹っ飛んだけどさ」

「私が現太くんの犯してしまった事件のことを知ったのは、美雪が中学生の時に見た現太くんの夢がきっかけだった」

「現太の夢を? 娘さんが見たっていうのか?」

「ああ、そうだ。当時アメリカにいた私は、日本にいたうちの運転手の村上くんに言って、美雪には内緒で現太くんの裁判の状況を逐一報告してもらっていた。法廷で現太くんは言っていたそうだ。“妹をあんな目に合わせたやつらを俺は許さない。殴り殺してやるつもりだった”と……」

「ああ、俺が現太でもそうしただろうよ。現太の妹を襲った奴ら、あいつらは人間のクズだ! いや、人間じゃねえ。ただのクズだ!」

 半田は拳でテーブルを叩いた。

「でも、現太くんにはそれができなかった。寸でのところで誰かに止められたと彼は言っていたそうだ。ただ、それが誰なのか分からない。それまで散々殴って、既に虫の息だった犯人たちに止めを刺すため、現太くんが拳を振り下ろそうとしたその時、“やめて!”という誰かの泣き叫ぶ声が聞こえたと言うのだ。現太くんはその声で我に返り、相手に重傷を負わせたが、彼は人殺しにはならずに済んだ。“あいつらを殺しても妹の負った心の傷は一生残り続ける。俺は妹の傍にいてやりたい。妹の傍にいてやるためにも、俺は人殺しになってはいけなかった。俺は、あの時のあの声に救われたんだ”と、現太くんはそう言っていたそうだ」

「声に? もしかして、その声の主が娘さんだったってことか?」

 半田の問いかけに幸太郎はゆっくりとうなずいて見せた。

「それを聞いた時、私は美雪が話してくれた夢と同じであったことに驚いた。幼稚園の時にほんの僅かの間一緒だっただけで、そのあと日本を離れて十年近くも経って、しかも、一万キロ以上も離れた場所で現太くんの身に起きた出来事を美雪は夢で見たのだ。それがいわゆる正夢というものではないかと、私は本気でそう思ったよ。現太くんを救った声というのは、美雪が夢の中で叫んだ声だったのかも知れないと」

「正夢……か。たまに聞くけどな、そんな話」

「でも、そんな考えは現実的ではない。誰かの声というのは恐らく現太くんの聞いた幻聴なのだろう。もしかしたら、現太くん自身の心の声だったのかも知れない。ただ、これは娘を持つ父親の勘としか言いようがないのだが、あの子は……美雪は、現太くんをずっと待ち続けていたのではないかと思うんだ。それは十年、二十年などという常識に縛られるような時間ではなく、百年、二百年という時も超えて現太くんとめぐり逢うことを、あの子は待ち続けていたように思う。幼かった美雪が見せた、日本を離れ現太くんとはもう会えないと分かった時の、あの時の悲しそうな目を私は今でも忘れることが出来ない。あれは別れを悲しむ単なる子供の目では無く、時も超えようやくめぐり逢えた大切な人を失わなければならない自分の運命を恨むような、暗闇の中で慟哭する孤独な少女の目だった」

 半田は幸太郎の話を椅子に座ったまましばらくは黙って聞いていたが、部屋に差し込む陽の光に気づいて、その場でおもむろに立ち上がると幸太郎に背を向け窓の方を振り返った。

「時も超えて……か」

半田は社長室の窓から見える、自分よりも遥かに長い時間を生きて来たであろう一本の古い桜の木をじっと見つめていた。

「なるほどな。そうでもなけりゃ、あんな無謀なこと出来るわけねぇか。やっとめぐり逢えた人を今度こそ失いたくなかった。だから、あんたの娘さんは現太を命懸けで守ろうとしたってわけか」

 そう言いながら、半田は美雪の取った行動に今さらながら血の気が引く思いだった。

「幸ちゃん、娘さんのケガの具合はどうだい? やっと声が出るようになったとは聞いたが……。嫁入り前の大事な娘さんにとんだ傷を負わせちまった。申し訳なかった」

「雄ちゃん……」

 幸太郎は深々と頭を下げたままの半田を見つめた。

「ところで幸ちゃんよ、こう言っちゃなんだが五葉さんはちょっと会社が大きくなり過ぎたんじゃねぇのかい? いや、勘違いするなよ、うちが小っちゃな町工場だからって嫌味で言ってんじゃねぇぜ」

「わかってるよ、雄ちゃん」

「あんたが、世之介おやじに頭が上がらないのは分かる。だが、今はあんたの会社だ。幸ちゃん、昔、呑んでよく言ってたろ? 社員旅行や夏祭りをやってた頃の、あの頃の五葉電機が一番良かったって。そういう会社にすりゃいいじゃねぇか」

「できるかな、俺に」

「大丈夫さ、あんな勇敢な娘を育てたあんたならできる。必ずできるさ。うちもできる限り協力させてもらうぜ」

「雄ちゃん」

「偉そうなこと言っちまったが、うちも五葉さんからの仕事がねえとやって行けねえからな。持ちつ持たれつ、お互い様さ。がんばれよ、幸ちゃん。そんな病気、早いとこ直しちまえよ。そしたらよ、また、二代目どうし昔のように酒呑んで語り明かそうぜ」

「雄ちゃん、ありがとう。ありがとう」

 幸太郎と半田はお互いに固い握手を交わした。ドアを挟んで二人の話を聞いていた佳恵は、口にハンカチを押し当て声を殺して嗚咽した。病が幸太郎の身体を容赦なく蝕んでいる。幸太郎は恐らくそのことを知っているはずだ。「できるかな、俺に」とは、自分にはそれを成し遂げるのに十分な時間がないことを心配したのだろう。(つづく

 

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