「めぐり逢う理由」 (第五章 別れの予感)-2-

 十日間の入院生活の後、美雪はようやく退院が許された。喉元の傷もほとんど目立たないまでに回復した。美雪は自分のことより幸太郎の身体が心配だった。美雪が入院している間、美雪の代わりに佳恵が幸太郎の看病をしていたが、佳恵は社長代理として会社を守らなければならず、それももう限界だった。

「美雪、退院早々悪いわね。幸太郎さんのこと頼むわね」

「いいえ、お母さま、私の方こそお父さまが大変な時に迷惑をかけてしまってごめんなさい。お父さまのことは心配しないで。私がちゃんと看病するわ」

「ええ、お願いね」

 美雪は佳恵の疲れ切った顔を見て、現太に言われたように、自分が如何に軽率な行動を取ってしまったのか、改めて反省した。

 

 それからひと月半ほどが過ぎて、三月の初め、名残り雪がようやく芽吹いたフキノトウを覆い隠した頃、美雪の必死の看病も空しく、幸太郎の命の灯は病院のベッドの上で小さく消えかけていた。

その日の夜中、美雪と佳恵は病院からの呼び出しを受け、村上の運転する車で駆け付けた。

「お父さま!」

「あなた!」

 美雪と佳恵は必死に幸太郎に声をかけた。二人から距離をおいて後ろに控えた村上は、厳しい表情をする主治医の顔を見て絶望的な状況であることを察した。二人の呼びかけに気が付いた幸太郎がゆっくりと目を開いた。幸太郎は妻と娘の顔を見て安心したように小さく微笑んだ。

「佳恵、美雪もいるんだね」

「ええ」

「佳恵、会社のこと……苦労かけてすまんな」

「あなた……」

「美雪、母さんを頼む」

「お父さま、しっかりして! お父さま!」

「みんな、仲良く……な」

 争いごとを好まず、愛した家族に残した、幸太郎らしい最後の言葉だった。

 

「社長、帝都銀行の梶原常務とのお約束の時間です」

「え? ああ、もうそんな時間なのね。すぐに支度をします。車を回しておいて頂だい」

「はい」

 幸太郎が亡くなり四十九日が済んだ頃、五葉電機は現実的な問題に直面していた。ある日、佳恵は、五葉電機のメーンバンクである帝都銀行の梶原常務から直々に食事に誘われた。佳恵はすぐに融資のことが頭に浮かんだ。株価が下がり会社が窮地に追い込まれている今、メーンバンクである帝都銀行に融資を渋られるようなことになったら会社は間違いなく清算される。事実上の倒産だ。一万人を超える従業員が路頭に迷うことになる。それだけは避けなければならない。幸太郎の後を継いで五葉電機の社長になった佳恵は、梶原常務との待ち合わせ場所に向かう車の中で、幸太郎が抱えていた苦悩を改めて痛感していた。

 高級ホテルの最上階のレストランの一室を貸し切り、帝都銀行の梶原は佳恵の到着を待っていた。佳恵が到着したことを知るとわざわざ部屋の入口まで出迎えにやって来た。“融資(しごと)の話ではないのか”佳恵は梶原の不自然なまでの笑顔を見ながらそう思った。

「これは、これは西園寺さん、よく来てくださいました。さあさあ、こちらへどうぞ」

 席に座り、ありきたりな世間話が一段落すると、梶原は神妙な顔で話を切り出した。

「西園寺さん、この度はご主人の件、大変残念なことでした。心からお悔やみ申し上げます」

「ご丁寧にありがとうございます。葬儀の時もお心使いをして頂きましてありがとうございました」

「いえいえ、帝都(う)銀行(ち)と五葉電機さんは長いお付き合いですから。当然のことをさせて頂いたまでです。それより、四十九日は過ぎたとは言え、まだまだ辛いこととご心痛お察しいたします」

「はい。しかし、ご心配いただいた方へのご挨拶やら、会社の仕事やら、何かと多忙な毎日で悲しんでばかりもいられません。今は、会社や従業員のためにも主人の分まで私が頑張らなくてはならないとそう思っております」

「そうですか。でも、あまり無理はなさらないように。健康が第一ですからね。うちもね、できるだけのことはさせて頂くつもりです」

「あ、ありがとうございます」

 佳恵は梶原の言葉にほっとして思わず頭を下げた。

「ただねぇ……役員の中には数字だけでものをいう連中も少なくない。これを説得するのがなかなか難しくてね」

「融資のことですか?」

「ええ。幸い彼らは私には一目置いている。私が言えば最終的には折れると思いますがね」

「よ、よろしくお願いいたします。梶原常務、弊社は帝都銀行さんから融資を断られるようなことになったら倒産は免れません。何とか役員の方たちを説得して頂けますよう、よろしくお願いします」

「分かりました。努力してみましょう。ところで西園寺さん、私から一つお願いがあるのですが」

「何でしょう?」

「娘さん、確か、美雪さんとおっしゃいましたね」

「はい」

「一度、うちの息子に美雪さんを合わせてやって欲しいんだが、どうでしょうかね? どこで見初めたんだか、息子が美雪さんのことをえらく気に入りましてね。いかがですか?」

 随分と低姿勢な言い方だが、梶原は明らかに融資の交換条件に美雪と自分の息子の交際を要求してきた。

「え? ええ、でも、美雪に……娘に聞いてみないと……」

「それはそうですね。こういうものは本人どうしの気持ちが一番ですからね。まあ、いい返事を期待していますよ。五葉電機さんの今後のためにもね」

 梶原は、要求をのまなければ融資はしない。そんな脅迫めいた微笑みを浮かべた。佳恵は悩んだ。会社の存続のためには帝都銀行からの融資は必須条件だ。しかし、そのために美雪の幸せを犠牲にすることはできない。会社の経営を任せられる、そういう男性を美雪には見つけてやりたい。しかし、それはあくまでも美雪が幸せであることが前提だ。夫の幸太郎は優秀な経営者だった。そして、同時に自分にとって最愛の男性だった。美雪の人生もそうあって欲しかった。佳恵は梶原の息子と面識はなかったが、父親のコネで入った帝都銀行のどこかの大きな支店の融資課にいることは噂で聞いていた。たた、同時にあまりいい噂も耳にしていなかった。『親の七光り』それが、佳恵の梶原の息子に対して持った印象だった。

 帰りの車の中、佳恵は悩んだあげく、美雪には黙ってこの話を断ろうと考えていた。会社や大勢の従業員を守れなければ経営者としては失格だ。しかし、それでも佳恵は、母親としてはたった一人の娘の幸せを守りたかった。(つづく

 

~目次~ 第五章 別れの予感 1  2  3  4

shin2960.hatenadiary.com