「あなたへのダイアリー」 (第一章 アフリカ)-1-

アフリカ

  荒涼とした大地に夕陽が沈みかけると、あたり一帯は深いオレンジ色の光に包まれる。草も木も空も風も、そして人も獣たちも。手を伸ばせば届きそうなくらいに大きく膨らんだ太陽は、その重たげな身を地平線の少し上に辛うじてまだ留めている。

 その太陽の下の乾ききった赤茶けた大地は、ほんの僅か、風が吹いただけでも細かな砂塵を巻き上げていた。獣たちは砂塵が巻き上がる度に、身をすくめて風が通り過ぎるまでただじっと無言で耐えている。

 少し遠くを見渡すと、ついこの間まで沼地だったと思われる場所は、ひび割れた硬い土がむき出しになっている。そこでも獣たちは雨が降るまでただじっと渇きに耐えている。

 いつからなのか、彼らはあとどれくらいこんなことを続けるつもりなのだろうか。昨日からもう動かなくなってしまった仲間もいるというのに。風が止むことも、雨が降ることも、何も約束されていないというのに、明日もこうして、ただじっと耐えるつもりなのだろうか。

 それとも……。もしかしたら、彼らは知っているのかもしれない。神の慈悲が死に行くものだけに与えられるということを。

「ギャーギャー、ピュー、ピッピー」

 突然、遠くのほうで鳥の鳴き声が聞こえた。間もなく、ここも静寂な暗闇に包まれてしまうだろう。草も木も空も風も、そして人も獣たちも真っ黒に塗り潰してしまうかのように。

 私たちは想像できるだろうか? 暗闇に埋もれていく孤独を。愛する人の幸せをただ祈り信じることしかできなかった無力感を。もしも、それが間違っていたとしても、純粋だったという悲しさがあるから、神は最後にもう一度、男に見せてくれたのかも知れない。

  あの夏の日の幻影を……。

 

 マホバ族は、アフリカ南部に住む農業と伝統的な狩りで得た、わずかな獲物を生活の糧とする温厚な少数民族だ。しかし、近年、彼らの周りでは、西洋人が持ち込んだ殺戮(さつりく)のための武器を使った部族間の争いが絶えず繰り広げられている。いずれ彼らの村もその争いに巻き込まれてしまうかも知れない。彼らの住む場所は、彼らの意思や思いとは別に、いつの頃からか、いわゆる『紛争地帯』と呼ばれていた。

「リョウ! 夕飯ができたよ。そろそろ下に降りてきたら?」

 マホバ族の子供、ティムが、村はずれにわずか数本だけそびえ立つ、この辺りでは珍しく大きな木の下で叫んでいる。

「オーケー、今行くよ!」

 その大きな木の上から男の声がした。男のいる位置まで下から十メートル近くはあるだろうか、小さなティムが大きな声で叫ばないと男には聞こえなかった。

「いつも、その木の上で何をしているのさ!」

 ティムは、まだ降りてこようとしない男に向かって「早く降りてきてよ」と言わんばかりに、大きな声を張り上げて言った。

「夕陽を見ているんだよ。こんなでっかい太陽は、日本じゃなかなか拝めないからね」

 木の上の男は、見ていた夕陽に一度だけ手を合わせ、ティムのいるところまで一気に降りてきた。

「ふーん」

 まだ幼い十歳のティムが、「何が珍しいのさ」というように首を傾(かし)げてみせた。クリクリとした大きな目に茶色の縮れ毛のティムは、もちろん本物ではなかったが、父親に買ってもらったスペインの名門サッカーチーム、FCバルセロナのユニフォームがお気に入りだ。母親の手伝いを一通りし終えると、そのユニフォームを着て枯草と木の皮で作った粗末なサッカーボールを蹴って遊ぶのがティムの日課だ。学校へは毎日行っていないが、それは別に珍しいことでも悪いことでもなかった。この村の子供たちは皆そうだった。学校へは行けるときに行く、それで十分だった。

「ティム、さあ、暗くなる前に帰ろう」

 男とティムは、夕陽に背を向けるとティムの家へと急いだ。二人の前には、長く伸びた影が寄り添うように並んで映っている。ティムは男の影の長さに追いつこうと飛び跳ねて見せるが、とても追いつかない。すると今度は、男の前を歩き背が並んだと言って喜んでいる。ティムは男に背を追い越されないように、注意深くそして足早に歩き、時々振り返っては満足げな顔を見せている。男はそんな他愛もないティムの様子をとても幸せそうな顔で見つめている。遠い昔、幼かった日の自分を目の前のティムに重ね合わせているかのようであった。もしかしたら、男が先ほど夕陽に向かって手を合わせたのは、ティムの幸せが永遠に続くことを願ってのことだったのかも知れない。

「リョウ! ぼくも、リョウみたいに早く大きくなりたいな」

少し前を歩いていたティムが、勢いよく半回転して立ち止まった。

「ど、どうして?」

 突然のことに驚いて、ティムの影を追い越さないように、出しかけた片足を収めて男も立ち止まった。

「だって、大きくなれば強くなれるでしょ? 強くなってママを守ってあげるんだ!」

 どう見ても、ティムの身体には大きすぎるバルセロナのユニフォームが、頼もしいほどに夕暮れ時の風になびいている。

「ママを?」

「うん。パパが死ぬ前に僕に言ったんだ。ママを守ってやれって」

「そうか、パパがそう言ったのか……。うん、そうだな。ティムはすぐに大きくなれるよ。あっという間に僕の背を追い越してしまうさ!」

「ほんと? やった!」

 ティムが走ってきて男に飛びつくと、男はティムをひょいっと抱き上げてそのまま肩車をしてやった。

 二つの影が一つになって少しだけ長く伸びた。(つづく

 

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