「めぐり逢う理由」 (第一章 百年前の恋)-5-
「み子、みぃー子! ねえ、聞いてるの?」
「え? ええ、ああ、ごめんなさい。何?」
「何じゃないわよ。み子、あなたこの頃少し変よ。ぼーっとしたり、ため息付いたりしちゃって」
「そんなことないわよ。普通よ。私は。で、何の話?」
「今度の日曜日、一緒にお買い物に行かない? って言ったの」
「お買い物? どこへ?」
「町はずれに、髪飾りや簪なんかを専門で売るお店ができたんですって。行ってみない?」
そういえば、先日あの男の引く人力車で町まで帰って来るとき、確かに珍しくハイカラな店が町はずれに出来ていた。奈美が言う店はその店のことだろうか? その店の面する通りは、龍背大橋に向かう一本道だ。もう一度あの男に会えるかもしれない。そう思うと多み子は胸が高鳴った。
「うん、うんうん。行く行く。行きましょ」
「な、何? 随分乗り気ね」
「楽しみだな。早く日曜日にならないかな。何着て行こうかしら」
「お買い物に行くだけなのよ」
「ええ、そうよ。そうだ、髪型も少し変えてみようかしら」
「み子、あなたやっぱり変よ」
そわそわと落ち着きのない多み子に奈美は半分呆れ顔だ。
日曜日、多み子は朝から忙しかった。贅沢三昧の異母兄弟たちと違って、それほどたくさんの服や靴を持っていたわけではないが、選ぶのに手間取ってしまった。髪型は散々悩んだ挙句、いつも通りに整えた。多み子は奈美と約束した時間ぎりぎりに待ち合わせ場所の海岸通りにやって来た。
「ごめんなさい。お待たせしちゃって」
「よろしくってよ。あら、随分おめかししてきたのね。恋人にでも会いに行くつもり?」
「そ、そんなことないわ。お買い物に行くだけよ」
奈美の言った冗談に多み子は顔を赤くした。
「まっ、いっか」
二人は乗り合いの馬車に乗り町はずれを目指した。多み子は近くを人力車が通るたび身を乗り出して車を引く車夫の顔を覗き込んだ。
「そういえばこの道って、あの橋の方につながっているのよね? み子はこの前ここを通ってあの橋まで行ったの?」
「ええ」
なるほど。奈美は多み子がそわそわして落ち着かなかった理由がようやくわかった。
「へー。じゃあ、例の荒くれ者さんにまた会っちゃったりして」
「そ、そんなわけないでしょ」
「わかんないわよ。もしも……もしもよ、荒くれ者さんにあったらどうする?」
「どうもしないわよ」
「ふーん」
「なによ」
「なんでもないわ。あっ! あれ、荒くれ者さんじゃない!?」
「えっ! どこ? どこ?」
「ほら、右手に見える人力車。法被姿に菅笠をかぶっているわ。横顔なんかそっくりじゃない?」
「…………」
「違う?」
「違いますぅ。車を引いている人はみんな法被姿に菅笠をかぶっているわ。第一、奈美ちゃん荒くれ者さんに会ったことないじゃない」
「そっか、そう言えばそうね。み子の話聞いてたら何だか私も会ったことがあるような気がして……。でも、み子、今日おめかししてきたのは、もしかしたら荒くれ者さんに会えるかもって思ったからじゃない?」
「そんなこと……」
奈美はたった一度しか会ったことのない男のために、化粧や宝石で着飾るわけではないが、乙女としての精いっぱいのおしゃれをしてきた多み子をいじらしいと思った。
「いいのよ。隠さなくっても。そっか、み子は荒くれ者さんに恋をしたのね。本当にもう一度会えるといいわね」
「うん」
二人は馬車を降りると目的の店を探しながら少し歩いた。
「こんな町はずれに本当にお店なんてあるのかしら」
「この前ここを通った時、確かに新しそうなお店があったわよ。多分そのお店がそうなんじゃない? もう少し先だと思うわ」
「そうね。もう少し行ってみましょ」
しばらくして奈美が店の看板を見つけた。
「あっ! あのお店、あのお店よ」
「え? どれ?」
「ほら、あの新しい看板。龍(りゅう)金堂(きんどう)って読むのかしら」
「そうね。多分そうだわね」
「行きましょう」
「ええ」
どちらともなく二人は走り出した。店の前まで来ると奈美が店の窓ガラス越しに中を覗き込んだ。
「わー、きれい! み子、見てごらん」
多み子も奈美の顔の横に自分の顔を並べて店の中を覗き込んだ。
「ほんと。きれいね」
「ほら、あれなんか素敵じゃない?」
「あれも、かわいいわ」
二人の乙女が夢中になって覗き込んでいると、店の主人らしき人物が背後から声をかけてきた。
「どうぞ、中でゆっくりとご覧ください」
「わっ!?」
「さあ、どうぞ」
「は、はい」
主人が扉を開けてくれ、二人は店の中へと入った。狭い店だが乙女たちの心を擽るようなかわいらしい小物ばかり所狭ましと並べられていた。
「すてきね」
「ええ」
「お嬢さんたちはどちらから見えたのですか?」
「はい。私たち、海沿いの方から来ました」
「ほう、じゃあ随分とにぎやかなところからいらっしゃったのですね。遠いところ来ていただいてありがとうございます」
「あのー、どうしてこんな町はずれにお店を出したんですか?」
「な、奈美ちゃん!」
遠慮なく聞く奈美を多み子が制した。だが、店主は別に気を悪くした様子もなく奈美のその疑問に丁寧に答えた。
「そうですね。確かにこの辺りは人通りも少ないですし、商売をするには向いていないかも知れません。でもね、お嬢さん、こんな遠くまででも、わざわざ来てくれるお客さんに私はこれを買ってもらいたいんです。本当に欲しいと思う方に買ってもらいたいんですよ」
「へー、じゃあ、私たちはこのお店のお客さんになる資格がありますね。だって、ここまで本当に遠かったですもの」
「はははは。資格だなんてそんな仰々しいものではありません。ただ、そうやって買っていただいた方は、きっと大切に使ってくれるんじゃないかと思うのです。親から子へ、子から孫へ、そうやって何代にも渡って使ってもらえると、私はとてもうれしく思うのです。大切に使ってもらえれば、少々お値段は張りますが、うちの飾りはどれも、百年はもちますよ」
「ひ、百年!?」
「ええ」
多み子は主人の言葉を聞いて、主人がこの店も店の商品も本当に大切にしていることが分かった。
「さ、私の話はそれくらいにして、どうぞゆっくり見て行ってください」
そう言い残し、主人は店の奥に下がった。奈美と多み子は飾りを選んでは鏡を見て似合うの似合わないのなどと言ってはしゃいだ。
「これ素敵だけれど、私たちには少し贅沢な品ね」
「そうね。女学生のお小遣いではちょっと買えないわね。じゃあ、み子、二人でこれを買わない? 色違いで」
「そうね。いいわね。そうしましょう」
さんざん悩んだあげく、二人は欲しかった髪飾りではなく玉簪を買うことにした。
「すみません。ご主人」
多み子の声を聞いて店の主人が奥から出てきた。
「どれどれ、気に入ったものがありましたか?」
「はい。これをくださいな。本当は気に入った髪飾りがあったのですが、私たちのお小遣いで買えるこれにします。髪飾りはもう少し大人になったら、お金を貯めてまた買いに来ます。」
「ほう、それはいい心がけですね。欲しい物をお金を貯めて買う。それもまた物を大切にする人がすることです。その時はまた是非いらっしゃい。ちなみに、気に入った髪飾りというのはどれかな?」
「あれです」
多み子が指さした髪飾りは、店のあまり目立たない場所にひっそりと飾られていた。
「ほー、これはどうして、なかなか」
店の主人は多み子の目利きの高さに感心したようにそう言って何度もうなずいて見せた。支払いを済ませ店を出ようとしたところで多み子が急に奈美の後ろに隠れた。
「どうしたの? み子」
「あ、あれ」
多み子は店の窓越しに外を指さした。奈美がその指の指す方向に目をやると、法被姿をした男が立っているのが見えた。
「え? 誰? も、もしかして、荒くれ者さん?」
多み子は奈美の後ろに隠れたまま何度もうなずいた。
「おや、誰かいるのかい?」
二人の様子に気付いて店主も外を覗いた。
「あー新吉さん、早いね。もう来たのかい」
店の主人はそういいながら外に出て行った。
「何で荒くれ者さんがここに来たんだろう。でも、み子、よかったわね」
「困るわ。どうしよう」
「どうしようって、会いたかったんでしょ?」
「ええ、でも困ったわ」
「どうして困るのよ」
「私、会って何をお話しすればいいのか……。それに、荒くれ者さん、私のことなんて覚えていないかも知れないし……」
「自分でわざわざ家まで送り届けた女の子を忘れるわけないでしょ」
「そうかしら」
「そうよ。ほら、一緒に行ってあげるから」
「わっ! わっ! どうしよう。こっちに来るわ」
店の主人に連れられて男が店の中へと入ってきた。多み子は奈美の後ろの隠れたまま出てこない。
「新吉さん、申し訳ないが、娘はまだ支度が終わらないから、ここで少し待っていておくれ。今、お茶を淹れるからね。お嬢さんたちも一緒にどうぞ」
「いえ、私たちはもう」
多み子は男に顔を見られる前に店を出ようとした。
「何言ってるの。せっかく会えたのに。すみません。じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「そうしていきなさい」
「はい」
主人は店の奥に入っていった。図らずも、奈美を間に挟んで荒くれ者と再会した多み子は、顔を見られないように奈美の後ろに隠れたままうつむいていたが、奈美は荒くれ者に興味津々だ。その荒くれ者は二人の女学生にも店の商品にも興味がないのか、居心地が悪そうに椅子に腰かけていた。
「あのー、すみません」
奈美は我慢できず荒くれ者に声をかけた。
「ん?」
「この子、覚えてますか」
「きゃっ、な、奈美ちゃん」
奈美は自分の後ろに隠れていた多み子を荒くれ者の目の前に差し出した。驚いた多み子は再び奈美の後ろに隠れようとしたが、奈美に後ろから押え付けられ身動きできずにいた。
「ほら、よく見てください」
「ん?」
うつむく多み子の顔を荒くれ者が下から覗き込んだ。多み子は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にした。
「あっ! お前、あん時のおなごかえ?」
「ええ、そうです。あん時のおなごです」
多み子の代わりに奈美が男に答えた。
「足はもうええのかえ?」
「ええ、もうすっかり良くなりました」
多み子は相変わらず黙ってうつむいたままだ。
「ほうかえ。そりゃよかった」
「ほら、み子、後はあなたが自分でいいなさい」
「え? で、でも」
「でもじゃないの。しっかりしなさい」
「う、うん。あ、あの、先日はいろいろとありがとうございました。おかげ様で足ももう治りました」
「いや、何もなんも。そんなこと気にせんでええさ。それより、お前、顔が赤いぞ。大丈夫かえ? 熱でもあるんじゃねえかえ?」
「あ、赤くなんてありません」
多み子は自分の気持ちを見透かされたような気がして必死に否定した。
「いや、赤いぞえ」
「赤くないです」
赤い、赤くないのと荒くれ者と多み子が言い合っていると、店の主人と一緒に粋な着物姿の女が奥から出てきた。
「お待たせしましたね。新吉さん」
女は荒くれ者に向かってそう言った。多み子や奈美より五つ六つ年は上に見えた。
「いや、何もなんも」
「さあ、お茶を飲んで一服してからお出かけ」
主人は荒くれ者と二人の女学生にもお茶を淹れてくれた。狭い店の中で、三人の大人たちと二人の子供に分かれて、それぞれがお茶をすすった。大人たちはもう長い間の知り合いなのか、話す様子も笑い声も彼らにとってはいつものありふれた風景のように見えた。
「奈美ちゃん、これをいただいたら帰りましょ?」
「いいの? み子が良ければ私はいいわよ」
「うん」
多み子は女と談笑している荒くれ者を見つめていた。
「じゃあ、そろそろ行こうかえ?」
男はそう言って立ち上がると、多み子に近づいて来て声をかけた。
「お前、熱があるなら医者に診てもらえよ」
「大丈夫です! 熱なんかありません」
「そうか、じゃが、さっきは猿の尻みたいに顔が真っ赤だったぞ」
「さ、さる!?」
「新吉さん! 何てこと言うの。こんなかわいらしいお嬢さんに」
「あーいや、でも、本当に猿の尻みたいに……」
「お嬢さん、気にしないでね。この人、口が悪いのよ。でも、悪気はないから許してあげてね。さ、新吉さん、行きましょ」
「お、おう」
荒くれ者と女は店を出て、荒くれ者の引く人力車でどこかへ出かけて行った。出がけに荒くれ者が女に何か言ったらしく、女はその言葉を「ほほほ」と口に手を当て楽しそうに聞いていた。二人の様子を見ていた多み子は、そこに人力車を中心に二人だけの空間があるように見えた。女は当たり前のように人力車の椅子に腰掛けた。荒くれ者もまた、当たり前のように女に手を貸した。商売道具の人力車なのだから、そこに誰が座ってもいいはずだが、それを見た多み子は、自分の座る場所を女に取られたような気がして思わず涙が出そうになった。
多み子と奈美も店を出て、さっき歩いて来た道を停留所まで戻った。奈美は沈んだ様子の多み子を労り勤めて明るく振舞った。できるだけ、荒くれ者と女の話題には触れないようにして。
「よ、良かったわね。み子、きれいな簪が見つかって」
「うん」
「あ、あれね。今度はお小遣いを貯めて髪飾り買いに来ましょうね」
「うん」
「み子?」
「あの女の人、綺麗な人だったわ」
「だ、誰のこと? それより、ほら、帰りに豆寒天食べて行かない?私、おいしいお店を見つけたの。み子、好きでしょ。豆寒天」
奈美はわざと話をそらそうとした。
「荒くれ者さんのこと、しんきちさんって呼んでたわ」
「そ、そうだったかしら?」
「それに、このひと……って。さっきも二人で楽しそうに出かけて行ったわ。とても仲が良さそうだった」
「で、でも、あ、あれよ。きっと、昔からの知り合いなのよ。そうよ。それだけのことよ」
「そうかしら」
恋人同士ではないのかもしれないが、それに近い間柄なのかも知れない。多み子は、何より二人に比べて髪飾りひとつ選ぶのに無邪気にはしゃいでいた自分があまりにも幼く思えた。
「ほら、いつまでもくよくよしない! 元気出して! 子供じゃないんだから」
奈美は多み子を元気づけようとして言ったつもりだったのだが、
「どうせ、私は猿のお尻みたいな顔した子どもだもの」
「み子……」
奈美は、意外にも深かった多み子の負った心の傷を憂いだ。(つづく)
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