「めぐり逢う理由」 (第一章 百年前の恋)-11-

 龍背大橋に向かう馬車に乗るのはこれで三度目だ。一度目は奈美と一緒に龍金堂で玉簪を買ったとき、二度目は龍背大橋の祭りを見に行った時、そして今日、新吉に会うために再びこの馬車に乗った。

 この時期、他所より少し遅い十一月の初め、新吉は稲刈りが忙しく車屋の仕事はしばらく休むと言っていた。多み子は橋の向こうのあの森をひとりで通り抜けるのは少し怖い気もしたが、はじめて龍背大橋の上から見た時のような恐ろしさは感じなかった。あの森の向こうに新吉がいる。そう思うだけで勇気が湧いた。

 馬車に揺られてしばらくすると、多み子は新吉に渡す作務衣を夢中で力いっぱい抱きしめていたことに気づき、それを膝の上に置き直した。そして風呂敷の縛りを解くと、肩口のところにできたしわをいとおしそうに手で伸ばした。

「新吉さん……」

 思わず新吉の名前が口からこぼれ出た。作務衣のしわを伸ばしながら多み子は新吉と龍背大橋で初めて出会った時のことを思い出していた。あの時、新吉の風貌も手伝って、新吉を初めて見たときは森の中から現れた鬼のようにも、天狗のようにも、もしかしたら熊のようにも見えた。その荒くれ者を今はこんなにもいとおしく思うなんて、わずか半年余りの間に起きた出来事のひとつひとつを多み子は懐かしんだ。

 そして思い出してみると、いつもそこに見えてくるのは新吉の優しさだった。ただ優しいだけの男は、多み子が嫌がった虎之助の行く夜会にも大勢きていた。女なら、金持ちでハンサムな優しい男に惹かれたとしても何も咎(とが)められたりはしないだろう。しかし、多み子が選んだのは新吉だった。見せかけの繁栄に浮ついた海側の町では決して見つからなかった多み子の欲しかったもの。それが新吉の優しさだった。純粋で力強い本物の男だけが持つ、自分をいつも見守ってくれるような本物の優しさだった。

「新吉さん、だいすき……。だーい……すき……です」

 奈美と二人で練習したが、やはり新吉に面と向かって言うには勇気がいると多み子は思った。多み子は自分でもやっと聞こえるくらいの小さな声で練習してみた。

 ―「虹橋まで行くのですか?」―

  突然そう尋ねてきたのは、破れかけた麦藁帽に薄汚れた羽織袴を身に纏った、風変わりな馬車使いの老人だった。

「え?」

 多み子は自分の声が老人に聞こえてしまったのかと思い、驚いて顔を上げた。老人は前を向いたままだったが、他に客は乗っていなかったので、その問いかけが明らかに自分に向けられたものであることが分かった。

「お嬢さん、虹橋まで行くのですね?」

 どうやら声が聞こえていたわけではないのだと多み子は安堵したが、終点の龍背大橋にいくまでの間に『虹橋』などという橋はなかったはずなので、多み子は少し慌てて自分の行き先を伝えた。

「い、いえ、終点の龍背大橋までお願いします」

 そう言えば、いつもの馬車使いの老人とは様子が違っていた。多み子は、この老人の変わった身なりよりは、どちらかと言うと首に掛けられた大きな玉の数珠と訛りのない丁寧な言葉使いが気になっていた。

「ああ、これは申し訳ございませんでした。この時代ではまだ龍背大橋と呼んだ方がいいのですね」

「この時代? にじばしって何ですか?」

「虹橋とは、あなたの言う龍背大橋を空に浮かぶ虹に見立てて付けられた名前です」

「そうなんですか? 素敵ですね。私、龍背大橋って何か怖そうな名前だなって思っていたから」

「いずれそう呼ばれる時が来ます。お嬢さん、あなたがこの時代に生きたことをしっかりと覚えておきなさい。あの橋の形も、友達の名前も、そして一番大切な人の笑った顔、優しい声、何よりその人の温もりを、見失わないようにしっかりと覚えておきなさい。“もう一度会いたい“その気持ちを強く持つことです。そうすれば、時も超えていずれまためぐり逢うことが出来ます。そう、例えばあの橋が虹橋と呼ばれている時代にです」

 老人は前を向いたまま、まるで先の時代を見て来たかのように淡々とした口調でそう語った。

「あのーおじいさんはその時代を知っているのですか?」

 多み子はこの奇妙なことを言う老人に少し怯えたように尋ねた。老人は多み子の問いかけには何も答えず無言のまま馬車を走らせた。途中の停留所に人がいたが馬車は止まらず走り続けた。

「あの、止まらなくていいのですか?」

「ええ、この馬車は臨時便です。誰もが乗れるわけではありません」

「え?」

「いえ、何でもありません。龍背大橋に直行いたします」

 馬車は龍金堂の前を通り過ぎ龍背大橋へと向かった。その時、多み子が龍金堂の店の中にいた新吉の姿を見つけられなかったのは偶然だったのだろうか? それとも、神が既に決まっていた多み子の運命を変えることを許さなかったからなのだろうか。

 

「これでようやく多み子に髪飾りを買うてやれる」

「がんばったわね。新吉さん」

「おうよ! 俺が本気出せばこんなもんよ」

「何威張っているの。少しおまけしてあげたから買えたくせに」

「それを言うなよ。大金なんぜよ。俺にとっては」

「そうね。み子ちゃんきっと喜ぶわ。早く渡してあげなさい」

「おう、明日さっそく持っていくけ。でも、最近、多み子はどうも女学校に来てないらしい。奈美も心配しとった」

「そうなの? それは心配ね」

「ああ、もし女学校に来てないようなら、多み子の家の前まで行ってみるけ。じゃあ、ありがとな、早苗」

「気を付けてね」

 新吉が『龍金堂』の箱に入った髪飾りを大事そうに持って店を出た頃、多み子の乗った馬車は龍背大橋に着いていた。

「龍背大橋前、終点です。それではお嬢さん、ごきげんよう

 馬車を止め、そう言って多み子に向けられた老人の顔は微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。多み子を降ろすと、老人はゆっくりと馬車の向きを変え今来た道を引き返していった。

「ありがとうございました」

 多み子は去っていく馬車の後ろ姿に頭を下げた。

「新吉さん、待っていて。今、行きます」

 多み子は川の堤防を降りて龍背大橋に向かった。

 橋の近くまでやって来ると、町の人間から忘れられたはずの橋には珍しく、橋の袂に数人の男たちの姿が見えた。

「あの人たち、何してるの」

 多み子は男たちの横で、紐につながれたままうなだれるプーの姿と多み子に付きまとう海部義則の姿を見つけた。

「まさか……」

 そして同時に彼らの目的が何であるかを理解した。

「あの人たち橋を壊す気なんだわ。やめて‼ やめなさい‼」

 そう叫びながら、多み子は男たちの間をすり抜け、夢中で橋の階段を駆け上がった。

「多み子さん、どうしてここに」

 海部は、橋の上で両手を広げ、この橋に指一本触れるなと、そんな鬼気迫った表情の多み子を見上げた。

「この橋は新吉さんや村の人たちにとって大切な橋なの。だから、壊さないで‼」

「こんな橋があるから、あなたがあんな山猿に惑わされるんだ! あいつも、村の奴らも二度と町に来れないようにしてやる。そこをどきなさい!」

「嫌です! 新吉さんや村の人たちが何をしたと言うんです。悪いのはお金のことばかり言っているお父様やあなたたちです!」

「いいからそこをどきなさい! 死んでもいいのか!」

「かまいません! 私はこの橋を……新吉さんを絶対に守ります!」

「死んでもいいだと、あんな山猿のために」

 貧乏人の山猿に負けたことが、海部のプライドを著しく傷つけた。

「構わん、爆破しろ。爆薬を仕掛けたのは対岸の橋脚だ。多み子の立っている橋には影響ない。橋を降りて俺に跪き許しを請えば良し、万が一死んでも、それはこの俺様よりあの山猿の方を選んだあの女に下った天罰だ。あの女は俺を馬鹿にした。それがどういうことか、俺の恐ろしさを思い知らせてやる」

 海部は顎に手をやりニヤリと薄笑いを浮かべた。

「発破‼」

 海部のその声と同時に対岸の橋の橋脚が吹き飛び、それに支えられていた橋の一つが崩れ落ちた。多み子は驚いて後ろを振り返ったが橋から降りようとはしなかった。

「多み子!」

爆破の音を聞いて急いで走ってきた新吉が橋の階段を駆け上がり多み子を抱きしめた。

「新吉さん!」

「二人を引きずり降ろせ!」(つづく

 

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