「めぐり逢う理由」 (第一章 百年前の恋)-7-

 果たしてその日はやってきた。予想した通り、多み子は祭りに行くことを嫌がったが、これもまた予想通り、龍金堂の主人の話をすると渋々だが了承した。

「奈美ちゃん、遠くから見るだけよ。ほんとよ」

「分かってるわよ。大丈夫よ。心配しなくても」

 二人はこの前のように乗り合いの馬車に乗ってやってきた。ただし、今度は終点の龍背大橋前で降りた。

「へえー、大きな橋なのね」

 多み子と同じように、初めて近くで龍背大橋を見た奈美は、威厳を持って鎮座する芸術的な形をしたその橋を古臭いなどと言ったことを反省した。早苗の言っていた通り、橋の上では、まだ明るいうちから松明が炊かれ、狐の面をかぶった男たちがかわるがわる大きな太鼓を力いっぱいに叩いている。

「ヤー、ター、そりゃ!」

 腹の奥底まで響く太鼓の音とともに、時折、勇ましい掛け声も聞こえてくる。弥が上にも祭りは盛り上がっていく。川のほとりには短冊と紙船を手にすでに人が集まってきていた。

「み子、私たちもあれやってみましょうよ」

「うん」

 遠くから見るだけなどと言っていた多み子であったが、人々の楽しそうな笑顔を見ていたら自分も祭りに参加してみたくなった。

「あの神社でお参りすれば貰えるみたいね。行ってみましょ」

 計画通りだった。奈美が多み子と神社でお参りをする。すると、鳥居の陰に身を隠していた早苗が橋に行って新吉を橋の袂まで連れてくる。奈美と多み子もお参りのあと短冊を流しに橋の袂にやって来る。そして、四人は偶然に出会うのだ。

 奈美と多み子は順番を待って拝殿の前で手を合わせた。二礼三拍手一礼、三拍手とは少し変わっているが、それがこの神社のしきたりらしい。参拝を済ますと、二人は社務所で短冊と紙舟をもらってそれぞれに願い事を書いた。

「み子、お願い事、なんて書いたの?」

「そんなの人に教えないわよ」

「ふーん」

「何よ。奈美ちゃんこそ何て書いたのよ」

「私はね、“素敵な人が私を待っていてくれますように。例えば、橋の袂で”ってね」

「なあに、それ?」

「いいの、いいの。何でもないわ。早く行きましょ」

 橋の袂にやって来た二人だが、川面に浮かぶたくさんの紙船に目を奪われている多み子とは対照的に、奈美はなかなか見つからない早苗の姿を必死に探していた。

(どこだろう。まだかな)

「奈美ちゃん、あそこなんてどうかしら。ほら、流れもゆっくりだからきっとうまく流せるわよ」

「う、うん、そうね」

「ほら、奈美ちゃん、行きましょ」

 多み子に急かされ仕方なしに川に向かって歩き出したその時、

「あっ!」

 橋を降りてくる早苗とその早苗に手を引かれて一緒にやって来る新吉の姿を見つけ奈美は思わず声を上げた。

「どうしたの? 奈美ちゃん」

 驚いた多み子が奈美を見やった。

「あ、ううん、な、何でもない。何でもないわ」

「さっきから何か変よ」

「そうかしら、そんなことないわよ」

「なら、いいけど」

「み子、あの看板何が書いてあるのかしら」

「ああ、あれ? あれね、『龍背大橋』って書いてあるのは読めるんだけど、あとは字が消えかけててよく読めないのよ」

「へー、でも、面白そう。見てみたいな。ちょっと、向こうへ行ってみましょうよ」

 奈美は何とか、早苗と新吉のいる方へ多み子を連れて行こうと無理やりな理由を付けて言った。

「お舟、流さないの?」

「後でいいじゃない。それよりほら行ってみましょ」

 祭りの一番の目的なのに、それを後回しにしてでも行かなければならないようなことなどあるのだろうか。多み子は呆れながらも前を急ぐ奈美の後ろをついていった。橋の看板まで行くと、奈美の姿を見つけたが早苗が、これまで万事計画通りであることを奈美に眼で合図した。奈美がそれに眼で答えると計画は次の段階に入った。

「あら? あなたたち、先日、うちのお店でお会いしたわね?」

「あっ! 誰かと思えば、あなたは龍金堂の娘さんではありませんか。後ろにいるのはあの時の車屋さんですね?」

 歌舞伎をよく見るという早苗に比べて、芝居など観たこともない奈美の芝居は下手だった。あまりのわざとらしさに、計画がばれるのではないかと早苗が心配するほどだった。しかし、突然のことに驚いた多み子には、奈美の芝居の良し悪しなど気にする余裕などなかった。

(荒くれ者さん……)

「あなたたちもお祭りに来たの?」

「はい」

 固まったままの多み子の代わりに奈美が答えた。

「初めて?」

「はい」

「そう、私たちは毎年来ているのよ。ねえ、新吉さん」

「ああ、そうじゃな」

(やっぱり来るんじゃなかった)

 多み子はそう思って、しょんぼりと項垂れた。

「一緒にですか? 仲がいいんですね」

「ええ、私たち二人きりの姉弟……みたいなものだから」

「へーそうなんだ。じゃあ、お二人は恋人同士じゃないんですね?」

「ええ、そうよ。だから、ご心配なく」

 奈美のわざとらしい質問に、早苗が多み子に向かって微笑みながら答えた。その答えが何故自分に向けられたのか、多み子は戸惑いながらも内心うれしそうな顔をした。

「お願い事、書いてきたの?」

 多み子が手にした紙に何が書かれているのか、早苗には容易に想像することができた。

「は、はい」

 多み子は消え入るような小さな声でやっと答えた。

「この前は悪かったのう。猿の尻みたいな顔なんて……」

 あの時早苗に、女の子にそんなことを言うもんじゃないと叱られていたのだろう。新吉は早苗を真似て多み子の顔を覗き込んで謝ったが、早苗がそれを諌めた。

「その話はもういいのよ。それより、あなたたち、龍(りゅう)露(ろ)飴(あめ)はもう食べた?」

「りゅうろあめ? 何ですか、それ?」

「あら、知らないの? このお祭りに来たら龍露飴食べなきゃ。龍の涙に見立てた金色の飴よ。とっても美味しいんだから! ねえ、新吉さん?」

「おお、そうじゃな。ありゃうまいな」

 奈美は前もって早苗に龍露飴のことは聞いていたが、早苗や新吉の顔を見ていたら本当に食べたくなってきた。

「へえー美味しそう」

「いいわ、せっかくだから私がご馳走してあげる。奈美さん、買いにいきましょう」

「はい!」

 歩き出した奈美の後ろを慌てて多み子も追いかけようとしたが、

「あなたは新吉さんと一緒にここで待ってて」

 早苗がそれを制した。

「え? でも」

「いいわね? 新吉さん」

「おう」

 早苗と奈美は多み子に反論させる間を与えず、さっさとその場を後にした。

「奈美ちゃん……」

 意図せず新吉と二人だけになってしまった多み子は、どうしていいか分からず、もう、ただうつむくしかなかった。

「ここに座ったらええ」

 新吉の声に驚いて顔を上げると、新吉はいつの間にか橋の階段に腰を下ろしていた。

「まだ、しばらく帰ってこんじゃろ。お前もここに座って待っちょったらええ」

「はい」

 多み子は新吉の横に腰を下ろした。前にもこうして二人でこの橋の前にいたはずなのに、あの時と違って今は新吉の顔をまともに見ることもできない。もちろん、何を話せばいいのかも思いつかない。

「プー助は元気かえ?」

「は、はい。元気です」

「そうかえ、それは良かった。お前も、足はすっかりええんじゃな?」

 不器用にも誰かを案じてばかり。新吉はあの時と何も変わらない。

「はい。もう何ともありません。あの時貼っていただいた湿布薬が効いたようです。あのー、お名前……しんきちさんっておっしゃるんですね」

「ああ、新しいに大吉の吉で新吉じゃ。新しい幸運が巡ってくるようにっていう意味だ。わしの死んだ父親が付けてくれた名前だ」

 新吉は多み子に説明しながら、落ちていた枯れ枝で川砂の上に自分の名前を書いた。

「そうだ、そう言えばお前の名前、まだ聞いとらんかったのう」

「私、多み子です。実りの多い子っていう意味なんですけど、漢字ばかりだと堅苦しくて女の子らしくないので、多み子っていう字にしたそうです。私の名前は亡くなった母が付けてくれました」

 多み子はそう言って、新吉から枯れ枝を受け取り新吉の名前の横に自分の名前を書いた。

「ほーそうかえ」

 新吉は何やら感心して多み子の名前をじっと見つめている。すると、突然、多み子の方を向いて叫んだ。

「わしゃ、好きじゃ!」

「え? えー!っ」

(やだ、新吉さんたらこんなところで突然、そんな大きな声で……人が大勢いるのよ。はずかしいわ)

「お前の名前、わしゃ、好きじゃ。おなごらしゅう、ええ名じゃ」

「あ、ああ、名前のこと?」

「おうよ。実りが多いとはよう付けたもんじゃ。稲穂は多く実ることが大切じゃ。柿も栗もそうじゃ。人も同じじゃ。これは人の道にも通じるもんがある。そんなええ名を付けてくれた、お前のおふくろさんは立派な人じゃのう」

 多み子は新吉の素直な言葉がうれしかった。何より、妾というだけで日陰の道を歩くことしかできなかった母親のことを立派だと褒めてもらったことがとてもうれしかった。

「ええ名前をつけてもらって、お前は幸せなおなごじゃのう」

「新吉さん……」

 新吉を見つめた多み子は顔を赤らめた。

「何じゃ、お前、また顔が赤いぞ。猿の尻みたいに……ありゃ、すまん。また、余計なこと言った」

「ううん。いいの」

「何じゃ、怒らんのかえ?」

「うん。うれしい」

「この前は怒っちょったくせに、今度はうれしいんかえ。変わったおなごじゃのう」

 

 その頃、龍露飴を買いに来た早苗と奈美は……。

「新吉さん、大丈夫かしら? また、猿のお尻の話なんかして多み子さんを怒らせたりしていないかしら……。心配だわ」

 早苗の心配は半分当たっていたが、その心配をよそに多み子と新吉の恋はゆっくりと前に進み始めていた。

「二人に任せましょって言ったのは早苗さんですよ。」

「そ、そうよね。案ずるより産むが易しって言うしね」

「合ってます? その例え。それより、そろそろ戻った方がいんじゃないですか?」

「そうね、そうしましょう」

 二人は足早に橋に向かって歩き出した。(つづく

 

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