「めぐり逢う理由」 (第一章 百年前の恋)-4-
翌日、女学校で奈美に会った多み子は、プーが見つかったことの報告と一緒に探してくれたことへのお礼を言った。
「で? プーさん結局どこで見つかったの?」
「えーとそれは……あっ、そうそう、海岸沿いを一人で歩いていたの。偶然そこを私が通りかかったの。よ、よかったわ、本当に」
「……」
「なあに?」
「み子、本当のことを言いなさい」
「ほ、本当よ。本当にプーさんは海岸沿いに……」
「嘘ついてもダメよ」
「嘘じゃないわ」
「ごまかしても無駄よ。私にはわかるのよ。み子は嘘をつく時、右手をお腹に当てる癖があるんだから」
「え?」
多み子は思わず自分の右手を後ろ手に隠した。
「ほらね、やっぱり嘘なのね」
奈美の作戦にまんまと引っかかった。やはり奈美には隠し事はできない。多み子はあきらめて龍背大橋の一件を奈美にすべて話した。
「驚いた。そんなことがあったの?」
「ええ、でも、こうして無事に帰ってこれたから安心して」
「それで? その荒くれ者のことが好きになっちゃったってわけね」
「な、なに言ってるの! 奈美ちゃん」
「あら? 違うの?」
「違うわよ。私の話ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたわよ。み子が足を挫いて、その足を治療してくれて、おぶって橋を渡してくれた。おまけに商売道具の人力車で家まで送り届けてくれた、優しくて素敵な人。そうなんでしょ?」
「違うってば! 素敵な人なんて、そんなこと言ってないでしょ」
「あら? 言わなかった? 私にはそう聞こえたけど?」
奈美は顔を真っ赤にして怒る多み子をからかった。
「ぜんぜん、素敵なんかじゃないんだから。そ、そりゃね、ちょっとは優しい人だなぁって思ったけど……で、でも、ほんのちょっとだけよ。変な髪型だし、乱暴だし、下品な言葉も使うし、そ、それに、私のお尻や胸が小さいって。大きくなきゃダメだーなんて言うのよ。牛じゃないんだから……。私だって好きで小さなお尻しているわけじゃないのに、それをお説教するみたいにいけん、いけんって。ほんと、失礼しちゃうわ。まったく……」
「何ぶつぶつ言ってんの? お尻がどうかしたの?」
「え? ううん、何でもない、何でもないわ。とにかく私の好みじゃないの。あんな人」
「あら、よろしくってよ。そんなに恥ずかしがらなくても」
「もー、奈美ちゃん、意地悪ね」
「私に嘘ついた罰よ」
多み子が否定すればするほど、奈美にはいつも大人しい多み子の心の奥で何かが湧き出しているような、静かな情熱のようなものを感じ取っていた。
「ところで、その人の名前、何ていうの? まさか、荒くれ者さんってことはないでしょ?」
「え?」
「聞かなかったの?」
「ええ、あっという間に帰ってしまったの」
「あらそうなの?」
その日、家に帰った多み子はあの男のことをずっと考えていた。
「名前か……」
男の顔を思い浮かべながら、多み子は男に合う名前をあれこれと考えてみた。
「よしお、いちろう……きよし、なんか合わないなぁ。まさおさん?んー違うなぁ。荒っぽいし、ごつごつした感じだから、岩男っていうのはどうかしら? うふふ……それとも、岩窟かな? あら、それじゃなんだか人の名前じゃないわね。うーん、げん……太、そう、げん太さんなんてどうかしら。でも、あんなに大きな体をしているくせに、あの人ったら女の子が喜ぶような気の利いたことの一つも言えない、子供みたいな人だもん。げん太さんなんかじゃなくてげんちゃんね。そう、げんちゃん。あの人にピッタリの名前だわ」
あの男の顔と名前を一致させたところで多み子はふと我に返った。
(はっ、私、何考えているんだろう。なんで、もう会うこともない人の名前をこんなに一生懸命になって考えているんだろう。馬鹿ね、馬鹿みたい)
“もう会うこともない” その言葉が何かとても悲しく思えた。
(私、あの人にもう会えないの?)
翌日も、そのまた翌日も多み子はひとりになるとつい、あの男のことを考えてしまう。「はぁ……」そしてひとつ、ため息を付く。
―いのち短し恋せよ乙女 あかき唇あせぬ間に―
言われた通り恋はしたがその後の対処法までは聞いていなかった。
「私、どうしちゃったのかしら」
挫いた足はとっくの昔に治っていた。だが、多み子の恋煩いは悪化する一方だった。
「あの人、年は幾つくらいなんだろう。背の高い人だったなぁ。ちょっと乱暴だけど、きれいな目をした人だったなぁ」
男が足に貼ってくれた手ぬぐいの切れ端は、きれいに洗って畳んである。多み子はそれを広げては折り畳み、そしてまた広げてみる。そうかと思えば今度は、か細い指先で布のしわを伸ばしてみる。何度も、何度も。
「はぁ……」
そしてまたひとつ、ため息を付く。(つづく)
~目次~ 第一章 百年前の恋 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12