「めぐり逢う理由」 (第一章 百年前の恋)-9-

 祭りの終わりは次の季節の始まりでもあった。鱗雲が空を流れ、太陽と月の光が交わる黄昏れ時の乾いた風にススキの穂が寂しそうに揺れ動く。

 秋になって、恋する少女は前にも増して綺麗になった。相変わらず虎之助の行く夜会に連れ出されていた多み子であったが、近ごろは求婚してくる男が後を絶たない。それが虎之助の自慢でもあった。

「多み子、良いか、どの男が金を稼げる男かよく見極めろよ。なーに顔なんて付いていりゃいい。性格も二の次だ。要は金だ、金を持って来れる男を選べ。お前が選べないなら俺が決めてやる。いいな」

 多み子は新吉とのことをこの父が許すはずがないと思った。しかし、いずれは話す時が来る。その時は勇気を持って父を説得しよう。多み子はそう決心した。姉たちからの陰湿ないじめも相変わらず続いていたが、新吉のことを想うことでその辛さにも耐えることが出来た。

 

 あの祭り以来、多み子は時々町で新吉と会うようになっていた。

「あら? み子、今日はお花が差してあるわね。じゃあ、豆寒天食べに行くのは別の日にしましょうね」

 女学校の門を出たところに目立たないように置かれた小さな瓶に花が一輪差してある。新吉がそこを通りがかりに差していく。仕事で近くまで来ていることを、多み子に知らせるための二人で決めた合図だ。多み子は花を瓶から取り出し自分の髪に差した。

「ごめんね。奈美ちゃん」

「何もなんも」

 奈美は最近、新吉の訛りを真似るのが気に入っているらしい。

「なあにそれ、新吉さんの真似? 似てないわよ」

「ほー。そうかえ?」

「だから、似てないってば」

「多み子はうるさいのう。そんなことじゃ、わしの嫁にはしてやらんぞえ」

「まっ、新吉さんはそんなこと言いません」

「あらあら、ごちそうさま」

「やだ、奈美ちゃん」

「おや、お前、熱があるのか? 猿の尻みたいに顔が真っ赤だぞー」

「やめてよ」

「ぷっ、ほんとに赤いわよ」

「もう、からかわないで」

「み子、み子の気持ち、ちゃんと新吉さんに伝えた?」

「私の……気持ち?」

「そうよ。ちゃんと伝えなきゃ。新吉さんのことが好きだって」

「でも、そんなこと恥ずかしくって言えないわ」

「だめよ。ちゃんと口に出して言わないと伝わらないわよ」

「でも……」

「じゃあ、練習しましょう。私を新吉さんだと思って言ってごらん」

「何て?」

「新吉さん、大好きです!」

「い、いやよ」

「いやよじゃないわよ。ほら、言いなさい」

「新吉さん……だいす……す……す……」

「す・き! でしょ? ほら、もう一度!」

「新吉さん……だいす……す・です」

「だめー。聞こえなーい。はい、もう一度」

「新吉さん……だい・・です」

「肝心なところが聞こえないんだなぁ。もう一度言ってみて」

「もういいわよ。大丈夫よ。いざとなったらちゃんと言えるから」

「いざとなったら? っていつよ」

「それは……その時が来たらってことよ」

「本当に大丈夫? 心配だなぁ。み子はこういうことに奥手だから」

「そんなことないわよ。言えるわよ。それくらい」

「そう。わかったわ。じゃあ、また明日ね」

 二人は角の米屋の前で別れると奈美はそのまま家路に向かい、多み子はわざわざ遠回りして新吉のいる大通りまで歩く。週に二度ほど女学校近くのこの大通りにやって来る新吉は、多み子の学校帰りの時間に合わせて休憩をとることにしている。

「お、今日は会えたのう」

「あっ、新吉さん」

 ほんの一時、新吉が仕事に戻るわずかな時間、二人は他愛のない会話を交わす。多み子はその時間が何より楽しかった。奈美とおしゃべりしているときも楽しいが、それとは違った幸福感を伴った楽しさだった。多み子に言い寄って来る多くの男たちとは違い、金持ちでも決してハンサムでもないが、男としての強さや優しさ、それに深い愛情を新吉には感じる。無粋に思える言動も新吉の純粋でまっすぐな心の表れだ。その純粋さにも無性に心が惹かれる。多み子は包み込まれるような思いで新吉の隣に寄り添った。

「学校は楽しいかえ?」

「はい。いつも奈美ちゃんとふざけてばかり。楽しいです」

「勉強はどうぜよ」

「お勉強も楽しいです。でも、お裁縫の時間が一番楽しいかな。私、お裁縫得意なんですよ」

「おお、そうかえ。そんじゃ、今度わしの法被でも縫うてもらおうかえ?」

「えーっ法被は難しそう」

「得意なんじゃろ? 裁縫」

「あー新吉さん、意地悪ね。法被は模様が多いから手で縫うのは難しいんですよ」

「そうかえ? そんじゃ、雑巾くらいがええかえ?」

「あー今度は馬鹿にして。雑巾くらい簡単に縫えますよーだ」

「難しいのう。じゃあ、作務衣はどうじゃ。秋になったら稲刈りをせにゃいけん。そん時に着る作務衣は模様などいらん。どうかのう?」

「作務衣か……うん、そうね。私、がんばって新吉さんの作務衣縫ってあげる。その代り下手でも笑わないでくださいね?」

「お、おう、出来上がりが楽しみじゃの」

 新吉は自分のためにがんばると言った多み子の言葉に少し照れくさそうな、それでいて嬉しそうなそんな顔をして微笑んだ。

「新吉さん」

「ん? なんじゃ?」

「新吉さんの夢って何ですか?」

「夢?」

「ええ」

「夢はあるにはあるんじゃが」

「教えて。新吉さんの夢」

「そ、そうじゃのう。ちょっと照れくさいのう。あっ‼もう仕事に戻る時間じゃ」

「あーごまかして。ずるいわ。新吉さん」

「こ、今度教えちゃるけ」

「えー本当に? 約束ですよ」

「おう。約束じゃ」

 新吉はそう言いながら車の引手を持ち上げた。

「多み子、気をつけて帰れよ」

「はい。新吉さんも気をつけてね」

「おう!」

 

 多み子に作務衣を縫ってもらうことを約束したその日、新吉は龍金堂に立ち寄った。早苗の芝居小屋への送り向かえ以外、新吉が龍金堂に立ち寄ることはめったにないが、新吉はひとりで考えても自分だけではどうにもならず、早苗に相談するためにやって来た。

「あら、めずらしい。新吉さん、どうしたの?」

「早苗、お前に相談事があってのう」

「新吉さんが私に? 相談事?」

 早苗は新吉と多み子が町で会っていることを知っていた。情報源は言うに及ばず奈美である。新吉が自分に相談してきたことなどこれまで一度もない。多み子のことだと、早苗は直感的にそう思った。

「今度のう、多み子に稲刈りの時に着る作務衣を縫うてもらうんじゃ。じゃからのう、その礼に多み子に何か買うてやろうと思うんじゃが、どんなものがええかいのう?」

「へえー新吉さんが女の子に贈り物をね……ふーん」

 早苗の女の勘は見事に当たった。それにしても、あの無粋な新吉がそんなことを考えるのかと、早苗は感心半分からかい半分ににやりと笑った。

「なんじゃい、その顔は。こ、これは礼じゃ。人の礼義じゃ。貰ったら返す、別にその……特別なもんは何もないわい」

「いいのよ。照れなくても。へーあの新吉さんがねぇ」

「うるさいのう。そんなこと言うなら、お前をもう芝居小屋まで乗せていかんきに」

「あら、新吉さん、意地が悪いこと」

「お前が悪いんじゃ。早よ教えーや」

「はいはい。わかったわ。じゃあ、み子ちゃんが絶対に喜ぶものを教えてあげるわね」

「ほう。なんじゃ?」

 早苗は店の隅まで行くと、そこに飾られた髪飾りを手に取り戻ってきた。

「これよ」

「そりゃ、髪飾りかえ?」

「そうよ。以前、み子ちゃんがここに来た時、気に入ったらしいんだけど、ちょっとお値段が高くてね。その時はあきらめたらしいわ。でも、すごく気に入っていたみたいよ」

「いくらぐらいするもんなんじゃ。それ?」

「七円と二十銭よ」

「な、何? そんなにするんかえ? そんなもんが」

「そんな物とは失礼ね。これはうちの職人が丹精込めて作った百年ものなのよ」

「そりゃそうかも知れんが……。それにしても高いのう。も少し安くならんかのう?」

「何言ってるの! み子ちゃんを喜ばせたいんでしょ? だったら、せこいこと言わないで一生懸命働いて買ってあげなさい」

「お、おう。そうじゃのう。ほしたら明日から親方に言って仕事増やしてもらうき! よーし、絶対買いに来るからの。それまで誰にも売るなよ」

「わかったわ。がんばんなさい。新吉さん」

 例え飴一つでも、新吉からもらえば多み子はきっと喜ぶに違いない。しかし、早苗はあえて多み子の欲しがった髪飾りを新吉に買わせることにした。二人がこの先ずっと寄り添い続けるためにはそれが必要であるように思えた。

 秋も深まり山が色づく頃、その頃まで二人の幸せな日々は続いた。(つづく

 

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