「めぐり逢う理由」 (第一章 百年前の恋)-6-

 それから一週間後の日曜日、龍金堂の前でひとり仁王立つ、奈美の姿があった。多み子のためにも、どうしてもはっきりさせたいことがあった。荒くれ者と龍金堂の娘がどういう関係なのか。恋人同士なのか、そうでないのか、もしも、恋人同士だとしたらもう結婚を約束しているのか、いないのか、恋人同士でないのであれば、多み子は恋を、初めての恋をまだ、諦めなくてもいいのだろうか。

「こんにちは!」

 奈美は躊躇することなく店の扉を開けた。

「いらっしゃいませ」

 品の良い透き通るような声で奈美を出迎えたのは、店の主人ではなく娘の方だった。奈美はてっきり、この前と同じように人のよさそうな店の主人が出てくるものと思い込んでいたので、予想外のことに少し慌てていた。

「あ、あの、えーと……」

「あら? あなた、先日、お友達と二人でいらしたお嬢さんね?」

「は、はい」

「今日は、おひとり?」

「はい」

「そう。今日は何をお探し?」

「ごめんなさい。私、今日はお買い物に来たのではありません」

 気を取り直し、奈美は自分がここに来た目的を確認するかのように目の前の女に答えた。愛想笑いなど微塵も見せない。何しろ、この女は大切な親友の恋敵なのだから。

「あら、そうなの?」

「はい。あの、突然、不躾なことをお聞きして申し訳ありませんが、荒くれ者さんとはどういうご関係なんですか?」

「あらくれものさん?」

「あっ、違った。車屋さんです。この前、ここに来ていた」

車屋さん? ああ、新吉さんのこと? 新吉さんがどうかしたの?」

「あの、お二人は、こ、こ、恋人同士なんですか?」

「恋人? 私と新吉さんが? ぷっ、うっ、あははは。私と新吉さんが恋人どうしかですって? あははは」

「どうして笑うんですか?」

「あら、ごめんなさい。突然おかしなこと言うものだから。つい」

「違うんですか?」

「そんな風に見えた?」

「はい。とっても仲がいいように見えました」

「そう。ええ、新吉さんとは仲がいいわよ。そうね、恋人同士以上かもね」

 女は突然不躾な質問をしてきた奈美に少し意地悪をして返した。

「恋人同士以上って……もしかして、お二人はもう結婚の約束をしているとかですか?」

「だったら、どうする?」

 女はそう言って、大人特有の含み笑いを見せながら奈美を見つめている。

「そうなんだ……。で、でも、まだ、夫婦(めおと)ではないんですよね?」

「ええ、でも、私たち一緒に暮らしていたことがあるのよ」

「ええ!?」

 何というふしだらな。結婚前の男と女が一緒に暮らすなど、奈美は目の前の妙に艶っぽい女を軽蔑した。そして、同じ罪を犯した荒くれ者のこともまた同じように軽蔑した。そんな男は多み子には相応しくない。帰ったら、本当のことを伝えてさっさと諦めさせよう。そう思った。

「楽しかったなぁ。昔は」

「わ、分かりました。もう結構です。お邪魔しました。さようなら」

 奈美はこれ以上、大人のいやらしさを耳にするつもりはなかった。一刻も早く店を出たかった。が、しかし……。

「ん? 昔?」

「ええ」

 女は奈美の心の内をすべて見透かしているような軽い微笑みを持って答えた。

「私が新吉さんと初めて会ったのは、私がまだ七歳で新吉さんが五つの時だったわ。それから十年くらいね、私たちはここで一緒に暮らしていたの」

「ご姉弟なんですか?」

「いえ、そうではないの。新吉さんは龍背大橋の向こうの村で生まれたの。でも、新吉さんが五歳になった年に村で大きな山火事があってね。新吉さんのご両親はその火事で二人とも亡くなってしまったの。他にも大勢の人が亡くなったわ。助かった人たちも自分たちのことで精いっぱいで、誰もひとりになってしまった新吉さんの面倒を見ることのできる人がいなかった。それで、新吉さんのお父様の親友だった私の父が新吉さんを引き取ったのよ。私、一人っ子でしょ。だから、弟ができたみたいでうれしかったわ。よく一緒に遊んだのよ。でも、新吉さんが十五歳になった時、村に帰りたいと言い出したの。ここでの生活が嫌になったわけではなかったみたいだけれど、自分の生まれ故郷で暮らしたいって。私も父も、寂しかったけど新吉さんの想いを尊重してそうしてもらったの。それからずっと、新吉さんはひとりで車屋さんの仕事を頑張っているわ」

「そうだったんですか……」

「そうよ。で?」

「え?」

「私は全部話したわよ。今度はあなたの番よ。どうして私と新吉さんが恋人同士じゃいけないの?」

「それは、その……」

「当ててみましょうか?」

「え?」

「この前、あなたと一緒に来ていたあのお嬢さんが新吉さんのことが好きで、私と新吉さんが仲良くしていたものだからやきもちを焼いて、あなたを代わりに偵察に来させた。違う?」

「ち、違います。み子はそんなことしません。私が勝手に来たんです。み子が荒くれ者さんのことを好きなのは本当ですけど……」

「さっきもそう言ってたけど、その、あらくれものさんって何なの?」

「ええと、それは……」

 奈美は多み子から聞いた龍背大橋の一件を女に話した。そして、多み子のことが心配で自分がここに来たことも。

「そう、新吉さんらしいわね。あの人、あんな風貌だけど、とっても優しいのよ。優しすぎて、女には物足りないくらい……優しいの」

 女は何か昔を思い出しているようなそんな遠い目をした。そして、ふと思いなおして言葉を続けた。

「羨ましいわ」

「羨ましい? 何がですか?」

「あなたも、あなたのお友達もよ」

「え?」

「好きな人のために、不安になったり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、はにかんだり……とにかく一生懸命。そして、その一生懸命な友達のためなら、はるばる遠くまでやってきて、目上の人にいきなりニコリともせず遠慮のない質問をする」

 女は(あなたのことよ)と奈美を見て微笑んだ。

「ごめんなさい」

「よくってよ。褒めているのよ。私。私の方こそごめんなさいね。さっきはちょっと意地悪なこと言って」

 奈美は首を横に振ってそれを許した。

「あなた、お名前は?」

「奈美です。吉岡奈美。み子は、友達の名前は西條多み子っていいます。少し内気で大人しいけど、とってもいい子なんです」

「そう、私は早苗(さなえ)、真行寺早苗。あなたたちって、本当に仲がいいのね」

「はい! 親友ですから」

「そう。じゃあ、奈美さん、あなたはその内気な親友のために、私は野暮で鈍感な弟のために……。

どうだい! お前さん、ここはひとつ、一肌脱いでみよーじゃないかぁー」

 早苗は着物の袖を少しまくると歌舞伎を真似て見得を切った。

「ぷっふふふ、あははは。おかしいわ。早苗さん」

「あははは。上手でしょ? 私、歌舞伎が大好きなの」

 二人はすべてを理解し打ち解けたように大笑いした。

 後で聞いたところによると、早苗はよく町にある芝居小屋へ歌舞伎を観に行くらしい。その時はいつも新吉に車を出してもらっているようだ。先日もきっと、早苗を芝居小屋まで乗せていくために新吉が迎えに来ていたのだろう。

 早苗の考えた筋書きはこうだ。

 龍背大橋の袂でもうすぐ夏祭りが行われる。祭りとはいっても、町で行われるような派手なものではない。橋の向こうの村人やこの辺りに住む僅かな町の人間が灯篭片手に橋に集まり、願い事を書いた短冊を紙船にのせて川に流す。松明で彩られた三連の橋の真ん中には大太鼓が設置され、村の若者がそれを交代で叩き続ける。勇猛かつ、実に厳かな祭りである。太鼓を叩く若者の中には新吉もいる。その祭りに奈美が多み子を誘い出す。新吉ことは多み子には黙っておくつもりだが、龍背大橋で行われる祭りということで多み子は誘いを断るかも知れない。そこで、多み子には悪いが嘘をつく。先日、玉簪を買ってもらったお礼に、店の主人がわざわざ祭りに招待してくれたと。せっかくの招待を断るのはどうかと持ち掛ければ、多み子はきっと渋々でも承諾するはずだ。早苗の役目は、新吉をなんとか太鼓から引き離し、多み子の待つ橋の袂へと連れてくることだ。そして、偶然を装って男と女たちは出会うことになる。

「そのあとはどうしますか?」

「そうね、私が奈美さんを誘って縁日の屋台で飴でも買いに行きましょう。新吉さんと多み子さんを二人きりにするのよ」

「ふむふむ。それで?」

「まあ、二人きりになれば、あとは何とかなるでしょう」

「えーっ、それだけですか?」

「ええ。恋というのはね、周りの誰かのちょっとばかりのおせっかいと、本人どうしのたくさんの勇気が必要なの。だから、私たちができることはそこまで。あとは二人に任せましょ」

 何という大雑把な計画だ。鈍感男と恥ずかしがり屋の娘を二人きりにして大丈夫だろうか? でも、奈美には早苗の言う理屈も少しだけわかるような気がした。(つづく

 

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