「めぐり逢う理由」 (第一章 百年前の恋)-10-
多み子が男と町で会っている。
そんなうわさ話が虎之助の耳に入ったのは、多み子が新吉のために縫った作務衣がようやく出来上がったころだった。多み子に熱心に求婚していた男の一人、海部義則に偶然、新吉と会っているところを見られたのだった。
「多み子、お前、男ができたのか?」
虎之助の部屋に呼び出され、そんな品のない問いかけに純情な娘は下を向いて押し黙った。
「何とか言ってみろ」
「…………」
「相手は橋の向こうからきた貧乏ったらしい男だと。金持ちの娘をいいことに、うまいことお前をだまして近づいて来たんだろ」
「あの人は……新吉さんはそんな人ではありません!」
「いいか、多み子、お前はおれの選んだ男と夫婦になるんだ。他の男と会うことなど絶対許さん」
「嫌です! 私はお父様が選んだ方と結婚するつもりはありません」
「なんだと! お前、おれに逆らうつもりか」
「お父様、許してください。私は、新吉さんと……」
「うるさい!」
虎之助の手が多み子の頬を叩き、多み子は床に倒れ込んだ。
「その山猿と二度と会うことは許さん! いいな、多み子」
そう言い残し、虎之助は部屋から出て行った。
「新吉さん……」
無駄に広い部屋に一人残された多み子は、叩かれた頬の痛みより新吉と会えなくなることの方が辛かった。
海部義則……虎之助の三人の娘たちも目を付けていた、虎之助の金目当てに近づいてきた男の一人だ。海部は頭のいい男で、自分で手掛けた事業をこれまでことごとく成功させてきたが、それは事業などと呼べるものではなく、半ば詐欺みたいなものだった。海部のやり口は虎之助のような単純で分かりやすい、相手を力で押さえつける強引なやり方ではなく、頭を使った、陰険で相手を陥れるものだった。しかし、虎之助にとってどんな手を使ったかは関係なかった。多み子に言った通り、金を稼げる男であればそれでよかった。いや、それだけでよかった。
虎之助はこの海部義則を多み子の結婚相手に決めた。もちろん、多み子の意見など関係ない。海部にそのことを告げると、海部は結婚するまでの間、多み子が新吉に会えないようにするため、部屋に閉じ込めておくことを虎之助に進言した。多み子はもう十日ほども家の外に出られずにいた。さらに、海部は村の人間が町に来れないようにするため、龍背大橋を壊すことも虎之助に進言していた。念には念を入れる、金が頼りの臆病な男の陰湿なやり口だった。
多み子は西條家の敷地の中では自由だったが、敷地の周りには見張りを付けられ外に出ることは叶わなかった。奈美も新吉も心配しているだろうと思ったがどうすることもできない。
多み子はプーに協力してもらい、西條家からの脱出を図った。
「いい? 分かった? プーさん、私、どうしても新吉さんにこれを届けたいの。だから協力してね」
プーも多み子が毎日一所懸命、夜遅くまで新吉のために作務衣を縫っていたことを知っていた。もちろん、協力を惜しまない所存だ。
「プっ、プっ、プぅ!」
「ありがとう。じゃあ、作戦通りお願いね」
多み子に促され、プーは庭の出入り口とは反対側にまわった。多み子は部屋の窓から見張りの様子を伺い、来るべき時を待った。
しばらくすると、
“バッターン、ガラガラガラ、ガッシャーン”
何やら騒々しい音が西條家の乾いた庭に響き渡った。
「どうした!?」
「千代丸が向こうで暴れています!」
プーが多み子から聞いた作戦を決行した合図だ。
「何をしている。早く捕まえろ‼」
その声につられて見張りの男が持ち場を離れたことを確認し、多み子は窓を開け身を乗り出すと、既に短ブーツを履いた足を庭に下ろした。辺りをうかがうとプーを捕まえようとする男たちの怒号が次第に遠ざかっていき、いつの間にか広い庭には誰もいなくなっていた。多み子は門を目掛けて一気に走った。
「プーさん、ありがとう」
新吉に渡す作務衣を胸の前で抱きしめ、多み子はプーが彼らに捕まらずうまく逃げ果せられることを祈りながら走り続けた。(つづく)
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