「めぐり逢う理由」 (第一章 百年前の恋)-8-
「新吉さん?」
「ん?」
「この橋って、いつ頃からここにあるんですか? お祭りはその頃から?」
「まあ、詳しいことは分からんが、村の長老の話によれば、三百年くらい前からあるようじゃがのう」
「そんな古くから?」
「祭りもその頃からあったらしいが、今とはちょっとばっかし意味が違ったようじゃ」
「どんなお祭りだったんですか?」
「祭りと言うよりは、儀式のようなものじゃったらしい」
「儀式?」
「ああ、橋は数十年に一度架け替えられてきたが、橋ができた最初の頃は、橋の安全を祈願するために橋脚の下に人を沈めたそうじゃ」
「ヒト? 人間ってこと?」
「ああ、その頃はまだ人柱信仰という風習が残っていてのう、汚れのないおなごを龍神に捧げる生贄にしたという話じゃ」
「そんな……ひどいわ」
「まあ、昔の話じゃ。本当か嘘かもようわからん。例え、それが本当だとしても、今はこの橋はわしら村の者にとっては希望の橋じゃ。村が豊かになり、いつか町の人間もこの橋を渡って町と村を行き来するようになる。お前とわしがこの橋で出会ったようにな。そのためにもこの橋は大切に守らにゃいけん。亡くなったおなごのためにものう」
「ええ、そうですね」
誰かに呼ばれたような気がして、多み子は振り返って橋を見上げた。そこには誰もいなかったが、橋の欄干に炊かれた松明の炎が一つ、ちぎれて空に舞い上がった。この橋にはまだ、生贄にされ亡くなった少女の魂が生き続けているのだと多み子は思った。
「向こう岸の森の入り口におっきな桂の木があるんじゃが、この前それに気が付いたかえ?」
新吉は、多み子に聞かせるにはあまりいい話ではなかったと、少し後悔したように、あえて明るい口調で話題を変えた。
「ええ、橋の上からですけどよく見えました。あれって、桂の木だったんですね」
「ああ、樹齢はもう五百年とも六百年とも言われちょる」
「じゃあ、この橋よりもずっと古いんだ……」
「あの桂は男木(おぎ)なんじゃ。森を抜けたところに女木(めぎ)がある。同じような巨木じゃ。その女木の周りにはたくさんの若い桂の木が何本も生えている。男木と女木の間にできた子供の木じゃ」*1
「まあ。ご夫婦なの?」
「ああ、言い伝えじゃがな。初めは男木と女木の二本だけじゃった。女木は男木のことを好いちょったが、なかなか気持ちが伝わらず四百年が過ぎてしまった。心配した村人が山の神様に相談すると、神様は山鳩に言って女木の気持ちを男木に伝えさせた。女木の気持ちにようやく気付いた男木は、山鳩を使って自分の花を女木に与えた。すると、女木の傍に子どもの木が生えた。その後、山鳩は何度も男木の花を女木のところに運んだんじゃ。そうして女木の周りに桂の林が出来上がった。村人はようやく女木の恋が実ったと喜んだそうじゃ」
「四百年も想い続けた恋が実ったなんて……素敵なお話ね」
「男木ももっと早うに気付いてやりゃええのにのう。鈍感じゃのう」
新吉は多み子の気持ちに気付いているのだろうか、自分のことは棚に上げてそう呟いた。
辺りが少し暗くなり始め、松明の炎に二人の影が仲良く並んで揺れていた。
奈美と早苗が橋の袂まで戻ってくると、それに気が付いた多み子が小さく手を振った。
「あら? なあに、これ。二人の名前、並べて書いちゃって。恋人同士みたい。ねえ、早苗さん?」
「ほんとだ。いつの間に」
「やだ、何言ってるの奈美ちゃん、これはね、新吉さんに名前を教えてもらって、代わりに私の名前を教えてあげてね、その時……」
「まっ、新吉さんですって」
「あらあら、お熱いこと」
「もー、二人とも意地悪ね」
「ふふふ。冗談よ。はい、龍露飴。食べたらみんなでお舟を流しましょう。新吉さん、あなたの分の願い事は私が書いてきたからね」
「なんでわしの願い事をお前が書くんじゃ?」
「細かいことは気にしなくていいのよ」
奈美が早苗から飴の袋を受け取り、皆に一つずつ配った。そして、自分もひとつ頬張ると多み子にその袋を渡した。
「一つ余ったから、帰ったらプーさんにあげて」
「食べるかしら? プーさん、犬よ」
「大丈夫じゃろ、プー助は何でも食いよるけ。うちに来た時も蒸かし芋をバクバク食っちょった。おまけに人んちの庭にこーんなでかい、うん……」
「わっ‼ わっ‼」
「どうしたの? み子」
多み子は新吉がまた、変な事を言い出して早苗に叱られる前に新吉の言葉をかき消した。
「何でもない、何でもないわ。大丈夫、帰ったらちゃんとあげるわ」
「それがええ」
新吉が安心したように頷いた。
四人は飴を舐めながら流し場までやって来た。
「じゃ、いっせーのせで一緒に流すわよ」
「いっせーのせ!」
早苗の掛け声とともに、四人はそれぞれ手にした紙船を川面に浮かべた。ほぼ同時に浮かべたはずなのに多み子の船はみんなよりも少し出遅れた。早苗の船に続いて奈美の船が本流へと流れて行ったが、新吉の船は多み子の船を待つように淀みに捉まり停滞した。後から遅れてきた多み子の船が新吉の船に寄り添うと、二つの船は並んで一緒に本流へと流れて行った。
「新吉さん、太鼓叩いているところ二人に見せてあげたら」
「おう、そうじゃな。よっしゃ! よう見ときや」
新吉はそう言い残すと大太鼓へ向かって走っていった。
ドンドンドン
「ヤー、ター、そりゃ!」
ドンドンドン、タッタッタッタ、ドンドンドン
「ヤー、ター、そりゃ!」
新吉の叩く大太鼓の音に合わせて周りの男たちが一斉に掛け声をかけ始めた。その大きな音と声が、無音のまま川を流れていく紙船たちを厳かに送り出していた。今年の祭りも無事終焉を迎えた。
「あなたたち、来年のお祭りも見に来てね」
「ええ、絶対来ます! ねえ、み子」
「はい」
「多み子さん? だったわね。面白みのない無粋な弟だけど、新吉さんをよろしくね」
「え?」
「それじゃあ、お二人さん、あたいはひと足先に帰らせてもらうよ!」
早苗は得意の歌舞伎の真似であいさつすると、驚く多み子に微笑みを投げかけ、奈美には計画がうまくいったことを眼で伝えて帰って行った。
「面白い人でしょ? 早苗さん」
「奈美ちゃんの仕業でしょ?」
「え?」
「奈美ちゃんが仕組んだことね」
「何のこと?」
「今日のお祭りのことよ。龍金堂のご主人に招待されたなんて嘘なんでしょ?」
「されたわよ」
「本当かしら? だっておかしくない? どうして一度しか会ったことがない早苗さんが、奈美ちゃんの名前知っていたのよ」
「え?」
「龍露飴を買いに行くとき、早苗さん、奈美ちゃんの名前を呼んだわ。奈美さん一緒に行きましょって」
「そ、そうだったかしら?」
「そうよ。私、変だなって思ったわ。それに、私と新吉さんをわざと二人きりにして」
「そんなことないわよ。偶然よ。たまたまよ」
「…………」
「ほ、ほんとよ。ほんとに偶然……」
「ありがとう。うれしかったわ」
「え? 怒ってないの? 嘘ついたこと」
「ううん、怒ってなんかいないわ。奈美ちゃんと早苗さんのおかげで、私、新吉さんとたくさんお話ができた。新吉さん、私の名前褒めてくれたわ。お母さんのことも立派だって……。ありがとう、奈美ちゃん」
「み子……」
親友の恋を少しだけ手助けできたことが奈美は心底うれしかった。
「あーあ、早苗さんたらドジね。私があんなに名演技したのに。み子に全部ばれちゃったじゃない」
早苗の犯した過ちを引き合いに出して照れ隠しをしてみたが、多み子の生まれたばかりの恋がこの先ずっと続いていくことを奈美は切に願った。(つづく)
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*1:「桂の木伝説」 雲洞庵