「めぐり逢う理由」 (第二章 げんちゃん王子)-2-

 美雪は日本屈指の家電メーカーである、五葉(ごよう)電機株式会社を一代で築き上げた西園寺世之介の孫娘だった。美雪の父親は西園寺幸太郎といい、世之介にとっては娘婿にあたる。幸太郎の妻、つまり美雪の母親の佳恵が世之介の一人娘だ。

 世之介は、今はまだ五葉電機の社長だが、いずれは娘婿の幸太郎にその座を譲るつもりだ。しかし、世之介は幸太郎のビジネスマンとしての実力には満足していたが、娘に甘すぎるところが気に入らなかった。孫娘の美雪には女性とは言え、創業家の三代目としての勉強や経験を積ませたいと考えていた。そして、それは自分も会社の経営に関わっている佳恵も世之介と同じ考えだった。娘を自分と同じ経営者として育て上げ、将来はそれにふさわしい夫を見つけてやることが自分の使命だと考えていた。

 

「なみちゃん、なみちゃんは、はしのむこうにいったことがあるの?」

 橋の開通式からすでに三日経っていたが、美雪は橋に行くことをまだ諦めきれずに奈美に尋ねた。

「いいえ、一度も。わたくしがこちらに来た時には、前の橋が流されてしまった後ですので。そういう意味ではお嬢さまと一緒ですね。お嬢さまがお生まれになった時も橋はもうなかったですものね?」

「うん」

「お嬢さまは、どうしてあの橋の向こうに行きたいんですか? 町からわざわざ向こう側に渡る人なんていませんよ」

「どうして?」

「だって、町には何でも揃っていますし、わざわざ何もない山の方に行く用事がないんですよ」

「じゃあ、だれがはしをわたるの?」

「観光で来た人以外だと、あの橋は町の方に出て来てお仕事をしたり、畑で採れた野菜なんかを町に売りに来るために、山の方に住んでいる人たちが渡るんですよ」

「おやさいをつくっているの?」

「そうですよ。お嬢さまのお嫌いな人参やピーマンも、きっと、たーくさん作っていると思いますよ」

 美雪に橋のことを諦めさせようと、奈美は少し大げさに意地悪なことを言った。

「ふーん、そうなんだ。じゃあ、おひめさまも、おうじさまもいないのね」

「え?」

「ううん、なんでもないわ」

 美雪のがっかりしたような顔を見て、奈美はかわいそうなことをしたかなと思ったが、橋の向こうに行ってみたいと思う美雪の気持ちに、佳恵が感づく前に諦めさせることができてよかったと思った。いずれ上流社会の清楚で上品なお嬢様となる予定の美雪が、時代遅れの橋を渡って田舎の人間と関わり合いを持つことなど、プライドの高い佳恵が許すはずはないと思った。

「なみちゃん、それかわいいわね」

 奈美の心配をよそに、美雪の興味は、もう行けなくなった橋から、奈美の付けてる髪飾りに移っていた。

「これですか?」

 奈美は頭の玉簪(かんざし)を抜いて美雪に見せた。

「うん」

「お嬢さまの髪がもう少し長く伸びたら、似たものを買ってさしあげましょうね」

「ううん、いいの。わたしももっているから」

「あら? お嬢様、簪なんて持っていらしたかしら?」

 奈美は美雪の身の回りのことは何でも把握しているつもりだったので、美雪の言葉に意外そうな顔をした。

「おひめさまのしるしと、とりかえっこしたの」

 そう言えば、美雪が気に入ってずっと身に着けていたティアラがこのところ見当たらない。美雪は以前にお友達の印として、同じ幼稚園に通うよし子ちゃんとはお人形を、さち子ちゃんとはリボンを交換していた。無くしたものとばかり思っていたが、今度はいったい誰と交換したというのだろう。

「お友達ですか?」

「うん。み子ちゃんよ」

「み子ちゃん? ふーん、そうですか……」

 首を傾げながら部屋を出て行く奈美を見送ると、美雪は机の引き出しの奥から古そうな箱を取り出した。その深緑色の箱の蓋の真ん中には、中の品物に付いた名前だろうか、『麝香(じゃこう)豌豆(えんどう)金蒔絵(まきえ)飾り』と筆文字が書かれていた。

美雪は蓋を開けて中の薄紙を開いただけで、その下に見えた物を取り出そうとはしなかった。

「きれいね」

 いつもそうなのである。まるで、恋人からの贈り物を大切にしまい込んでいるかのように、ときどき机の引き出しから出しては蓋を開けて眺め、またしまい込んでしまう。美雪はそれが頭に付ける飾りであることは子供ながらに分かっていたが、漢字で書かれた商品の難しい名前は読めなかった。もちろん、箱の裏に書かれていた『龍金堂』という文字も幼い美雪が読めるはずもなかった。(つづく

 

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