「めぐり逢う理由」 (第二章 げんちゃん王子)-5-
家に帰った美雪は、幸太郎が帰ってくるまで幸太郎の似顔絵の続きを描いた。間一髪、肌色のクレヨンが戻って来たので、似顔絵を何とか完成させることができた。そして、幸太郎が帰ってくるまでまだ時間があったので、美雪は今日、幼稚園で会った優しいお兄ちゃんの絵も描いてみた。お兄ちゃんと一緒にいたのはほんの短い時間だったので、美雪はお兄ちゃんの顔は坊主頭であったこと以外、よく思い出せなかったが、半ズボンとランニングシャツの身なりはよく覚えていた。
頭のいい美雪は、まだ四歳だったがひらがなの読み書きができた。そう言えば、お兄ちゃんのランニングシャツの左胸には「げん」と書かれていたことを思い出した。
「あのお兄ちゃん、げんちゃんって言うのかなぁ」
美雪は描いたランニングシャツの左胸に『げん』という文字を書き足した。
その日、幸太郎が帰宅したのは夜の七時頃だった。佳恵と世之介は会社の接待で夕食は不要だと奈美に連絡が入っていた。美雪はせっかくお箸が上手に使えるようになったので、厳しいお母様の前で披露しようと思っていたのだが、それはまた日を改めることにした。その代わり、お父様と存分にお話ができることの方が美雪にとっては重要なことだった。
「美雪、今日は幼稚園でどんなことをしたんだい?」
佳恵と世之介だけの時は、誰も美雪にそんなことを聞いてはくれない。いつも、仕事の話ばかりで三人で食べていても美雪はいつも独りぼっちだった。
「きょうはね、おゆうぎをしたわ」
「うまくできたかい?」
「うん、でも、よし子ちゃんはすこしまちがえちゃったわ」
「よし子ちゃんは美雪のお友達かい?」
「うん、よし子ちゃんとさち子ちゃんはいつもいっしょよ。それと、み子ちゃんもお友達よ」
「そう」
「おとうさま、きょうおにいちゃんがきたの」
「お兄ちゃん? 幼稚園の子かい?」
「ううん、ちがうわ。おそうじのおばさんといっしょにきたの」
「ふーん」
「わたしのクレヨンをいっしょにひろってくれたの」
「クレヨンを? 優しいお兄ちゃんだね」
「うん、うん、そうなの、そうなの。やさしいの。でも……おかあさまがもう口をきいてはいけませんって」
「どうして?」
「みなりがよくないんですって」
「そうか、どんな子なんだろうね。そのお兄ちゃんは」
美雪はさっき自分で描いた絵を思い出した。
「おとうさま、ちょっとまってて」
食事の途中で席を立ったりしたら、佳恵に真っ先に叱られるところだが、今日は幸太郎しかいないので美雪は自由だった。自分の部屋に戻って幸太郎の似顔絵とお兄ちゃんの絵を手に取り、急いでまた戻ってきた。
「はい。これ」
「これは?」
「おとうさまのおかおよ」
美雪は頭のいい子だったが、絵の才能はあまりなかった。それでも、美雪の描いてくれた自分の似顔絵を見て幸太郎は嬉しくてたまらなかった。
「美雪が描いてくれたのかい? 上手だね。とっても嬉しいよ。ありがとう」
以前、佳恵の似顔絵を描いた時の佳恵の反応と幸太郎の反応が全く違い、幸太郎がとってもうれしそうだったので、美雪もそれを見てうれしくなった。
「これがおにいちゃんよ」
気を良くした美雪は、もう一つの作品を幸太郎に披露した。
「ほう、面白そうな子だけど、お母さまの好みではなさそうだね。名前は、げんちゃんって言うのかい?」
「よくわからないけど、おようふくにそうかいてあったの」
「そう」
佳恵と違って、幸太郎は身なりで人を判断するようなことはしなかった。げんちゃんが一体どんな子なのか、美雪の描いたげんちゃんの絵を見て一度会ってみたいとさえ思った。(つづく)
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