「めぐり逢う理由」 (第三章 再会と人違い)-2-

「美雪、早くしなさい! 行くわよ」

「は、はーい」

 幸太郎は一足先に帰国していたため、美雪は佳恵と二人で迎えのタクシーのトランクにスーツケースを収め、空港へと向かった。

「美雪、入社式から半年遅れになるけど、あなたの配属は経営企画室ですからね。そこの室長の青山さんの下でよく勉強するのよ。青山さんはとっても優秀な方ですからね」

 二十年も住んだアメリカに何の未練もないのか、タクシーに乗り込むなり、佳恵は会社の資料に目を通し始めた。

「勉強って何を?」

「会社の経営に決まっているでしょ! 何のためにHBSまで行ったの。しっかりしなさいよ。あなたは、新入社員ではあるけれど経営側の人間なんですからね」

 美雪が五葉電機に入ることは、ある意味生まれる前から既に決められていた美雪の運命だった。美雪は一応、採用試験と面接を受けて入社したのだが、それはあくまでも形だけのもので、面接に至っては、美雪の前に勢ぞろいした五葉電機の幹部たち自らの自己紹介で終わった。いわゆるコネ入社である。しかし、創業者の孫娘という肩書を取り除いても、会社が美雪を採用しない理由はどこにもなかった。それほど、美雪は同期の誰よりも優秀だった。

 新入社員が入社してすぐに経営企画室に配属になることは、会社にとっては異例なことだったが、美雪が初めてではなかった。現室長の青山もまた今から十六年前、新入社員として配属された先が経営企画室であった。同じように優秀な社員の青山と美雪だったが、二人の間の決定的な違いは、上昇志向が強い青山に対して美雪にはまるでその意識がないことであった。

「でも、初めは先輩社員の方や同期の人と一緒に交流を深めたりして……そうそう社員旅行とか運動会なんかもあるのかしら? そういえば子供の頃、お父様から会社の夏祭りのお話を聞いたことがあるわ。花火も打ち上げたみたいよ。ね、お母さまそうなんでしょ」

「いい加減にしなさい! いいですか美雪、一般社員とは毅然とした態度で接しなさい。決して甘い顔など見せてはいけません。いいですね! それに、社員旅行や夏祭りなんていうものは、もう何年も前に廃止しました。無駄なコストは掛けられませんからね」

「えー! 何もないんですか?」

「そんなことはありません。当社は一流企業ですからね。それなりに福利厚生はしっかりしています。ただ、昭和の高度成長期のときのような社員旅行や運動会、夏祭りなんてものは廃止したのです。それに、社員もそんなものは望んでいません。今は、個人で楽しむ時代ですからね」

「なんか、アメリカの会社みたい……」

 美雪は少しがっかりした。昔、幸太郎から聞いていた話では、日本の会社には社員旅行や運動会があって、社員やその家族も一緒に会社の行事に参加したものだったと、幸太郎は呑んで機嫌がよくなると、よく懐かしそうにそう話していた。美雪も子供ながらに学校の遠足や運動会みたいで楽しそうだなと思っていた。

 確かに世之介が作った五葉電機は、創業当時、まだ中小企業で従業員もそれほど多くはなかった頃、年に一度、社員旅行や運動会、それに夏祭りもあった。他にも、社員の誕生日には、その社員の家族の人数分のショートケーキが配られた。それを持って家に帰ると、子どもたちは大喜びで偉大な父親を出迎えたものだった。まだまだショートケーキが一般家庭には贅沢な品だった頃の話だ。

「美雪、来月にはあなたの社会人としての生活がスタートするのよ。これからは、学生の時とは違って浮ついた気持ではやっていけませんからね。しっかりがんばりなさい」

「はい、お母さま」

 空の上から小さく見えたアメリカ大陸に別れを告げ、期待と不安を胸に美雪は帰国の途についた。

 アメリカを発って十時間、美雪と佳恵はようやく羽田空港に降り立った。佳恵は会社の出張で日本には時々帰って来ていたが、美雪にとっては実に十年ぶりの日本だった。

「美雪お嬢様! お帰りなさいませ。お久しぶりでございます」

 西園寺家の運転手の村上が、車から降りて手を振りながら美雪たちの方へと走ってきた。村上の昔と変わらないせり出した腹を見て、美雪は思わずプーさんと言いそうになったが、佳恵の手前、それは微笑みに変えることにして再会のあいさつをした。

「村上さん、ご無沙汰しています。お元気でしたか?」

「ええ、お陰様で家内ともども元気にやっております」

「そうですか、それは良かった」

「お嬢さまもお元気そうで何よりです。それに、こんなにお美しく立派になられて……うっ、うう」

 村上は懐かしいご主人様に会えて、急に熱いものが込み上げてきたようだ。ハンカチの代わりに、はめていた白い手袋を自分の目に押し当てた。

「やだー、村上さん、お上手ね」

 美雪は村上の大げさな言動が可笑しくもありうれしくもあった。

 一週間後、美雪は佳恵の命令で、ある人物と会食をするために都内のホテルにやってきた。

「はじめまして。青山です」

 約束の時間の少し前に、待ち合わせ場所のホテルのロビーに現れたのは、青山貴男という五葉電機の経営企画室室長であった。

「青山さん、お休みの日にお呼び立てしてごめんなさいね。美雪、こちら経営企画室室長の青山さんよ。ご挨拶なさい」

「は、はい。西園寺美雪です。両親がいつもお世話になっています。この度、経営企画室でお仕事をさせて頂くことになりました。経験不足ですので、何かとご迷惑をお掛けいたしますが、よろしくお願い致します」

「いえ、こちらこそ。今日は専務が、美雪さんとお話しさせていただく場をわざわざ設けてくださいましたので、せっかくですから美雪さんのこと、いろいろ教えて下さい。会社のことで何か聞きたいことがあれば遠慮なくどうぞ」

「はい。ありがとうございます」

「さっ、二人ともご挨拶はそのくらいにして、お店に行きましょう。今日はフレンチを予約していますからね」

「ありがとうございます。専務」

 少し気障(きざ)だがなかなかの紳士だ。だが……。

 臆病な人間ほど、他人の優れた能力をいち早く見抜く力が備わっているのかも知れない。青山は美雪を見た途端、自分の存在が霞んでしまうほどの脅威を感じた。今はまだ、社会人としては右も左も分からない、そんな頼りなさを感じるが、いずれ美雪のキャリアウーマンとしての底知れぬ能力により、自分の思い描く出世の野望が打ち砕かれるのではないかと思った。美雪が創業家の人間であることも、青山の感じたその脅威に拍車をかけた。それは、青山にとって到底許せることではなかった。美雪の美しさにも心惹かれた青山は、今後ある計画を持って美雪と接することにした。

 食事も終わり、青山と別れた佳恵と美雪は、白金の自宅に向かうタクシーの中にいた。

「美雪、どうでしたか?」

「どうって?」

「青山さんのことですよ」

「ええ、優秀な方よね。あの若さで経営企画室の室長だなんて。趣味や雑学の知識も豊富でいろんなことをご存知でしたわね。シンデレラのガラスの靴が原作では革靴だったなんて……驚いちゃった」

「何に感心しているの、あなたはまったく。それより、青山さんのこと、どう思った?」

「だから、優秀な方だなって」

「それだけ?」

「ええ」

 図らずも佳恵の思いと青山の美雪に対して抱いた野望は一致していたが、当の美雪はまったくそれを感じ取っていなかった。美雪が恋愛に対して奥手なのは自分にも責任の一端があると、佳恵は少し反省した。ただ、佳恵の責任を除いたとしても、美雪の心を揺り動かす存在は、今も昔もあのげんちゃん王子の面影だけなのであった。(つづく

 

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