「めぐり逢う理由」 (第三章 再会と人違い)-11-
日曜日、美雪は再び河川敷のグラウンドに来ていた。今回はシゲも一緒だった。
「よっ! 現太」
「なんだシゲ、お前が顔出すなんて珍しいじゃねえか」
「今日は、友達を連れてきたぜ」
「こんにちは」
シゲの後ろにいた美雪が現太に挨拶した。
「なんだ、また、あんたか。用はねえって、この前もそう言ったろ」
シュンとしてしまった美雪を見てシゲがすかさず反論した。
「俺が誘ったんだよ。副部長の権限で美雪さんも一緒に見学させてもらうぜ」
「何が副部長だ。ろくに練習にも来ねえくせに」
「邪魔はしねえよ」
「勝手にしろ!」
現太はそう言い残して行ってしまった。
「大丈夫ですか? 現太さん」
「ああ、大丈夫さ。さあ、ここに座って見学しようよ」
「はい」
シゲと美雪はベンチ裏の土手に腰を下ろして子供たちの練習を見ることにした。
「タートルズって言うんだ」
「え?」
「あいつらのチーム名、タートルズって言うんだよ」
「タートルズ……って亀のこと?」
「ああ、あいつらにはピッタリの名前さ。歩みは遅いが少しずつでも前に進むって。そういう意味で現太が付けたんだ」
「へー、そうなんですか」
「あの一番を付けているのが優斗。ピッチャーなんだ。コントロールはいいんだが体が小さいから玉が軽いんだな。当たると軽くホームランにされちまう。そんで、二番がキャッチャーの太(ふとし)。見ての通り名は体を表すって感じ。でも、あんな体してるくせに泣き虫なんだ。それから……」
普段、練習に顔を出さないという割には、シゲは子供たちの性格や体の特徴までよく知っていた。背番号順に美雪に説明をし始めた。
「それから、三番がサードの健一。こいつはセンスあるしうまいよ。四番はセカンドの秀樹。健一と秀樹がうちの二枚看板。こいつもうまい。五番は気が弱くて恥ずかしがり屋の良夫。意外にもショート。六番は女の子で紅一点の負けず嫌いの南。そして、一見、生意気そうだが本当はシャイな将人。こいつが七番。八番が頭脳派で相手を分析するのが得意な丸眼鏡の光一だ。九番はいつも兄貴のお下がりのぶかぶかのユニフォームを着ている健二でさっきの健一の弟。えーと、これで全部かな。あっ、もう一人、まだ、小さくて試合には出してもらえないんだが、航っていうのがいるんだ。ほら、あそこでボール拾いしている。いい子なんだが、ちょっと変わっていて」
「変わってるって?」
「ああ、とにかく爬虫類が大好きでさ。蛇だの蛙だのへいきで触るんだよ。俺なんか気持ち悪くてさ。だけど、航に言わせると可愛いんだって」
「私も苦手だわ。特に蛇はダメ。見たら気絶しちゃうかも」
「だよね? まあ、爬虫類好きを除けば普通の子供なんだけどね」
「ふふふ。でも、シゲさん、子供たちのことよくご存じなのね」
「これでも副部長だからね」
「まあ」
タートルズの練習時間は、毎週日曜日の午後一時から三時までの二時間だった。練習を始めて一時間が過ぎた頃、シゲが現太に声をかけた。
「現太! 休憩にしようぜ」
「ああ、そうだな。よーし、お前ら休憩だ」
現太の掛けた声に子どもたちが集まってきた。
「現太、美雪さんが差し入れ持ってきてくれたんだ。子供らにやっていいか?」
「差し入れ?」
「はい。レモンのはちみつ漬けなんですけど。疲れた体にいいかなって思って」
「まあ、持ってきちまったものはしょうがねえ」
シゲと美雪は顔を見合わせて微笑んだ。
「さあ、お前ら、お姉さんが美味しい差し入れを持って来てくれたぞ。やるから一列に並べ」
「やった!」
子供たちは、行儀よく一列に並び美雪からレモンをもらった。
「お姉ちゃん、これ何?」
「レモンよ。甘くて美味しいわよ」
「食べていい?」
「ええ」
「あっ、本当だ! 美味しい」
「本当だ。甘くて、すっぱくて美味しいや」
「お姉ちゃん、もっとないの?」
「まだ、あるわよ」
「頂だい」
「ぼくにも頂だい」
美雪の差し入れは子供たちに大好評だった。
「ほら、現太、お前も食えよ」
「いいよ。おれは」
「何照れてんだよ」
「ば、馬鹿野郎、誰が照れるか」
「じゃあ、食えよ。ほら」
シゲが渡したレモンを現太が食べた。
「なあ、うまいだろ?」
「まあまあだな」
この前、定食屋でシゲから聞いた、現太の言う“まあまあ”はOKサインだということを思い出して、美雪はふと可笑しくなった。
休憩の後、バッティング、守備練習、仕上げのランニングと後半の練習が一通り終わり、子供たちは後片付けを始めた。すると、ボールが一つ足りないことに道具を点検していた優斗が気付いた。
「監督! ボールが一個ないよ」
「何、どこかに紛れ込んでねえのか?」
ボール一つでもタートルズにとっては大切な道具だ。無いとなれば見つかるまで探すしかない。
「優斗と南は道具をもう一回確認しろ。他のものはグラウンドに落ちてないか手分けして探すんだ」
子供たちの様子を見ていたシゲと美雪は顔を見合わせた。
「あれれ、あいつら、練習終わったのに何やってんだ」
「何か探しているみたいね」
「おーい、秀樹、何やってんだ?」
「ボールが一つ無いんだよ」
「はあ? 見つかるかねぇ。こんな広いグラウンドで」
シゲは探すだけ無駄だと言うように呟いた。
「シゲさん、私たちも一緒に探しましょう」
その場にすくと立ち上がり、美雪が言った。
「えーっ、いいんじゃねえかな。子供らに任せておけば」
「ひとりでも人数が多い方が早く見つけられるわ。ね?」
「うーん、仕方ねえ、探すか」
シゲは、すでにグラウンドに降りかけていた美雪の後を追った。
美雪とシゲもボールの捜索に加わった。広いグラウンドに十人の子供と三人の大人がそれぞれに散らばった。美雪は外野の草むらの中を探すことにした。しかし、グラウンドの使用権を持っているのは何も人間だけではない。ボールといっしょに何が隠れているか分からない。
「あっ! あった、あったわ」
美雪が草をかき分けてみると、白いボールがその姿を現した。美雪はボールを掴もうと手を伸ばしたが、そのすぐ向こうを何か細長いものが動いたように見えて思わず伸ばした手を引っ込めた。
「な、なに?」
もう一度ゆっくりと草むらの中を覗くと、ボールの横でとぐろを巻いた蛇と美雪の目が合った。
「キャー!」
美雪の叫び声を聞いて、グラウンドのあちこちに散らばってボールを探していた子供たちが美雪のもとへと集まってきた。驚いた現太とシゲも大急ぎで走ってやってきた。
「ど、どうした!」
「へ、蛇、蛇が」
「蛇?」
「ええ、そこに大きな蛇がいたの」
騒ぎに驚いてさっきの蛇はどこかに身を隠してしまったようだった。美雪の指さした先にはもうその姿はなかった。
「蛇なんてどこにもいやしねえぞ。何かの見間違いじゃねえのか?」
「え? でも確かにそこにいたんです」
「おねえちゃん、蛇がいたの?」
そこへ、爬虫類好きの航が目を輝かせながらやって来た。
「う、うん」
「どこ? どこにいたの?」
「その辺かなぁ」
美雪が指さした辺りを航が行方不明となった蛇を探し始めた。
「見間違いだよ。山の中じゃあるまいし、こんなところに蛇なんているわけねえだろ」
「みんな、ごめんね。お騒がせしちゃって。でも、ボールがあったのよ。ほら」
「良かった。美雪さん、どうもありがとう。ほれ、お前らもお姉さんにお礼を言え」
「ありがとうございました!」
「いいえ、どういたしまして」
「悪かったね。差し入れまでしてもらった上にボール探しまでさせちゃって」
「おねえちゃん、レモンおいしかったよ。また、持ってきてね」
「ぼくも! また食べたい!」
「ぼくも! あのレモン食べたら、なんか力が湧いてきた!」
「うん、そうだ、そうだ! レ・モ・ン」
「レ・モ・ン、レ・モ・ン、レ・モ・ン」」
子供たちが一斉にレモンコールをし始めた。
「ば、ばか、やめろお前ら、厚かましいやつらだな。お姉さんだって忙しんだ、そんなしょっちゅう作って来れるか!」
「えー! そうなのー?」
「悪いね。こいつら遠慮ってものを知らねえから」
シゲは騒ぐ子供たちを横目に苦笑いをした。
「いいですよ。また、作って持ってきますよ。こんなに喜んでもらえて私もうれしいわ」
「ホント? おねえちゃん!」
「ええ、今度はもっとたくさん作ってくるわね」
「やったー」
美雪は蛇に出くわすというハプニングはあったが、みんなの役に立ててうれしかった。そして、少しやんちゃだが素直で可愛いいこの子供たちのことがとても愛おしく思え、美雪は目の前で喜ぶ子供たち一人ひとりの顔を見つめた。
一見、生意気だが本当はシャイな将人くん、頭脳派で相手を分析するのが得意な丸眼鏡の光一くん、おにいちゃんのお下がりのぶかぶかのユニフォームをいつも着ている健二くん、そして面倒見のいいその健二くんのお兄さんの健一くん、恥ずかしがり屋の良夫くん、このチームで健一くんと並んで野球がうまい秀樹くん、紅一点で負けず嫌いの南ちゃん……みんな、とてもいい子たちだ。
「おねえちゃん?」
子どもたちの元気な姿を幸せな気持ちで見つめていた美雪の背後から、美雪のジャージの袖を引っ張る子供がいた。
「あら? 航くん」
そうだ、爬虫類好きの変わった子だが、この子もまたかわいい子供のひとりだ。航の問いかけに答えようと、美雪は振り向きながらしゃがみ込み、航の両肩に手をおいて顔を近づけた。
「どうしたの?」
「見つけたよ」
「見つけた? 何を?」
美雪はこの可愛い子供に微笑みながら首を傾げて尋ねた。
「ほら」
そう言って、航が美雪の顔の前に差し出したのはさっきいなくなったはずの蛇だった。航に頭を掴まれた蛇は、美雪の目の前で体をくねらせ舌をペロペロと出して見せた。
「キャー!!!」
突然目の前に現れた蛇に驚いて、美雪はその場で気を失い倒れ込んでしまった。
「あっ、ば、馬鹿! そんなもんいきなり目の前に出す奴があるか」
現太は慌てて美雪を抱き起し、頬を軽く二、三度叩いた。
「おい、しっかりしろ。ありゃりゃ、本当に気を失っちまったぞ」
「どうして? こんなにかわいいのに」
「わかった、わかったから、そいつをどこか遠くの方に離してこい」
「うん」
「現太、俺、車に毛布が積んであるから持ってくるわ。ほれ、お前らも手伝え」
「はい!」
「お、おい、シゲ、これどうすんだよ」
現太は抱き起した美雪をシゲに差し出して見せた。
「ベンチまで運んでくれ」
「お、俺がか?」
「他に誰がいる? お前しかいねえだろ」
シゲはそう言い残すと、子供たちと一緒に車の方に行ってしまった。広いグラウンドに現太と美雪の二人だけが残された。現太は気を失った美雪を背負い、ベンチに向かってゆっくりと歩き出した。
午後の四時近くになり、晩秋の陽の光が美雪を背負った現太の影を長く伸ばした。思えば、とても暖かな一日だった。河川敷のグラウンドを川からの心地よい風が通り抜けて行った。
あの頃、熊野川にもこの風は吹いていたのだろうか。げんちゃんが橋を渡って町にやって来た時、げんちゃんはその身体にこの風を感じていたのだろうか。
現太の背中で、美雪はまるで父親に背負われた子供のようにすやすやと眠っていた。
「美雪、覚えているか?」
現太が背中で眠っている美雪に囁いた。心地よい風に心を許したからのか、つい先日、お前など知らぬと突き放した相手に現太はゆっくりと語り掛けた。
「俺は昔、お前をこうしておぶってやったことがあったな。幼稚園で、泣きじゃくるお前を洗い場まで連れて行ってやったときのことだ。あの時もそうだったが……。随分と体(なり)はでかくなったが、お前は相変わらず軽いんだな」
「げんちゃん……」
背中で眠る美雪が呟いた。
「ふふ、何だ、お前も思い出したのか?」
「現太!」
「お姉ちゃん!」
二人をシゲと子供たちが手を振りながら呼んでいる。現太はみんなの待つベンチへと急いだ。
げんちゃんがすぐ傍にいる。
だが、美雪はまだそのことを知らない。(つづく)
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