「めぐり逢う理由」 (第三章 再会と人違い)-4-
翌日、美雪は配属先の経営企画室に初めて出社した。室長の青山がメンバーを集めて美雪を紹介した。
「みんな集まってくれ! 今日から、我が経営企画室のメンバーになった西園寺美雪さんだ。みんなも知っている通り美雪さんは西園寺社長の娘さんだ。だが、これは美雪さんの意向でもあるが、そこはあまり意識せず、普通に、ラフに接してあげて欲しい。いいな?」
「はい!」
「じゃあ、美雪さん、挨拶を。簡単でいいよ」
「はい。西園寺美雪です。今日から皆さんと一緒にお仕事をさせていただきます。一生懸命頑張りますので、至らぬ点も多く、皆さんにはご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します」
美雪が丁寧にお辞儀をすると、美雪を歓迎する拍手がフロアー内に鳴り響いた。
「美雪さん!」
「は、はい」
「彼氏はいるんですか?」
「えっ? い、いえ、いません……」
「井上! お前、セクハラだぞ!」
「だって、室長、ラフに接しろって言ったじゃないですか」
「バカ、お前のはラフ過ぎるんだよ。美雪さんもそんなのに正直に答えなくていいんだよ」
そう言いながらも、青山は美雪に彼氏がいないことが分かって内心嬉しそうだった。他の男性社員たちもまた、無駄に安堵した。
「すみません」
美雪がそう言って顔を赤くすると、集まった社員の中からどっと笑い声が上がった。
「まあ、今週の金曜日に美雪さんの歓迎会をするから、美雪さんに聞きたいことがあればその時にでも聞くんだな」
「了解でーす。じゃあ、『聞きたいこと一覧』を資料にまとめまーす」
そう言って、お調子者の井上がパソコンに向かうふりをすると、居室には再び笑い声があがった。(皆さん、いい人たちね)美雪はこの会社で仕事をすることが楽しみに思えた。
パソコンの設定や総務的な書類の記入、組合の案内など、初めの数日はあっという間に過ぎた。まだ、仕事らしい仕事は何もしていなかった。あえて仕事と言うならば、青山に頼まれた資料をコピーして何度か会議室に持って行ったことくらいだった。
金曜日、青山の言った通り、美雪の歓迎会が行われた。ただ、これまでの歓迎会とは違った点が二つほどあった。一つは、青山が面倒な幹事役を買って出たこと。そして、もう一つは歓迎会の場所がいつもの居酒屋ではなく高級レストランで行われたことだった。
「へえー、随分と高そうな店だな。大丈夫なのか会費、確か一人五千円だったよな?」
「心配するな。足りない分は青山室長がポケットマネーで出すらしいぜ。室長も抜け目ないよな。自分で幹事を買って出たそうだ。美雪さんにいいとこ見せたいんだろうなぁ」
「なるほどな。そういうことか……ということは、室長も美雪さんを狙っているってことか?」
「何でえ、室長もって? まさか、お前、本気で美雪さんを狙っていたのか?」
「そうだよ。悪いか?」
「身分をわきまえろよ。たまたま同じ職場にいるからって、相手は創業家のお嬢様だぞ。お前なんか、相手にされるわけないだろ」
「そんなことねえよ。この前だって俺がコピー取っていたら、“井上さん、私やりましょうか? ”って。わざわざ“井上さん”って俺の名前呼んでくれたんだぜ」
「それは、美雪さんがメンバーの顔と名前を早く覚えようと努力しているんだよ。だから、お前だけじゃないんだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
「じゃあ、青山室長も無駄な努力ってわけだ。気の毒に」
「ところが、そうでもないんだな」
「どういうこと?」
「室長は専務に気に入られているから、専務を丸め込んで美雪さんをものにしようとしてるって噂だ」
「はあ? 本気かよ。いくつ歳が離れていると思ってんだよ」
「来年、四十になるって言ってたなぁ」
「くそ! あのエロおやじが。よし! 今日から俺は、美雪さんを青山室長から守る会の会長になる!」
「あきらめたのか? 美雪さんのこと」
「仕方ねえよ。相手は女神様だ。ただなぁ……
“妻をめとらば才たけて、みめ美わしく、情けあり“ *1
美雪さんにぴったりだと思わねえか? おれの理想なんだよ。美雪さんは」
「ばか、お前だけじゃねえよ」
「そうだよなぁ」
「はぁ……」
美雪の先輩社員の井上と渡辺は、自分たちには手が届かないが、だからと言って室長の青山と美雪が結婚することなど考えたくもなかった。万が一、二人が結婚しても絶対に結婚式になど行くものかと、二人はお互いに誓いあった。
高級レストランでの美雪の歓迎会も終わり、青山は美雪を含め歓迎会に出席した十数名の部下を連れて意気揚々と店を出た。
「美雪さん、どうだった? この店の料理は?」
「とても美味しかったです。今日は、私のために歓迎会を開いてくださってありがとうございました」
「なあに、いつもなら、井上や渡辺あたりに幹事をやらせるんだが、今日は何てたって美雪さんの歓迎会だ。ぼくのお気に入りの店でやろうと思ってね。あいつらに任せておくと、その辺の安い居酒屋でやりそうだから、それじゃ、美雪さんに失礼だ」
「そんなことありませんわ」
「まあ、他にもぼくのお気に入りの店はたくさんあるから、いずれまた連れて行ってあげるよ。今度は二人きりで」
青山は部下たちには聞こえないように、美雪の耳元で囁いた。
「あ、ありがとうございます」
対処に困った美雪が、とりあえず当たり障りのない返事を返すと、美雪が喜んでいると勘違い青山はさらに付け上がった。その時、青山の歩いている横を男が二人、すれ違いざまにわざと青山にぶつかってきた。
「君、気をつけたまえ!」
「なんだと、そっちがぶつかって来たんじゃねえのか!」
「何を言ってる。お前がぶつかって来たんだろ」
酔っていることもあって、強気な青山は美雪の前で粋がった。
「貴様らのようなチンピラが街をダメにするんだ。おまえらみたいなのはこの街から出て行け!」
「てめえ、いい気になってんじゃねえ!」
そう言ってチンピラのひとりが青山の頬をなぐった。
「きゃー!」
女性社員が悲鳴をあげた。男性社員はおろおろとするばかりで誰も青山を助けようとしない。
「警察を呼べ!」
誰かが叫んだ。
「警察だと! 呼べよ。呼んでみろよ。警察が来る前にこのおっさん、ぶっ殺してやる」
男がそう言って、もう一度青山の胸元を掴もうとした時、男と青山の間に美雪が割って入った。
「もうやめてください。この人酔っているんです。許してあげてください」
「ヒュー。こりゃいい女だ。あんたこいつの知り合いか?」
「ええ」
「許してやってもいいが、その代わりあんたが俺たちに付き合えよ」
「きゃっ、何するんです!」
男のひとりが美雪の手を掴んだ。
「いいじゃねえか。悪いようにはしねえよ」
「放してください!」
「うるせ! 黙ってついてくりゃいいんだよ!」
「警察はまだ来ないのか」
周りの男たちは皆、国家権力頼みで誰も自分の手を汚そうとはしない。(つづく)
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