「めぐり逢う理由」 (第三章 再会と人違い)-5-

―いい加減にしろよ―

 いつの間にかできた人だかりの後ろの方でそんな声が聞こえた。

「誰だ! 今言ったやつは? 出てこい!」

「ちょいとごめんよ」

 そう言いながら、群集の中から男がひとり現れた。

「シゲ、あんまり手荒な真似すんなよ」

 その男に向かってもう一人、別の男の声がした。

「わかってるぜ。よう、お前ら、そのべっぴんさんの手、放してやれよ」

「何だと! お前、誰だ」

「おれか、おれは通りすがりのただのサラリーマンよ」

「何だと」

「ほら、早く放せ」

 男は美雪の手を掴んだままのチンピラの手をねじ上げた。

「痛てて」

「お前ら、そいつに手を折られる前に逃げた方がいいぜ。そいつは力だけはあるからな」

後から現れたもうひとりの男がチンピラを睨んだ。

「おい、行こうぜ」

 睨まれたチンピラたちは、この単なるサラリーマン二人が自分たちより遥かに強いことを察したらしい。

「ちっ! 何でえ。見掛け倒しなやつらだなぁ。大丈夫だったかい?べっぴんさん?」

 シゲと呼ばれた男が、その場にしゃがみ込んでしまった美雪に手を差し伸べた。

「はい。ありがとうございます」

「気を付けなよ。たまに、ああいう連中がいるからな」

「ああいう?」

「あんたらみたいな金持ちに因縁付けて、金を巻き上げようって輩がさ」

 このシゲという男が美雪たちを金持ちだと思ったのも当然のことだった。シゲともう一人の男はサラリーマンとは名乗ったものの、どこかの工場の作業員風だった。歳は青山の部下たちと同じくらいに見えたが、一流企業の社員の彼らと比べれば、年収にかなりの差があるのは明らかだった。

「シゲ、もう行くぞ」

 シゲは愛想のよさそうな顔をした男だったが、もう一人の男は眼光鋭く、人を簡単には寄せ付けないそんな風貌の男だった。

「ああ、そうだな」

 シゲが立ち去ろうとした時、半分気を失いかけて倒れていた青山が息を吹き返した。

「ち、ちょっと待ちたまえ。これ少ないけど、取っておきたまえ」

 こんな状況でも見栄を張りたかったのか、青山は財布から一万円札を数枚ほど抜いてシゲという男に差し出した。

「うひょー! いいのかよ、こんなに」

「なあに、ほんの気持ちさ」

「んじゃ、遠慮なく」

 シゲが青山の差し出した一万円札に手を伸ばすと、。

「シゲ!」

 眼光鋭い男がそれを制した。

「だってよ。くれるって言うんだから……ねえ?」

「ああ、せめてものお礼さ」

「な、せっかくだから、もらって……」

男はまだ、睨みつけている。

「わ、わかったよ。もらわねえよ」

「それじゃ、こちらの気持ちが収まらない」

「ああ言っているけど、どうする?」

「礼は言われても、金をもらう理由がねえ。だから、いらねえよ。行くぞ、シゲ!」

「まあ、そういうわけなんで。じゃあね、べっぴんさん」

「シゲ! 早くしろ!」

 立ち去ろうとする男の後ろをシゲが追った。

「わかったよ。待てよ。げん! げーんちゃん。待ってよ」

「えっ、げんちゃん?」

 美雪は思いがけず耳にした懐かしい名前に驚いて、前を歩く二人の男を見つめた。シゲは男を子供みたいな名前で呼んだ罰として、“げんちゃん”と呼ばれた男にヘッドロックをかけられている。

「シゲ、このやろう、その呼び方はやめろって言ったじゃねえか!あんな金に手えだしやがって、少しは恥を知れ。二度とあんなみっともねえ真似してみろ。そんときゃてめえのキンタマ握りつぶすぞ」

(えっ? 今、何て? まさか……)

 シゲとシゲにげんちゃんと呼ばれた男は、彼らにとっては普段の何気ない会話に過ぎないのだろう。何事もなかったかのように二人はその場を立ち去って行った。

「なあに、今の」

「下品ね」

「何だ? あいつら。場所をわきまえろよ」

「育ちが知れるぜ」

 周りにいた人間の反応は様々だったが、基本的には立ち去った彼らを蔑(さげす)むものだった。無理もない。おしゃれな高級レストランの前で作業員風の男が二人、キンタマと言い残して去って行ったのだ。

「キ、キン、な、なんてことを。レディーの前で。まったく、下品な奴らだ。美雪さん、行こう。助けてもらったことは感謝しても、あんな奴らとかかわらない方がいい」

 物事を金で解決しようとした青山の行為もある意味下品だが、青山は自分の恥を消し去るように、立ち去った男たちの悪行を強調して言った。

「美雪さん?」

「室長、美雪さん、固まっちゃいましたよ。お嬢さまにはちょっと刺激が強かったかな?」

 嵐が去って安堵したのか、井上の冗談に他のメンバーたちからの笑い声が聞こえてきたが、美雪はひとり、井上がそう言ったように固まったままだった。

(あの人、げんちゃんって言うの? それに……)

 それに? それは美雪の心の扉を開く呪文、昔、げんちゃんが使った、そして美雪が村上に封印されてしまった魔法の言葉だった。

 美雪の心の奥底で恋の泉が溢れだした。苦しいほどに、胸がどきどきしている。

「げんちゃん……」

 もう会えないと思っていた。何故か、まだ一度も渡ったことのない故郷のあの橋の姿が美雪の脳裏をよぎった。

 虹橋……。げんちゃんと一緒だった優しいおばさんは、その橋のことをそう呼んでいた。あの頃、げんちゃんはその橋を駆け上り、美雪のいる幼稚園にやって来てくれた。(つづく

 

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