「めぐり逢う理由」 (第三章 再会と人違い)-10-

 シゲの友達の片山現太と言う男が、美雪が心の片隅で密かに想い続けていたげんちゃんではなかったということが分かってから一週間が過ぎた。美雪が経営企画室に配属になってひと月目のことだった。仕事にも慣れ、美雪がキャリアウーマンとしての能力を発揮し始めた頃、青山の美雪に対する偏った愛情とライバル心は一層激しくなっていった。

「美雪くん、昨日頼んでおいた資料は出来ているかね?」

「はい」

「じゃあ、それを十部印刷して十三時の会議の時に持ってきてくれ」

 青山はそう言い残すと、自分は昼飯を食べに出て行ってしまった。これまで何度となく美雪を昼食に誘ったが、その度に美雪には断られていた。美雪は井上や他のメンバーが一緒ならば青山の誘いに応じたが、二人きりの時はいろいろと理由を付けて断っていた。昼休みになる間際に午後一番の会議の資料を印刷させるなど、自分の愛に応えない美雪に対する青山の嫌がらせ以外の何物でもなかった。

「はい、分かりました」

 それでも美雪は、嫌な顔ひとつしないで青山に言われた資料を印刷した。このひと月、青山からのパワハラ紛いの命令もあって美雪は毎日遅くまで仕事に追われていた。それはある意味、美雪にとっては良かったのかも知れない。仕事に追われている間は、幻のげんちゃんのことを思い出さずに済んだからだ。

「こんなにたくさんの資料を十部も印刷するの? まったく、昼飯間際に印刷させるなんて、こりゃパワハラだよなぁ」

 青山が行ってしまうと、プリンタの前に立つ美雪に同情するように井上が近寄ってきて言った。

 同意するでもなく、美雪はそれに微笑みを返した。

「手伝うよ。美雪さん。その代わりって言っちゃなんだけど、今度ランチ合コンするんだけど、美雪さん来てくれない? お願い!」

「…………」

 美雪は何か思い当たることがあるのか、手を合わせて懇願する井上を疑いの目で見ている。

「あっ、大丈夫。今度は大丈夫だから」

「本当ですか? 嫌ですよ、この前みたいに女の子が私一人なんて」

「ごめん、ごめん、あの時は手違いで……今度は大丈夫だから」

「そうですか? じゃあ、いいですよ」

「良かった! もう来てくれないかと思っちゃったよ」

 お調子者の井上の言葉をどこまで信じていいものか、美雪は少し心配だったが、それでも少しずつだが、美雪の社会人としても生活も充実してきた。

 仕事においても徐々に美雪の力が認められていった。特に美雪の開く会議は他の会議に比べ、毎回半分以下の時間で終わった。青山のように紙などに印刷はしない。プロジェクターに資料を数枚、映し出すだけだ。しかも一番初めに結論を説明する。そして、その結論に至った経緯について数字を使って端的かつ論理的に示す。すべて裏が取れた数字に異論を言う者は誰もいない。「じゃあ、それで行こう」早い時には三十分もあれば会議は終了した。

 他の会議は美雪のそれとは大きく違った。他の会議はまず、会議を開く目的から説明する。それを説明するために何枚もの資料を用意する。次に、いかにこの会議のために自分が一生懸命努力して調べ物をしたかをインターネットの画面をコピペした資料を見せて説明する。意味のない大量の資料を見せられ、二時間後、聞いている方は結局、初めに説明された会議の目的が何だったかも忘れ、結論も出ずに会議は終わる。いつしか、美雪の会議のやり方が会社のルールとして決められた。

 五葉電機はいわゆる白物家電を始め、半導体や住宅機器の製造も手掛けていた。従業員は国内外合わせておよそ一万人いた。美雪のいる本社には各事業部門の本部が置かれており、その本部を束ねるのが社長である幸太郎だった。

 家電製品にとって欠かせない部品のひとつがモーターである。パソコンなど精密機器に使う小型の物から、洗濯機や冷蔵庫、掃除機や扇風機に使う中型以上のモーターまで、ほとんどのモーターを五葉電機に供給しているのが、シゲや現太の勤める半田製作所である。

 半田製作所の製品は他のどのメーカーよりも極めて品質が良かった。今は亡き創業者の半田次郎は叩き上げの技術者だった。現在の社長は息子の半田雄介だ。半田製作所もまた、五葉電機と同じく同族経営の会社だった。しかし、半田製作所は五葉電機とは違って会社の規模が小さく、その分小回りが利く。従業員は四百人ほどで、今どき珍しく海外に工場を持っていない。採用資格に学歴は関係ない。新入社員には大卒もいれば、高卒も中卒もいる。中にはシゲや現太のように高校中退という者もいる。採用するかどうかは、すべて社長の半田雄介が決めている。

 ある日、美雪は以前シゲと行った龍金堂に行ってみようと思った。「美雪さん、お昼行こうよ」

 いつものように、井上が経営企画室のメンバーと一緒に美雪を誘いにきた。

「ごめんなさい。今日は用事があるので外で食べます」

「そう。じゃあ、俺たちは二十階のレストランで」

 美雪は昼のチャイムが鳴ると、井上たちと別れエレベータを降りて会社の外へと出た。タクシーに乗り込み、十分ほどで龍金堂についた。美雪は店にシゲが来ていることを期待して相変わらず建付けの悪い店の戸を開けた。

「こんにちは」

「やあ、いらっしゃい。お嬢さん。また、来てくれたんだね」

「先日はありがとうございました」

 美雪が微笑むと、店主は嬉しそうに美雪を店の中へと招き入れた。

「あのー、今日、シゲさんは?」

「来てるよ。あれ? トイレかな?」

 すると、トイレから出て来たシゲが美雪を見つけて手をあげた。

「やあ、美雪さん」

「あっ、シゲさん。良かった」

「何、俺に会いに来てくれたの?」

「はい」

 シゲは周りの客に得意げな顔をして見せ、自分の座っているテーブルに美雪を座らせた。

「あのー、シゲさん、現太さんのことなんですが……」

 椅子に座るなり、美雪は現太の話を切り出した。

「何だ、現太のことかよ。てっきり俺に用事かと思ったのに」

「ごめんなさい」

「ご、ごめんなさいって……美雪さん正直だなぁ。“そんなことないですぅ”とか、“シゲさんに会いたかったわー” とか、嘘でもそう言ってくれると男は喜ぶんだよ。覚えておいてね」

「ふふ。はい」

「で、現太がどうしたの? そう言えば、この前、美雪さん現太に追い返されちゃったんだって?」

「ええ、まあ」

「ごめんよ。俺からもよく言っておいたから。怒らないでね」

「そんな、怒るだなんて。私の方こそ、野球の練習中にお邪魔しちゃって……ごめんなさい」

「これに懲りずにまた来てよ。練習を見にさ」

「でも、現太さんにまた叱られちゃうわ」

「大丈夫、大丈夫。俺が一緒に行ってあげるから」

「あのー、現太さんって、お生まれはどちらなんでしょう?」

「生まれ? どうしたの急に。確か……前に聞いた時は、現太は東京で生まれ育ったと言っていたと思うけど。どうして?」

「あ、いえ、別に……。そうですか。東京ですか……」

 もしかしたらという淡い期待が、美雪の心のどこかにまだ残っていたのかも知れないが、生まれ育った場所まで違うということは、やはり片山現太はあのげんちゃんではないのだと美雪は思った。

「現太さんはどうして子供たちに野球を?」

「ああ、多分、自分と同じ境遇の子供たちだからじゃないかな」

「同じ境遇?」

「現太が野球を教えている子供たちは、親がいなかったり、いても生活が苦しくって子供の面倒が見れなかったり、事情は様々だけれど、皆、施設に預けられている子供たちなんだ」

「現太も早くに両親を亡くして同じような環境で育ったらしいから、きっと、放っておけないんだろうね。こんな美人を追い返すなんて無粋なやつだが、あれで結構いいところもあるんだよ」

「そうなんですか……」

「だからさ、見に行ってやってよ。子供たちもきっと喜ぶからさ」

 美雪は、げんちゃんではなかった現太に、もう一度会ってみようと思った。本当の彼を知りたいと思った。

「それとね、現太は口が悪いからさ、初めて会った人は気を悪くしちゃうけど、悪気はないんだよ。あいつ素直じゃないからさ、滅多に相手を褒めたりしないからね。だからね、あいつの言う“まあまあ”はOKサインだと思った方がいいよ。まあ、慣れればわかるよ」

「ふーん、そうなんですね」(つづく

 

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