「めぐり逢う理由」 (第三章 再会と人違い)-7-

 翌日の朝、美雪は会社に連絡を入れ午前休を取った。半田製作所に行ってみようと思ったのだった。五葉電機を救ったという隠された逸話にも興味があったが、何よりもあの時助けてくれた二人にきちんと礼を言いたかった。いや、それはそうだが、本心は、もう一度会いたかったのである。あの“げんちゃん”と呼ばれていた男にもう一度会って確かめたかったのだ。

 事前にアポは取らなかった。シゲとげんちゃんという名前しか知らないのである。取りようがなかった。十一時を回った頃、美雪は半田製作所の受付に直接出向いた。

「あの、私、五葉電機の西園寺と申します」

「五葉電機のさ、西園寺様……もしかして、西園寺社長のお嬢様?」

「はい、美雪と申します。父がいつもお世話になっております。あの、正しいお名前が分からないのですが、こちらにシゲさんという方はいらっしゃいますでしょうか?」

「シゲですか? し、し、少々、少々、お、お待ちください」

 受付の女性が慌てたように奥の事務所に入って行くと、間もなくして恰幅のいい中年の男性を連れて戻ってきた。

「大変申し訳ありません! シゲのやつが何かやらかしましたか?本当に申し訳ありません」

 中年の男性は腰の手ぬぐいを抜き取ると溢れ出る汗を拭きながらいきなり美雪に頭を下げた。横にいた女性社員もつられて一緒に頭を下げた。

「あ、い、いえ、そうではないんです」

「あいつ、とうとう……ここでは何ですから、応接室の方へ……どうぞ、こちらです」

 美雪は何か誤解されてしまったようで、それをすぐにでも正したかったが、突然訪ねてきた若い女性に、恐らく役職もありそうな中年の男が頭を下げて謝罪している姿を見て周りの社員たちがざわめき始めた。美雪は仕方なく男の指示に従った。

「松村さん、お、お茶を……いや、コーヒーを、お願い」

「あの、そんなことしていただかなくても……本当に」

 美雪は半ば懇願するように言った。

「まあ、そうおっしゃらずに。さ、さ、こちらです」

 応接室とは言うものの、単に壁で仕切られた小さな部屋に過ぎなかった。男は美雪を椅子に座らせると、先ほどの続きをしゃべり始めた。

「で、警察の方へは?」

「警察? 何のことでしょう」

「え? 痴漢したんじゃないんですか? シゲのやつ」

「ち、違います!」

 どうりで……美雪は、狭い応接室にわざわざ連れてこられた理由がようやくわかった。この中年の男は、若くて美しい女性とシゲとを結び付ける方法が、『シゲの痴漢行為』と言うものしか思い浮かばなかったらしい。

「違うんですか? じゃあ、あいつ何したんです?」

「シゲさんは私を助けてくれたんです。私が街で悪い人に絡まれていたところをシゲさんと、シゲさんがげんちゃんと呼んでいた方に助けていただきました。その時は、こちらが失礼なことをしてしまって、きちんとお礼が言えなかったので、今日、改めてお詫びとお礼に参りました」

「そ、そうだったんですか。いやー、よかった。私はてっきりシゲのやつが……。ましてや五葉電機の西園寺社長のお嬢さんにとんでもないことしたと思って。いやー何でもなくてよかった、よかった」

 中年の男は安堵したのか、美雪と相向かいに腰を下ろそうとして思い留まり、代わりに胸ポケットから名刺を取り出した。

「ご挨拶が遅れました。私、工場長の田部井と申します。西園寺社長にはいつもお世話になっております」

 美雪も先日、新入社員に配られたばかりの名刺を差し出した。

「五葉電機・経営企画室の西園寺美雪です。こちらこそ、父がいつもお世話になっております」

 そこへ、松村が緊張した面持ちで田部井に頼まれたコーヒーを運んできた。

「松村さん、シゲちゃん、白だってよ。何にもしてないって」

「え?」

「松村さんも人が悪いよ。あんな慌てた顔するんで、俺はてっきりシゲが何かやらかしたと思ちゃったよ」

「な、何言ってるんですか。工場長が勝手に大騒ぎしたんじゃないですか。私はただ、西園寺社長のお嬢さんがシゲちゃんに会いにいらしたって言っただけですぅ」

「ごめんなさい。私が初めにきちんと説明しなかったからいけなかったんです」

 美雪は、責任転換され少し怒り気味の女性社員をフォローした。

「そんなことありません。うちの工場長はそそっかしくて慌てん坊なんですよ。工場長の名前、田部井五郎って言うんですけど、落語の堀の内にかけて熊五郎って呼ばれているんです。だから、お嬢さんはちっとも悪くありません」

「堀の内?」

「私も落語はよく知らないんですけど、熊五郎っていうそそっかしい人の話なんですって」

「まあ」

「おいおい、何だよ。みんなして俺のことそんな風に言ってるのかい? まいったなぁ」

「工場長、名前変えたら? 堀の内って」

「ひでぇな、松村さんは」

「罰よ。勝手に痴漢にされたシゲちゃんに代わって」

「そう言えば、シゲのやつどこ行った?」

「午前中は外回りだって。でも、もうすぐ帰って来ると思うわ」

「じゃあ、すみませんけど、少し待たせて頂いてもよろしいですか?」

「ええ、狭いところで申し訳ありませんが、コーヒーでも飲んでゆっくりしていってください」

「ありがとうございます」

「シゲが来たらお声掛けします。私は仕事に戻りますんで」

「お仕事中、申し訳ありませんでした」

 そう言って美雪が頭を下げると、田部井に続いて松村もおじぎをして部屋を出て行った。ひとりになった美雪は応接室のソファーに座り、出されたコーヒーをひと口啜った。確かに部屋は狭いしソファーの座り心地も決して良くはない。けれど、妙に居心地がいいと感じたのは、部屋に置かれた物がきちんと整理整頓され、掃除も行き届いていたからなのだろう。美雪は、この会社の人となりが分かったような気がした。

 しばらくすると、部屋の外で外回りから帰ってきたシゲを呼び止める声が聞こえた。

「シゲちゃん! ちょっと。シゲちゃんにお客様よ」

 声の主が先ほど応対してくれた松村であることが分かった。間仕切り程度の応接室の薄壁を通して二人の会話が美雪の耳に届いた。

「俺に客? 誰?」

「驚かないでよ。五葉電機の西園寺社長のお嬢様……美雪さんよ」

「みゆき? 知らねえな……俺に何の用事だ?」

「何でも、美雪さんがシゲちゃんに助けてもらったとか……」

「俺が人助け? 人違いじゃねえか?」

「いいから、早く応接室に行って。美雪さん待っているのよ」

「わ、分かったよ」

 シゲが応接室のドアをノックして部屋に入って来た時には、美雪は既に椅子から立ち上がって待っていた。

「失礼しまーす」

「こんにちは。私、五葉電機株式会社の西園寺と申します。お留守のようでしたので待たせて頂きました」

 美雪の差し出した名刺を受け取ったシゲは、一瞬、固まって目を見開いたが、目の前の美人が誰であるかすぐに分かったようだった。

「あっ! あんた、あん時のべっぴんさん……。そうだよね?」

「その節は危ないところを助けて頂きまして、ありがとうございました。あの時はきちんとお礼を言うこともできず、大変申し訳ありませんでした」

「いやー、いいって、そんなこと。それより、よくわかったね。俺がここにいるってこと」

「あの時着ていらした社服が、こちらの会社のものであることがわかったので……」

「そ、そう。あっ! そうだ、べっぴんさん、お昼まだでしょ?」

「え? ええ」

「よかった。じゃあ、一緒にどう?」

「は、はい……」

「よし、じゃあ、行こう、行こう」

「シゲちゃん、まだ、お昼休みの時間じゃないわよ!」

「熊さんにはうまく言っておいて。さ、べっぴんさん、行こう」

「え? は、はい。じゃあ、お邪魔しました」

 美雪は松村に一礼すると、既に建物の外に出ようとしているシゲの後を追った。シゲは美雪を連れて慌てた様子で会社の正門を出た。

「べっぴんさん! こっち、こっち」

 通りですれ違った人が、シゲのべっぴんっさんという言葉を聞いて、思わず美雪の方を振り返った。

「シ、シゲさん。その呼び方はちょっと……」

「ああ、そっか。えーと、確か美雪さんだったね」

 シゲは美雪にもらった名刺を胸ポケットから取り出して確認した。

「はい。でも、大丈夫なんですか? お昼の時間、まだなんですよね?」

「いいの、いいの。それより、社服のまま飲み屋街にいたなんていうことが会社に知れたらその方が面倒だから」

「まあ」

「ああ、でも誤解しないでよ。本当に飲んでいたわけじゃないんだよ。どのみち、俺たちの給料で飲めるような店じゃないしさ。ただ、げんの奴は嫌がったけど、どんな店があるのかなって、覗いていただけだよ。ほら、美雪さんほどじゃないけど、綺麗なお姉ちゃんもたくさんいるしさ」

「また、そんなこと言って……。でも、じゃあどうして、あの時、社服のままあそこにいたんですか?」

「近くのオフィスビル空調機器の修理に行ってたんだよ。何でも、一階の受付ルームにあるファンが止まっちまって動かないって言うからさ。でも、結局うちのモーターが悪かったんじゃなくて、五葉さんの基板のせいだったんだぜ。ひでえ話さ。五葉さんの担当者は、鼻っからうちのモーターが悪いって決めつけやがってさ」

「そうだったんですか。ごめんなさい」

「ああ、いや、別に美雪さんを責めているわけじゃないよ。まあ、ほら、そのおかげでこうして美雪さんとも知り合いになれたわけだし、災い転じて福となすってとこかな」

 そう言いながら、シゲは既に行く場所を決めていたのか、大会社の社長令嬢を従えて迷うことなく目的の店に向かって歩いた。

「ここだよ」(つづく

 

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