「めぐり逢う理由」 (第三章 再会と人違い)-9-
美雪はシゲと会った三日後の日曜日、シゲに言われた通り半田製作所近くの河川敷に作られた野球グラウンドに来ていた。そこは広い土地に野球グラウンドが二面、サッカーグラウンドが三面ほど整備されていた。美雪はグラウンドの中をぐるりと見渡し、一塁のコーチャーズボックスの脇に腕を組んで立っている、シゲにげんちゃんと呼ばれていたあの男を見つけ出した。
「あのー、こ、こんにちは」
男に近づき美雪は声を掛けた。
「ん? 誰? あんた」
男が美雪の方を振り返って言った。こうして昼間に見ると、身長は百八十センチ近くはあるだろうか、街のチンピラがすごすごと逃げ出したのも無理はない。逞しい体つきに見るからに強そうな腕っぷしをした男だった。
「私、西園寺美雪といいます。先日、新宿のレストランの前で助けて頂いた……。あの時は、その、えっと、ほ、本当にありがとうございました」
この人があのげんちゃん王子かもしれない。そう思うと美雪は緊張して言葉が思うように出なかった。頭を下げ、下を向いたまま男の顔をまともに見ることもできない。美雪にとっては仕方のないことだ。何しろ二十年ぶりの再会なのである。げんちゃんは自分のことを覚えていてくれるだろうか。感動的な再会を喜んでくれるだろうか。美雪はそんな期待を込めてゆっくりと顔を上げた。しかし、そんな美雪の期待とは余りにもかけ離れた、素っ気ない言葉を男は返してきた。
「ああ、シゲから聞いたよ。会社にも来てくれたんだって? いいぜ、もう、わざわざそんなこと言いに来なくったって。別にあんたらを助けたつもりもねえし」
男は腕組みをしてグラウンドを見つめたままだ。
「でも……」
「結果的に助けたことになっちまったが、別にあんたらを助けようとしてあんなことしたわけじゃねえ」
「じゃあ、どうして?」
「要はどっちが嫌いかって話だ」
「嫌い?」
「そうさ、俺はあんたらみたいなちゃらちゃらした金持ちが嫌いだ。だけど、あんたらに因縁つけてきた、ああいうハイエナみてえなチンピラはもっと嫌いだ。より嫌いな方を懲ら絞めたまでよ。だから、あなたらに感謝なんてしてもらう理由は何もねえんだよ」
男は “もう話すことはない” とでも言うように美雪を一瞥した。
美雪は、げんちゃん王子かも知れないと淡い期待を寄せた男に一方的な理由で嫌われたことがショックだった。(なんて冷たい目をする人なんだろう)あのやさしいげんちゃんの面影のかけらもない。美雪は目の前の男を寂しそうに見つめた。
「あの、失礼ですが、お名前を教えて頂いてもよろしいですか?」
「名前?」
男はもう自分の名前すら答えるのが面倒になったのか、近くに置いてあった自分のスポーツバッグを顎で指した。美雪が男のバッグを見てみるとそこにはネームプレートが下げてあった。
「片山現太さん……」
「ああ、それが俺の名前だ」
「そうなんですか。現太さん……それで、げんちゃんなんですね。でも、ごめんなさい。私の思い違い……人違いでした」
冷静になって考えてみれば、この広い世の中で二十年も経って、しかも住んでいた場所まで変わって、ある日突然、あの時のげんちゃんが自分の目の前に現れることなど、そんな都合のいい話などあるはずがない。よほど強い運命の絆で結ばれていない限りそんなことある訳がない。きっと、自分の中のげんちゃんに会いたいと思う気持ちがそんな勘違いをさせたのだろうと美雪は思った。
「人違い? どういうことだ」
男にそう聞かれて、美雪は自分がここに来たわけを話し始めた。
「もう二十年も前のことなんですけど、昔、私の通っていた幼稚園にいじめっ子がいて、私、よくその子にいじめられていたんです」
男はグラウンドを見つめたまま美雪の話を聞いていた。
「そしたら、ある日、幼稚園にげんちゃんと言う名前のお兄ちゃんがやって来て、そのいじめっ子から私を守ってくれたんです。げんちゃんは、いじめっ子が近づいてくると、いつも私の前に立って私を守ってくれました」
男は一瞬、明らかに驚いたような表情を見せて美雪の方を振り返ったが、美雪がそれに気づく前にすぐにまたグラウンドの方を向いてしまった。
「げんちゃんは私を守ってくれましたが、決していじめっ子を叩いたりすることはありませんでした。でも、いじめっ子のいたずらがどんどんエスカレートしていって、ついにはげんちゃんが怒っていじめっ子を泣かしてしまったんです。そしたら、げんちゃんはそれ以来、幼稚園には来なくなってしまって……。今思うと、げんちゃんは来なくなったのではなくて、来れなくなってしまったんです。私のせいでげんちゃん、幼稚園に来ることを禁止されてしまったんだと思います」
男が今度は目を閉じて天を仰いだ。まるで、美雪の話すげんちゃんの記憶を一緒に辿っているかのようだった。しかし、次の瞬間、男は大きく深呼吸をしたかと思うと、急に思い直したように美雪の方を振り返り、一転してくだらない思い出話に呆れたように鼻を鳴らして言った。
「フン、だから? そのげんちゃんが俺だと思ったってわけか? あんた馬鹿か? げんちゃんなんて呼ばれているやつは日本全国にごまんといるぜ。そんなのいちいち聞いて回っていたらきりがねえ。それともあれか? 俺がそのげんちゃんだっていう決め手が他にもあんのか?」
「そ、それは……」
魔法の言葉を封印されている美雪にそれが言えるはずはなかった。
「ねえんだろ? あるわけねえさ。俺はあんたのことなんか知らねえんだから。さっ、分かったらとっとと帰ってくれ。練習の邪魔だ」
「ご、ごめんなさい」
美雪は男に頭を下げグラウンドを後にした。男は美雪の方を振り返りもしなかった。
帰り道、美雪は無性に奈美に会いたくなった。こんな時、奈美なら何と言うだろう。「元気を出して」そう言って慰めてくれるだろうか。それとも叱ってくれるだろうか。もう、げんちゃんのことは忘れなさいと……。(つづく)
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