「めぐり逢う理由」 (第三章 再会と人違い)-8-

 しばらく歩いて二人がたどり着いたのは、傾いた看板を掲げ、年季の入った暖簾を垂らした定食屋の店の前だった。

「まあ、見た目は古臭い変な名前の定食屋だけど、味は保証するよ」

 シゲはそう言って手で暖簾を払うと店の扉を開けた。

「ちわーす」

「いらっしゃい!」

 シゲの頭の中では、大会社の社長令嬢と下町の定食屋を結び付けるのに特に障害になるものはなさそうだった。

「龍……金堂? あれ? どこかで聞いたことがある名前だわ」

 店の看板を見上げ、首をひねっている美雪を店の中からシゲが呼んだ。

「美雪さん、入って、入って」

キョロキョロと店の中を珍しそうに見ながら入って来た美雪を、丼の飯を掻き込んでいた先客たちが丼の淵越しに一斉に見やった。

「さあ、美雪さん、座って、座って」

「は、はい」

「美雪さん、何にする? 俺はA定食。今日はアジフライだってさ」

「じゃあ、私も同じものを……。えーと、ご飯は半分くらいにしてもらえるかしら?」

 美雪は先客たちの丼茶碗の大きさを見て言った。

「大将! A定二つね。一つは半ライスで!」

 先客たちはまだ、自分たちの目の前で向かい合って座る、この二人の関係が理解できないようだった。飯を掻き込む手を動かすことも忘れ二人の会話に耳を澄ました。

「お昼はいつもここで食べるんですか?」

「ああ、だいたいね」

「あの方も?」

「あの……方?」

「この前一緒にいらした、シゲさんがげんちゃんと呼んでいた方」

「ああ、げんのこと? あいつは渋ちんだからいつも社食の安い飯食っているよ」

「そうなんですか。じゃあ、会社の方に?」

「うん、いつもならね。でも、あれだよ。今週はずっと、金曜日まで出張で熊本に行っているから、げんは会社にはいないよ」

「そうなんですか」

「まあ、お礼のことなら俺から言っといてやってもいいけど、直接言いたいんだったら、日曜日にそこの河川敷のグラウンドに行ってみるといいよ。げんはそこにいるはずだよ」

「河川敷のグラウンド?」

「ああ、野球のグラウンドがあるんだけど、げんのやつ、子供に野球教えてるんだ。あいつ、野球なんてやったことねえくせにさ」

「そうなんですか?」

「はいお待ち! A定二つ、ひとつは半ライス」

 店の店主が料理を運んできた。店主も他の客たちと同じようにこの二人の取り合わせが、男として納得がいかないような目を向けた。

「よっ! 待ってました。さあ、美雪さん、食べようぜ。いっただきまーす」

「頂きます」

 美雪も胸の前で手を合わせた。味噌汁をひと口、サラダを二口、美雪は出された料理を口に運んだ。付け合わせを食べ、ご飯をひと口、そしてメインの鯵フライを食べた美雪は目を丸くして驚いた。

「あら、美味しい……。ご主人、これとっても美味しいわ」

「お、おお、そうかい、そうかい。そう言ってもらえると作り甲斐があるってもんだ。こいつらなんか、そんなこと一度も言ったためしがねえ。馬鹿みてえに飯掻き込むだけでよ」

主人はそう言って、丼を持ち上げたままの連中に目をやった。

「そんなことねえよ。いつも美味いなって思いながら食べてるぜ」

 シゲが箸で鰺フライをつまみ上げて言った。

「言わなきゃ伝わらねえんだよ、そういうことは。ねっ、お嬢さん?」

「そうですよ。奥様のお料理にもそう言ってあげてくださいね」

「俺、奥さんいないけど、美雪さんが奥さんだったら毎日言うよ」

 シゲの言葉に周りの男たちも思わず頷いた。

「嫌だわ。シゲさん、また、そんなこと言って」

「そうだよ。どう見たって、お前と、このお嬢さんが釣り合うわけねえだろう。身分をわきまえろ。身分をよ」

「何だよ、身分って。江戸時代じゃあるまいし……。水戸黄門かよ」

「いいか、お前らもそうだぞ。お前らみたいな小汚い連中は、今日、このお嬢さんと会えただけでもありがたいと思え。いいな!」

「酷でえな。そう言う大将だって、俺たちと似たようなもんだろ。なあ? みんな」

「そうだ、そうだ。似たようなもんだ」

 美雪は店の主人と客たちの漫才みたいなやり取りが可笑しくて、思わず笑った。

「お前らと一緒にするな。うちはな、今は場末の定食屋だが、その昔は髪飾りや簪なんかを扱う格式高い店だったんだ。龍金堂って名前はその時の店の名前さ。その名前だけは今でも残してあるんだ」

「あっ!」

 美雪が思わず叫んだ。

「ど、どうしたの? 美雪さん」

「思い出したわ。龍金堂って名前。私の持っている髪飾りの箱に龍金堂って書いてあったわ」

「お嬢さん、そりゃ、本当かい?」

「ええ、お店の名前を見た時、何か見覚えのある名前だなと思ったの。そうよ。間違いないわ」

「お嬢さん、どこでそれを手に入れたんだい?」

「私の生まれ故郷……。熊野川が流れる町です」

「そうかい。じゃあ、間違いないな。うちの店も昔はそこにあったらしい。詳しい場所は分からねえが」

「そうですか。不思議なご縁ですね」

「ああ、そうだね。そうだ! お嬢さん、ちょっと待っててくれ」

 店主はそう言って、店の奥に何かを取りに行った。

「これ、これ」

 しばらくすると、手に何やら箱を持った店主が戻って来た。

「お嬢さん、年代もんだから、今どきの若いお嬢さんに気に入ってもらえるかどうか分からねえが、これ貰ってくれるかい?」

 店主はそう言うと、持っていた箱の蓋を開けて中を見せた。

「これは?」

「簪さ。うちが昔、簪を売ってた頃の商品だ。詳しいことは分からねえが、一度は売れた品物なんだが、訳あってまたうちの店に戻って来たんだ」

「なんでぇ、訳ありの出戻りってことか?」

 シゲが店主の持っていた箱の中身を覗き込んで言った。

「ば、馬鹿野郎! お前は黙ってろ」

「だってよ、返品されたってことだろ? 不良品じゃねえのか?」

「そうじゃねえんだ。この簪は店に戻っては来たものの、うちの曽爺さん、自分が気に入った客にしか商品を売らなかったもんだから、結局そのまま売れずに残っちまった。だから、最初にこれを買った客っていうのは曽爺さんがよっぽど気に入った客だったんだろうな。もっとも、そんなんだから店を潰しちまったのかも知れねえがな」

「お爺さんが大切にされていたそんな大事なもの頂くわけには……」

「いいんだよ。お嬢さん、俺ピンときたんだよ。この簪もきっとお嬢さんに使ってもらえることを望んでいるはずさ。だから、あんたの傍に置いてやってくれ」

「でも……」

「美雪さん、貰ってあげれば? その簪もずっと箱に入ったままじゃ気の毒だろうし」

「シゲ、お前、たまにはいいこと言うじゃねえか。そうだよ、お嬢さん、女性の髪を美しく飾ってこその簪だ。なっ、いいだろ?」

「そうですか? では、遠慮なく頂きます」

「ありがとう。お嬢さん」

 店の店主から箱を受け取り、美雪は中の簪を手に取って見た。

「きれい……。でも不思議ね。何か、とても懐かしい感じがするわ」

 何故か、もう随分と長い間会っていない奈美の顔が美雪の頭に思い浮かんだ。それは、漆塗りの黒光りした軸棒に鮮やかな翡翠色の玉が付いた、気品溢れる簪だった。

「お嬢さん、また来てくれよ」

「ええ、また来ます。素敵な簪、ありがとうございました。大切に使わせていただきます」

 まだ残って、小汚い連中どうし無駄話をしていくというシゲを残して、美雪は店を後にした。(つづく

 

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