「めぐり逢う理由」 (第二章 げんちゃん王子)-7-

 翌日もその翌日も、いじめっ子は相変わらず美雪にちょっかいを出してきた。美雪はこの前、帰りに独りぼっちになったいじめっ子が少しかわいそうだと思ったことを自分の中で取り消した。やっぱり、この子はただの面倒くさいいじめっ子だと改めてこの子が嫌いになった。

 ただ、これまでと違うのは、美雪とはかかわって欲しくないと佳恵や村上がそう願ったあの少年が、二人の想いに反して、あの日以来、毎日幼稚園にやってくるようになった。そして、いじめっ子が美雪にちょっかいを出し始めると、少年はいじめっ子を睨みつけ、美雪をいじめっ子から隠すようにいじめっ子の前に立ちはだかった。

「お前、そこどけよ」

 生意気ないじめっ子は、自分よりも年上の少年に微塵も敬意を払わない。少年は無言のまま、いじめっ子の前に立ちはだかった。しかし、少年はいじめっ子に対してそれ以上のことはしなかった。

「かっこわりぃ。げん太だって。マジックでなまえかいてやんの」

 いじめっ子はそんな捨て台詞を残してどこかへ行ってしまった。

「げんたじゃないもん! げんちゃんだもん!」

 美雪はいじめっ子の背中に向かって大きな声でそう言ってやったが、この時、げんちゃんの正しい名前を知っていたのは、いじめっ子の方だった。美雪はひらがなを読むことはできたが、漢字はまだ読めなかった。いじめっ子も同じようなものだったが、自分の名前に使われている字と同じ“太”は読むことができた。

 美雪は、本当はげんちゃんにいじめっ子をやっつけて欲しかったのだが、げんちゃんは美雪の迎えが来るまで美雪に手出しできないように、ひたすらいじめっ子を睨みつけることしかしなかった。それでも、美雪はうれしかった。いじめっ子から自分を守ってくれるげんちゃんが美雪は好きだった。

「美雪、今日は幼稚園で何をしたんだい?」

 食事のあと、幸太郎は毎日必ず美雪を自分の書斎に連れて行き、その日の幼稚園でのできごとを尋ねた。

「きょうはね、かけっこをしたわ。わたし、さんとうしょうだった」

「ほう、それはすごいね。何人で走ったんだい?」

「えーと、りょうくんと、えっちゃんとわたしよ」

「そ、そうか三等賞じゃ、オリンピックなら銅メダルだね」

 幸太郎は何とか美雪への誉め言葉を探し出したつもりだが、当の本人はびりけつだったことをあまり気にはしていないようだった。

「おにいちゃん、きょうもわたしをたすけてくれたのよ」

「げんちゃんかい?」

「うん」

「げんちゃんは、どうしていつも美雪を助けてくれるのかねぇ」

「うーん、それはわからないけど、でも、でもね、かっこいいの」

「かっこいい?」

「わたしが、もうダメ、たすけてっておもうと、おにいちゃんがいじめっ子をにらみつけてくれるの。そうすると、いじめっ子はあきらめてどこかへいってしまうの」

「ほう、げんちゃんはいじめっ子を睨みつけるだけなのかい?」

「うん、ほんとうはもうわるいことをしないように、いじめっ子をたいじしてほしいんだけれど、おにいちゃんはきっとやさしいから、いじめっ子をたたいたりしないのね」

「そうだね、暴力はいけないね」

「そうよね」

「でも、美雪をいつも守ってくれるげんちゃんは、美雪の王子様のようだね」

「おうじさま?」

「そうだなぁ。さしずめ、白馬に乗った王子様ってところかな?」

「はくば?」

「ほら、これが白馬に乗った王子様だよ」

 幸太郎は本棚から一冊の本を取り出し、それを開いて美雪に見せた。『勇者ペルセウス』幸太郎が開いたそのページには、そう題されたギリシャ神話に出てくるペルセウス神の絵が載っていた。幸太郎がどういうつもりで美雪にそれを見せたのかはわからないが、良識ある大人なら、ランニングシャツ姿の坊主頭の少年と英雄ペルセウスの姿に共通点など見つけられるはずもなかったが、美雪は何故かそれを見た瞬間、勇ましいペルセウスの姿がお兄ちゃんにそっくりだと思った。あえてその理由を見つけようとするならば、二人とも薄着だったことが美雪にそう思わせたということなのだろうか。

「これは勇者ペルセウスと言って、困った人がいると、この白いお馬さんに乗ってどこからともなく現れて、悪い人をやっつけてくれるとっても勇敢な王子様なんだよ」

 幸太郎の説明は恐らく嘘だった。もしかしたら、幼い美雪にわかりやすいように、話をただ脚色しただけなのかも知れなかったが、

「どこのくにのおうじさまなの?」

「えっと、それは、その」

 美雪にそう聞かれて、早速答えに詰まってしまった。幸太郎もそこまでは考えていなかった。しかし、元の話がギリシャ神話であることを思い出し、持てる想像力を駆使して物語をさらに脚色した。

「あっ、そうそう、この王子様は人間のように見えるけど、本当は神様なんだ。だから、神様の国の王子様なんだよ。ほら、この白いお馬さんにも羽が生えているだろ。もしかしたら、お馬さんに乗って空を飛んだり、魔法とかも使えたりしたのかも知れないね」

 幸太郎の考えた、ギリシャ神話と月光仮面と魔法使いが出てくるこの他愛もない、いい加減な話は意外にも美雪の心を捕らえていた。

「あのおにいちゃん、おうじさまなんだ」

 前にも言ったと思うが、美雪は頭のいい子だった。もう少しだけ付け加えるとするなら、頭がよく、そしてあまりにも純粋だった。

 幸太郎からげんちゃん王子の秘密を聞き出した美雪は、自分の部屋に戻ると、以前に描いたげんちゃんの絵を机の引き出しから引っ張り出した。本当は壁に貼りたかったのだが、佳恵に見つかるとまた叱られるので、見つからないように引き出しの奥の方に入れておいたのだった。

『げんちゃんおうじ』

 美雪は、さっき幸太郎に見せてもらった絵の右上に書かれていたのと同じように、自分の絵にもタイトルを書き足した。

 ランニングシャツに坊主頭のげんちゃんの姿が、心なしか前よりも勇ましく見えた。(つづく

 

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