「あなたへのダイアリー」 (第一章 アフリカ)-2-

 ティムを抱き上げたこの男、名前を『中谷亮介』という。世界各地の紛争地帯を渡り歩くフリーのいわゆる戦場カメラマンである。今から二十七年前、父親が起こしたある事件がきっかけで高校を中退した亮介は、故郷を追われ、母親とともにしばらくは仕事を探して日本各地を転々とした。やがて、亮介が二十三歳になった年に母親が再婚したため、亮介は家を出ることにした。それ以来、結婚もしなかった亮介は、二十年以上ずっと一人で生きてきた。

 亮介が戦場カメラマンとなり、世界各地を訪れるようになったのは、母親と離れて間もなく、雑誌社に知り合いがいるという仕事先の同僚から、カメラマンの助手をやってみないかと誘われたことがきっかけだった。高校中退で学歴もなく、これまで満足な仕事に就くことができなかった亮介は、海外勤務で危険が伴う仕事であることを承知した上でこの話に飛びついた。

 取材の現場では、初めのうちは遠くの方で銃声が聞こえただけでも体が震え、とてもまともに仕事などできる状態ではなかったが、身を守ることと、カメラのシャッターを押すことだけを考えているうちに、これまで自分の身に起きたすべてのことを忘れられるような気がして、亮介はいつしかこの危険な仕事にのめり込んでいった。だから、仕事が忙しかったと言えばそうなのかもしれないが、亮介が二十年近く日本に帰らなかったのは、せっかく忘れることができた記憶を再び呼び起こしたくなかったからなのかも知れない。

  その亮介が、このアフリカの地を訪れる少し前、今から三か月ほど前に、やむを得ず日本に帰国しなければならなくなった。

「中谷さん、大変申し上げ難いのですが、ご連絡の付くお身内がおられないということですし、我々も悩みましたが、中谷さんのお仕事に対する思いからして中途半端に終わらせないためにも、あえて率直に申し上げます。あと半年、長くても一年は難しいでしょう。大変残念なことですが……」

 亮介が医者から余命を宣告されたのは、三年に渡る中東での仕事を終え、検査のために日本に一時帰国していた時のことだった。それまで、ほとんど風邪一つひいたことのない亮介であったが、ある日、カメラのシャッターを押す指が震え、ファインダー越しに見る風景がぼやけて見えた。その時はあまり気にしなかったが、その後、時おり猛烈な頭痛に襲われるようになり、帰国して精密検査を受けることにしたのだった。

 検査の結果、亮介の脳には手術では取り除くことができない場所に腫瘍があることが分かった。医者は亮介に二つの選択肢を与えた。ひとつは、入院して薬で病気の進行を抑え、少しでも死期を遅らせるという選択、もう一つは、治療を諦めて残された時間を好きに使う選択だ。当然、亮介に延命の選択肢は考えられなかった。どこかの戦場に戻って、カメラマンとして最後まで現場に居ようと思った。そこで戦死しても、寿命が尽きて死んでもそれが本望であり、この世にはもう、未練など何もなかった。

「先生、その時……。最後の時、私にはどんな症状が現れますか? 例えば、猛烈な頭痛に襲われるとか、それとも、何の前触れもなく突然、死に至るようなことになりますか?」

「そうですね……。この種の病気は人によって症状は様々ですが、報告されているケースですと、頭痛や吐き気、そういった症状が頻繁に起き、幻聴が聞こえたり、幻覚が見えたりしたという症例もあります。現代医学を持ってしても、脳の機能については全体の一割も分かっていないのが実情なのです」

「幻覚……ですか」

 病院を後にした亮介は、契約先の新聞社には病気のことを内緒にして、すぐにアフリカに向かうことにした。そこは、亮介が以前からずっと訪れてみたいと思っていた場所であり、自分の最後の仕事場とするのに相応しい場所だと思えた。(つづく

 

~目次~  第一章 アフリカ 1  2  3  4  5  6  7

shin2960.hatenadiary.com