「あなたへのダイアリー」 (第一章 アフリカ)-7-
現地の交通事情もあり、村に戻ることができたのはティムと約束した日の翌日になってしまった。
「リョウ!」
日も暮れ、辺りはすっかり薄暗くなっていたが、村の入り口で亮介の帰りをずっと待っていたティムが、亮介の姿を見つけ走って来た。
「よかった。もう、この村には帰ってこないのかと思った」
亮介はティムのその言葉を聞いて何も言えなかった。
「リョウ、もうどこへも行かないで」
「……」
亮介は無言のまま、ティムをいつものように抱き上げ肩車をしてやった。ティムは安心したように亮介の頭を抱えたまま眠ってしまった。その日は、いつものように絵本読むこともなく、亮介も床についた。
翌朝、いつものように、日の出とともに目覚めた亮介は、数日後にこの村を去ることをティムの母親に告げた。ティムの母親は亮介から事情を聞き、亮介の申し出を受け入れたが、ティムのことをとても心配した。それは、亮介も同じ気持ちだった。亮介がティムには黙って行くつもりであることを母親に言うと、当然、同意してくれると思っていたティムの母親は、それまで見せていた悲しげな表情を一変させ、ティムが起きてこないように声は小さかったが、けれど、絞り出すように亮介に言った。
「リョウ、それは違います。ティムのためを思ってくださるのなら、ティムにはきちんと訳を話してください。きっと、あの子は泣くでしょう。たくさん悲しむでしょう。でも、理由も分からず、大切な人が突然自分の前からいなくなってしまったら、残された人間はその方が何倍も悲しいものです」
亮介はティムの母親の言ったその言葉に、貴美子からの手紙のことを思い出しハッとなった。
“今、自分がティムにしようとしていることは、あの時、貴美子にしたことと同じではないのか。理由も告げず、貴美子の前から姿を消したあの時と同じではないのだろうか……“
「リョウ、大丈夫です。ティムはきっとわかってくれます。ティムを信じて」
亮介の憂(うれ)う気持ちを察したかのように、ティムの母親が微笑んだ。それは、ティムはもちろん、亮介のことも包み込むような大きな慈愛に満ちた微笑みだった。
その日の夜、亮介はティムに日本へ帰ることを告げた。予想した通り、ティムは激しく反発したが、亮介はティムの母親に言われた通り根気強く説得した。自分の大切な人が亡くなったこと、もしかしたら、その人を過去に傷つけたかもしれないこと、十歳のティムがどこまで理解したかは分からないが、亮介はティムを一人の男としてすべて正直に話した。
しばらくして、母親の胸で目を真っ赤に腫らしながら無言で聞いていたティムが、ようやく口を開いた。
「その人のこと好きだったの?」
「ああ、ぼくにとっては、とても大切な人だったんだよ」
「リョウ、リョウはその人とリョウの、二人だけしか知らない秘密はあるの?」
「え?」
「もし、その秘密を知っている人が現れたら、その人がリョウの大切な人の生まれ変わりなんだね」
「いや、ティムそれは……」
『生まれ変わり』なんて、そんなものはないのだと本当のことを言おうとしたが、ティムの母親が微笑みながら首を横に振って無言でそれを制した。
「うん、わかった。さびしいけど…とってもさびしいけど、リョウは日本に帰らないといけないんだね」
ティムは母親にしがみつき、母親の顔を見上げながらそう言った。ティムの母親も、目に涙を浮かべながら、ティムのその問いかけに静かにうなずいた。
「ありがとう、ティム。わかってくれて」
亮介はそう言って、二人を抱きしめた。粗末な造りの家の外では、この時期には珍しく雨の降る音が微(かす)かに聞こえていた。そぼ降るなみだ雨はしばらく止みそうになかった。
別れの日の朝、ティムが自分で作ったという、木でできたこの村に伝わるお守りをくれた。握るとティムの手に隠れてしまうくらいの小さなものだったが、人型をした、顔や手足がついた愛らしいものだった。亮介は代わりにティムの腕に自分の時計をはめてやった。ティムの細い腕で時計はくるくると回転したが、ティムは大人になったような気がしたのか大喜びだった。
「ティム、お母さんを大切にな。この時計がきちんとはまるように、元気で逞しくなるんだぞ。」
「うん。今度リョウに会うときは、きっとリョウより大きくなっているよ」
「ああ。その時は、今度はティムに肩車してもらおうかな」
「いいよ。任せて!」
「ティム、じゃあ、ここで、さよならだ」
「うん!」
亮介は車に乗り込み後ろを振り返って、小さくなっていくティムの姿をずっと見ていた。ティムや村の子供たちは、亮介の車に向かっていつまでも手を振っていた。
「さようなら、ティム。さようなら、みんな」
そうつぶやいて、亮介は遠くに見える太陽に向かって手を合わせ祈った。亮介が何を祈っていたのか?それは、いつも亮介が木の上で夕陽に向かって祈っていたことと同じだった。
「ティムや村の人たちに、幸せな未来が訪れますように……」
亮介が願うティムたちの幸せな未来とは、戦争のない、子供たちみんなが学校に行って勉強できるような、そんなごく当たり前の暮らしができる平和な未来のことだった。
車に揺られ、亮介がナイロビの空港に着いた頃には、今朝、村で見た太陽は、いつの間にか地平線の下に沈みかけていた。搭乗手続きを済ませ、カメラとわずかな荷物を持って機内に乗り込んだ亮介は、離陸して間もなく深い眠りについた。
平成二十八年の春、亮介が余命宣告されてからすでに、四ヵ月の時が過ぎようとしていた。(つづく)
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