「あなたへのダイアリー」 (第二章 きみ寿司)-2-

 高校三年の始業式の日、亮介はクラス担任の山下から、その日、始業式を欠席した『牧村貴美子』という生徒に届け物をするよう頼まれた。亮介はその生徒のことを知らなかったが、山下は貴美子の家が、亮介の家の近くだからという理由で頼んできたらしい。

 実は、貴美子のことは学校内ではちょっとした噂になっていた。貴美子は、高校二年の二学期の終り頃に亮介の通う英徳学校に転校してきたが、学校に来ることはほとんどなく、しかし、成績は優秀で、進学校であるこの英徳高校でトップクラスの成績だった。しかも、転校してきて以来、ほとんど学校に来たことがない貴美子であったが、男子生徒からは、勝手にミス英徳高校に選ばれてしまうほどの美少女であった。

 亮介はもともと人付き合いがうまい方ではなかった。というよりは、この三年間、部活の野球以外のことは、ほとんど興味がなかった。今年の夏、高校最後の夏に甲子園に出場することが、亮介にとっての唯一の目標であり、たった一つの夢だった。だから、担任に貴美子への届け物を頼まれた時も、

「牧村? ですか……」

「そう、牧村! 牧村貴美子だよ」

 腕組みをして頭の中を必死に探している亮介の様子に、山下は少し呆れた顔をした。

「亮介、お前、本当に野球のことしか頭に無いんだなぁ。他の男子はみんな、牧村に憧れているようだけど、お前は興味ないのか?」

 “人の気も知らないで……” 山下は、そんながっかりとした顔を亮介にして見せた。

「はぁ……」

「まぁ、まぁいい、お前の家、牧村の家の近くだろ?」

「え? い、いや、知りませんよ。第一、牧村を知らないので」

 亮介は、山下に自分がいかに無茶な依頼をしているかということを気づかせ、あわよくば、その依頼を断ることができればと画策し、少し微笑みながらそう言ったのだが、無骨な眼差しをした山下には、そんな繊細な小細工など通用するはずもなかった。

「い、いいから、とにかく持っていけ! これが書類でこれが牧村への伝言だ。本人に会って直接渡すんだぞ、いいな、直接だぞ!」

「はぁ……」

 “そんなに大事な書類なら、自分で持っていけよ” と思ったが、山下が強引に亮介の机の上に書類と封筒を置いて行ってしまったので、亮介は仕方なくそれらをカバンにしまい込むと、代わりにもともと持って帰る気もなかった、世界史と生物の教科書を机の中に戻して家に帰った。

 山下から聞いた貴美子の家は、確かに亮介の家と同じ方向にあったが、決して近くはなかった。それでも、書類を預かってしまった以上、届けないわけにはいかない亮介は、家にカバンを置き、走り込みの練習を兼ねて貴美子の家まで走って行った。

「ここか……」

 山下からは小さな寿司屋だと聞かされていたのですぐに分かった。

 『きみ寿司』看板にはそう書いてあった。“娘の名前が貴美子だからきみ寿司って名前なのかなぁ” などと、ありきたりな想像をして亮介は店の前に立った。店の入り口から入っていいものか、玄関からの方がいいのではないかと少し迷ったが、他に入り口が見当たらなかったので、思い切って暖簾をくぐり店の中へと入ってみた。

「いらっしゃい!」

「あ、いや、すみません。俺……いや、僕は貴美子さんと同じクラスの中谷と言います」

「貴美子と?」

 そう言って、“娘に何の用事だ!“ と言わんばかりに、亮介の頭のてっぺんからつま先へと、視線をゆっくりと降ろしていったのは板前姿の貴美子の父親だった。

「おーい、貴美子。友達が来たぞ!」

 奥で何か物音がしたようだったが、返事はなかった。

「貴美子! 聞こえねえのか。友達が来たってば」

 しばらく待ったが、やはり返事が返ってこない。

「何やってんだ、あいつ……」

 業を煮やした父親が、包丁を持ったまま厨房を出て、二階に向かって大声で呼んだ。

「おい、貴美子! 友達が待ってるぞ!」

「は、はーい。今、行きまーす」

 やっと返ってきたその返事とともに亮介の前に現れたのは、長い黒髪にリボン付きの可愛らしいブラウスと、清楚な感じの紺色のスカートを履き、足元は短めの白いソックス姿の……。

 それは、正にミス英徳だった。貴美子に見とれ、亮介が発する言葉を失っていると、ブラウスの上から三つ目のボタンを閉め忘れた貴美子が慌ててそれを閉め直しながら、亮介に声をかけた。

「中谷くん……」

 亮介は、貴美子がボタンを締め直している姿を疑問に思うことよりも、貴美子の言ったその言葉に驚いた。

「な、なんで……僕の名前を知っているの?」

「なんで? って、それは……えーと、あ、そうそう、だって、この春からクラスメイトでしょ?」

「それは、そうだけど……」

 亮介は自分が貴美子の名前どころか、担任に言われるまでクラスメイトであることさえ知らなかったことを少し後悔したが、『クラスメイト』という響きに何故か山下の顔が思い浮かび、自分がここへ来た目的を思い出した。

「あっ、そうだ。これ、山下先生から預かってきたんだけど。えーと、これが…何だかわからないけど何かの書類で……こっちは、うーん……、こっちも何だかよくわからないけど伝言だって」

 亮介は、預かった書類と小さな封筒を無造作に貴美子に手渡した。

「ぷっ、そ、そうなの」

 貴美子は、亮介の子供の使いにもならない言動が可笑しくて、笑いを堪(こら)えながらそう答えるのがやっとだった。そして、伝言だと言って渡された小さな封筒の中の紙を取り出して、そこに書かれた短いメッセージを読んだ。

 

きっかけは作ったぞ。後は、お前次第だ。ガンバレ!

おせっかいな担任より

 

 貴美子は初め驚いたが、やはりあの日、亮介の試合をこっそり観に行っていたところを担任の山下に見られたのだと思った。(つづく

 

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